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寺山修司『書を捨てよ町へ出よう』を なぜか思い出した。

 noteのいいところ、悪いところ。そのひとつに、何を書こうかと思ったとき、いいこと、悪いこと、いろいろなことを考えることだ。
 いいことは、そのもの。悪いことを思い出すのは、考えものではある。
できれば思い出したくないことも、忘れたいことも数多くある。
 それはそれで、しかたがない。あったことだし、思い出してしまった。
 なぜか、寺山修司という歌人、劇作家がいた。1935年生まれで、昭和58年に亡くなっている。私の若い頃、青春時代に活動したと考えられる。
あまり印象はないのだけれども、なぜか憶えている。
 NHKにも、よく出ていた気がする。若くして死んでいる、まだ47歳、わたしは、もう69歳、よくぞ長生きしている。1.5倍だ。
 スマホを見ると、「天井桟敷」などと前衛演劇グループを主宰していたようだ。その名前にきいたことはあるが、全然、わからない。
 そういう時代があったのだと。
 テレビで、重信房子とか日本赤軍とか、国葬を前に、朝日新聞社が安部元総理を狙撃・暗殺した山上哲也を擁護してテロではないとの映画を発表、記事にしているのを見て、まだ赤軍派で社会と対峙しているのかと驚く。若い頃、テルアビブで多数の民間人を岡本公三がまだ生きているのと、同じ驚きだ。もう半世紀も大昔のことではないか。
 記憶は、時の経過とともに薄れていく。
 去る者は追わず、日々に疎し
 思い出しても、しようがないこと。
 あの絶大な権勢を誇った安部元総理、もういない。私が、定年退職やその後の勤務再任用し、大学職員で再就職した頃、日経新聞が読まれずに新しいまま、放置されていたのを読んで経済に興味を持った。
 日経平均が20,000円を切った。
 そんな記憶、いまは円安や物価高騰とかいいながら、27,000円を推移している。
 安部さん、がんばった。
 安らかにお眠りください。67歳、若くはないが、老いてはいなかった。
 一般的な日本人は、ごく一部の狂人を除いて、おおむね思っていると信じたい。人は、いつかは死ぬ。とりあえず目の前にある現実に進んだ人である。
 今宵の想い、満月だけど、雲で見えない。
 また明日がんばろう。

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