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不合理さを愛すること

どーもこんにちは、マサユメです。
今日は社労士ネタはおやすみして、2つのニュースを見て感じたことを書きます。

・上島竜兵さんの自死
・慈恵病院で2人目の内密出産

どちらも大きく報道されましたので、詳細説明は不要かと思います。

上島さんのニュースは、私の友人たちもかなりショックを受けていましたし、特にファンではないわたしも、「竜ちゃんすら死にたくなる世の中なのか…」という寂寥感のようなものを感じています。

慈恵病院のニュースは、院長さんが「私たちが当たり前に出来る事を出来ない人がいる。それを怠慢だとか努力不足だと言うのはよくない」とおっしゃっていて、感銘を受けました。


正義は信じないよずっと
鳴らす遠吠えのシャッフル
逆さにしたり 裏がえしたり
あげく涙がちょっと

いけない願望も いつか僕らの手で
もう一度 つかまえる

居場所があんのかわかんねえ
美しすぎるクニには


ひとの生死の問題に軽々なことは言えないのかもしれませんが、「こうであるべき」論が自分も他人も苦しめているような息苦しさを感じます。

・親子仲良い家族でありたい
・子を慈しみ育てる父母でありたい
・真っ当に生きたい
・仕事を前向きに頑張りたい
・夢や希望に向かっていきたい
・真摯な愛を貫きたい

など、「ありたい」という文脈では本当に素敵な言葉たちが、「あるべき」と言い換えた途端に、呪いとなり重石となる。矢印が自分に向いても、他人に向いてもやっかいです。これはとかく、真面目な方に多い気がします。

まじめに努力し,上昇志向を持てるのも人間です。一方で、怠惰で、ものぐさで、適当で、不倫するのもまた人間です。人間は不合理です。

幸せになりたいけど
頑張りたくない

って歌がありましたよね。
合理的に生きられない、それが人間だと知ること。その不合理こそが、ロボットにはない、人間の「余白」なのだと思います。そこを許せないと、どんどん生きるのが辛くなる気がします。

自分の産み落とした子を、育てられない。
それは確かに良いことではありません。
でも、100%その母が悪いのかはわからない。
なによりも、子の命を奪うより無限大に良いことをした、それは褒めてあげたいなと思います。
甘々と批判されようと、「まあ、仕方ないよね」と言える余白があるこの娑婆苦であれば、心の中であればと思います。

#スピッツ

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