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【読んだ】周司あきら/高井ゆと里『トランスジェンダー入門』

強い意志をもって、用語や概念の説明に振り切っているのが印象的だった。例えば「トランスジェンダー」「シスジェンダー」「ノンバイナリー」といった概念の説明、「学校」「職場」「家庭」といった場所ごとでのトランスたちの苦悩、「制度」や「医療」の現状、「病理化」と「医療化」の違い、そして「身体の性」「心の性」「FtM/MtF」といった言葉を使うことの問題点、等々。ググればいい話と済ませられないのは、ネット上にはヘイト言説が転がっているというグロテスクな事態がまずあるだろうけども、それ以上に、この本はおそらくかなり機能性を考えてデザインされているように思う。

この本はおそらく第一義的には、「トランスジェンダー」という言葉を知らずに生きていけているマジョリティに向けに書かれたものである。本書の端々に登場する「想像してください」や「〇〇しないでください」という著者からの呼びかけがそれを示しているし、冒頭ではトランス当事者たちに向けて、「まずはこの本を身近な人たちに薦めてみては?」という提案がなされている。なるほど確かに、抽象度、ボリューム、筆致、難易度、新書というパッケージ、全てが「マジョリティがまずは手に取ってみる」というシーンに適しているように思う。例えば企業の研修担当者ならば、この本の第3章にある「就労」という項目をコピーして会議に掛ける、という様な使い方ができるだろう。新書というパッケージも、例えば保守的な意思決定者たちにまずは手に取らせるのに適しているようにも思える。

自分はこの本にとても学ばされたし、知らない事や誤解していた事もたくさんあったし、改めて憤りを覚える事も多かった。ただ同時に、おそらく個々の説明はかなり捨象されているものもあるとも思う。フーコーやバトラーのような理論的説明も一切ない。それはおそらく意図的で、おそらく「まずは読み切らせる」ということを企図したのではないだろうか。つまりそれは、各々の認知の範囲の中で好き勝手な議論ばかりするのではなく、まずは最低限、基本的な知識を獲得しましょう、という至極当たり前な条件設定である。現状では、この基本設定がされていない人々によって制度設計の議論と実装がされているのだから、それはまさに「命の問題」(P91)なのであり、緊急対応として本書は書かれたのだろう。

無論それは繊細さを欠くだろうし、筆者たちはそれを十分に理解している。本書にはこう書かれている。

「この本を読んでくださっている皆さんは、なぜこの本を手に取ったのでしょう?トランスジェンダーについて知りたいけれど、分かりやすくまとまった文章がない、と思ったからではありませんか?/書き手である私たちは、そのことを知っています。シスの人でも分かるような、読みやすく、整頓された文章を書けば、みんな読んでくれると信じています。だから、私たちはこの本を書きました。しかし同時に、私たちは知っています。こうして分かりやすく平易にまとめた文章ではない、トランスたちの雑多でカラフルで、苦痛に満ちたリアルな声は、やっぱり無視されるのだと、知っています。あなたの元に届いている「トランスの声」には、すでに偏りがあります。この本を書く私たちは、その事も知っておいてほしいと願っています。」(P113-114)

自分にはこの本は、「概念」を巡る闘いであるようにも思えた。「トランスジェンダー」に限らず、属性を示す概念は不可避的に、具体的な個々の生を抽象化し細かな差異を捨象する。しかし一方、例えば「クイア」がそうであったように、概念を導入する事で人々がアイデンティティを獲得し、社会運動を駆動する事もある。ひとつ確実なのは、およそ人間と呼ばれる生き物は、概念をなくして現実を生きる事はできないという事であろう。本書に書かれた様々な「概念」を整理し、その布置をアレンジし、実装化させること。そして、概念のアレンジメントを通して認識の更新を迫る事。それは、例えば高桑和巳が『哲学で抵抗する』で示した、「哲学とは、概念を云々することで世界の認識を更新する知的な抵抗である」(p27)という定義に合致するように思う。

#高井ゆと里
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#トランスジェンダー入門