人生の途中退場、私は一応、第一試合もその後も終わっている、まだ次行こうかという気は満々
永いこと人をやっていると、嫌なこともたくさん、いいこともまずまず。そういう意味合いでは、良好に推移した人生、山あり谷あり。裕福な家庭で、しっかりした人生観を持てるよう指導、教育され、なにかとフォローしてくれる親・親族、教師、友人たちに恵まれ、自分の好きな進路や環境で青春時代を遅れればと思うことがある。みんな、そうだろう。
そうでないから。
いずれにせよ自助だけがたよりの人生。共助も公助のない。
これからも。
学校時代の友人、大学受験失敗から家業を継いだが続かず、スナックのマスター、イケメンでスポーツマンだっただけに女にもてた、それだけ。宗教団体の若手トップランナーで創立まもなくの宗教団体直系の大学に入り、その後、音沙汰なし、それも。中学校で四国一の陸上アスリート、30半ばで同じエッセンシャルな公務員、あれっ?そんなもの、体育会系の美味しいのは。まだいい。
職業生活の知人、上司。同僚、友人は少ない。はじめのうちは、出世レース、あまり関心がなかった、そういうことじゃいかんわ。なんせ、東大卒の上級試験組、休み時間に「何してんの?」と見たら、フランス語でなんか書いてた、この人は女性。こちらは大学中退でひきこもり3年、基本的に大学教育はない、大卒との給与格差も大きい。中退を反省・後悔しても始まらない。ほかの大学は、そう驚きは少なかった。国立外語大とか慶応、早稲田いたけど。いろいろあってエッセンシャルな公務員で研修が一緒、半年間合宿、研修と訓練。しかし、やはり4年間の勉強・研究の差は大きかった。
40歳過ぎて、はっきりレース展開の有様が如実ででた。いまとなっては、まったくどうでもよくなった。一番だからどうって、どうでもいいわ、他人のことなんか、自分が給与を保証され、家族を養え、奥様のご機嫌を撮れ、単身赴任できる許容の範囲に転勤を抑えてもらう。それが目標。近場ねらい。どこでもいきますなんて、とんでもない。北は網走から、南は西之表島まで。海外あれば行きたかったけど。
狭い近場だけでも、うつ病などの精神疾患、脳梗塞やなんやかで途中退場が一番気の毒。何人も何人も、なんでそんなに途中退場するのって思った。なかには使い込み、100万円ぐらいでばれて依願退職、貸したるのにっては思う、本当に言われたら、バカじゃないのって言うかも。
その他いろいろなことで、定年までもたずに途中退場、かわいそうというか気の毒というか、運が悪いというか、愚かなりとしか。
69歳まもなく、数えの70歳、よくここまで元気でおれた。渋沢栄一の93歳までは及びもつかないが、日々努力と健康をモットーに頑張ります。
ところで、これから残り少ない元気な日々をどうするか、それが問題だ。
答えはない、自分で創る。
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