みんなで何とかするために政治はある
死ぬまでに「政治学」についての本を書こうと思っていろいろ勉強してきた。しかし、この期に及んで、そんな考えている場合じゃないだろう、という声が、どこからともなく聞こえてきた。そう、走りながら考えていこう。
不格好でまったく洗練されていない文章の連続になると思うが、ご容赦いただき、忌憚のないご意見をいただきたい。
政治学というものが必要なのか。公務員試験講座の講師として政治学を教えているが、政治学の地位は惨憺たるものだ。難しい、答えを見つけにくい、点数が取りにくい…など。政治に携わるはずの公務員志望者には不人気な科目だ。講義を聞く分には面白いらしいんだけど。
こんな声も聞こえる。政治学なんて詐欺みたいな学問だ。政治が全然良くならないのに、何が政治学だ、と(多分、経済学もそう言われている)。
古代ギリシアの話をする。
アリストテレスはそのものずばり『政治学』という本を書いて、有名な「人間はポリス的動物である」という言葉を残した。ポリスという言葉は、国家という意味でもあるし、それを営む政治という意味でもあるともされる。
彼は、国家において人間は最高に自足する、と考えていた。そのため、みんなが国家を自足させ、それによってみんなが自足する、政治というものを考え、学ぶことは、言うまでもなく大事なことだと考えていた。
自足する、言葉を変えると、自分(たち)の力で何とかしていく、ということになるだろう。
いま、それができているだろうか。自分たちでやっていけない人が、コロナでたくさん生まれてきた。いまはやっていけてる人も、いつやっていけなくなるかわからない。国家の力がなければ、やっていけない人だらけになってしまうかもしれない。国家すら、やっていけてないのかもしれない。
「やっていく」ための営みである政治について、こういう時代だから考えることに、僕は大きな意義があると思う。
とはいえ、それを考える、じゃなくて、学ぶ、「学する」とはどういうことなのか。次項ではそれを考えていきたい。
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