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雨が降る降る 人馬(陣羽)は濡れる 越すに越されぬ田原坂

 終日雨が降った、洗濯物のベランダ干しどころではい、時に強い雨が。
それは鉛色、祝日で、人や車の動きも少ない。
 雨が~といえば、いろいろな歌がある。思いついたのは、西南戦争で西郷隆盛率いる私学校党が政府軍を迎え撃ったが、戦線膠着の末、政府軍が勝っ闘いである。その苦難を歌った熊本民謡。
 その悔しさ、物悲しさが哀調込めて歌われている。
 一度行ってみたい、なかなか行けるものではない。過去に、何度か、この近くを訪ねる機会はあった。中学校の修学旅行、熊本城、外から見ればさすが加藤清正、中へ入れば大阪城と同じな近代的な雰囲気。佐賀へ仕事で出張、どこで乗り換えるやらわからないで、ハウステンボス行気に乗って、なにかヨーロッパ風の女の子の服装をしていた乗員、ちょっと変わっていた。妻の両親の郷里である鹿児島の薩摩川内へ結婚挨拶へ。なにかと遠くへ行くものだ、それなりの理由があった。
 歴史が好きで、NHKのいろいろな歴史物、特に西郷隆盛がらみが多い。
 一番関心を持ったのは、膠着した田原坂での戦い、最終決着は、政府軍の切込み隊、警視庁から派遣の政府軍で、日本刀を抜刀で敵陣に切り込むという特別攻撃隊、この募集に応じたのは、元薩摩藩士、しかも下級武士出身、相手は同じ薩摩藩の上級武士を中心とする私学校党、同じ鹿児島県人、旧薩摩藩人で白刃を交え、政府軍が勝った。
 永年、先祖代々に渉る恨みつらみ、悔しさが一気に噴出したことだろう。
大義正義より私怨、それはそうだろう。同じ人間として生まれながら、出自で差別される。いまの日本も、それが顕著、まだ再び、革命を起こす必要がある。腐敗、日々堕落していく日本、立て直さないと、もっと沈む。
 そんなことを考えた。
 この雨の田原坂をうたった歌を想い出して。
 同じく戦場であった関ヶ原は、西国巡礼の折、途中下車してレンタサイクルで回った。広い割には、なんにもない土地であった。
 ただの野原、住宅地や工業地ではない。荒れ野でもない、ただの野原、昔の戦死者の想いがあるのか。その中に、高速道路と新幹線がまっすぐ走っていた。
 場所は違うが。
 静けさや岩にしみ入る蝉の声
 夏草や兵どもが夢の跡
            松尾芭蕉
 芭蕉も、関ヶ原を歩いたことだろう。生家に近いことだし。
 おやすみなさい。

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