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10/31 満月

数ヶ月前に告げられた言葉と同じようなことを自分が口にしていることに気がついた。あの人もこんな風に期待と絶望を繰り返していたのだろうか。だとしたらとても苦しかっただろうね。

街中にお店を見つけた時に可愛いねと言い合うポイントが一緒だったり、月が綺麗だなと思った数時間後に満月だねという連絡が来たり、自分が生きる上で大事にしたい、無くしたくない価値観を彼とは共有できていると思う。

たまに抱きしめてほしいと彼は言うけど、それは孤独を慰め合う行為だなと私は思っていて、私にも、どうしようもなくそれが必要な時があるから、気持ちがすごくわかるし、そんな彼を愛おしいと思う。私たちはどうしようもなく苦しくて孤独な中を生きているんだと思う。

疲労困憊しながら駅のホームを歩いていたら彼がいて、私を見つけると同時に駆け寄って抱き寄せた後、私が両手一杯に持っていた大きな荷物を奪い取って歩き出した。その姿を見て私はすごく頼りがいのある人だと思った。

きっと資本主義経済の中にいなければ、彼は最高で最上の相手で、喧嘩もしながらもうまく生きていけるんだと思う。だけどお金が全ての価値を決める現代において、私の価値観は社会的地位や年収によって規定されている部分が多く、彼とはきっと分かり合えない部分が大きい。そこに戦いを挑んでいくべきなのか、今の私には解がない。

彼とは一緒にいたいと思う。わかりやすい指標では語れない微妙な癖や価値観が本当に心地良くて、生き物や人形をも大事にするところが私は本当に愛おしい。だけど、壁が、大きすぎる、とも素直に思う。見ている社会や背負っているもの、物事を考える前提がまるで違うのだ。

私たちは分かり合えるだろうか。これからも喧嘩を繰り返しながらわかりあっていけるだろうか。喧嘩をしなくなった時がきっと私たちが終わる時なんだと思う。それぐらい別のフィールドにいる存在にも関わらずお互いを理解しようとしている。血みどろの努力をしながら私たちは試行錯誤して生きている。

彼と一緒に居続けることは人生の目的ではなくて、私の人生を幸せにする上で誰と一緒にいるべきなのかをちゃんと立ち止まって考えて生きていきたい。今の答えは間違いなくイエスだ。彼と過ごすことが私が私を幸せにする上で最善の選択肢だと思っているし、他の選択肢を探そうとも思わない。ただ、それを盲目的に信じるのではなく、常に自分自身に問いかけ続けながら、それが正しいのかを考えていたい。もちろん一人ではなく、彼とちゃんと向き合って考えて、話していきたい。そんな対話を、続けていきたい。

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