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9月1日の想い出

夏休みが終わり、始業式の日。小学生の僕はどんな1日に過ごしていたのか。

パッと思い浮かばない。

このnoteの記事を開き、読もうとしてくれた人は、記事のタイトルとサムネイル画像(男の子と女の子の後ろ姿)から、何か具体的で、もしかしたら僕の小学校の頃の感傷的な想い出話が綴られているのではないかと思いを巡らせてしまったかもしれない。申し訳ない。

小学生の頃の想い出がないわけではない。

休み時間にひたすらやっていたドッヂボール。苦手な先生にあたってしまい、かつ校庭の工事のためドッヂボールができなくなることが重なり、グレかけた小学4年生。応援団長を務めた小学6年生の運動会。

まだまだ思い出せそうなことはある。

が、9月1日の想い出は今この文章を綴りながら思い出そうとしても、特に何も出てこない。

ここまで読んでくれた人の中で「そんなに9月1日にこだわらなくても」と思った人もいるだろう。

👶

3月末に、第一子が生まれた。

生まれて数日が経ってから、毎日手形か足形をとって、妻が一言書く、ということをし始めた。

スタンプ日記をはじめて、150日以上が過ぎた。

まだ、150な気もするし、もう、な気もする。

160日前は、息子がまだこの世にいなかった、ということを考えると、1日1日がとても尊く感じる。そして、一言を添えられたスタンプ日記を読むと、とある一日の記憶が蘇ってくる。

📖

全ての記憶を頭に留めておくのは不可能なことはわかっている。でも、今日この一日で過ごした時間を忘れてしまい、なかったことのようなものになってしまうことがとても寂しい。

ここ数年で頭から抜け落ちてしまっている記憶が多い気がして、焦りも感じる。

日々考えなければいけないことも、やらなければいけないことも、やりたいことも山ほどあって、怒涛の勢いで外からいろんな情報も入ってくる。観たいYouTubeもたくさんある。

今日一日で気づいたこと、体験したこと、考えたことが流れていってしまう。

2016年の1年間だけ、無印で買った手帳に毎日行ったことを殴り書きながらも描き続けることができた。

とあるページをひらけば、そのキーワードからわずかながら記憶や感情を取り出せる。

😼

タイムマシンに戻って、過去の自分に一言伝えられるとしたら、「日記はどんなに雑でも毎日書いとけよ」と言いたい。息子にもできれば書いて欲しいと思っている。

何度もやめてしまった日記を、今日からまた再開してみる。多少性能はポンコツでもいい、想い出を辿れるタイムマシン代わりの日記をつくる、そんなイメージで。

気づけば日付が変わって、9月2日になっていた。

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