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寒くなるかと思えば、昼間は汗をかく温かさ、夕方夜はひんやりと。心と身体に気をつけたい毎日が続く。でも冬はもうそこまで

 ど根性日々草、まだまだ元気。もう水やりすると、かえって花に悪いかなと思うほど、温度は下がっている。朝は、午前6時過ぎやっと明るくなってくる。夕方は午後4時には夕暮れになる。
 いつもの神社通い、今日は所用で、夕方、境内で遊んでいた小学生3人、私が神社本殿に参拝すると、
 「こんにちは。」
 ちょっと何の意味かわからない。鳥居を出た頃、
 「ありがとう。」
近頃の小学生、昔ほど幼くはない。意味不明の挨拶ながら、こっちも当然挨拶返しは、当り前のこと。挨拶した。やはり神社の境内、それなりに神仏の御威光か。
 夕暮れ時、公園と近接する神社、夕陽が眩い。

ちょっと変な雲、夕陽に黒雲が重なった。

 午前中は、ベルコという冠婚葬祭会社の終活セミナー、たまたまの営業活動で会員になって毎月、イベントの案内をくれる。妻と一緒に参加した。
まだ30代と思しき店長さんの講話、なるほどと思う。まだ当分先とは思いつつも。つねに念頭を置くことは必要と思う。
 終活の外にも、老人ホーム、介護、認知症等々しっておくべきことは、あまりに多い。四女の障害にこと、孫の成長、自分自身と妻の健康なども、ボケる暇がないのが実情。
 一方で、永い職業生活で忘れていたいろいろな興味本位の趣味、文学、哲学、宗教、思想どれもこれもまぁ高校生レベルに毛が生えた程度。そのほか高校野球や天体観測も、最近、視野に入ってきた。
 職業生活完了後は、まだ65歳前だった。移行期で再就職やアルバイトもしたり、その後地域デビュー、自治会の役員から会長へ。
 行政や関係機関との折衝、いままで誰も積極的活動しなかただけに反発も結構、あった。それでも好きでやっていた。
 つまらないことで頓挫、自治会から引退した。
 その当時で知り合いになった人たち、ここ数年、コロナとは関係なしに、次々と亡くなった。そういう時期だったのかな。
 80歳を過ぎると、外へも出ない。偶に会うと、体調や諸器官の衰えを嘆く。私も、そのうち。
 祖父は76歳、父は84歳で享年を迎えた。
 しかし、その直前の生き方は、全然違った。祖父は胃癌を宣告されながら、遠くまで集金、帰宅して疲れたといい1か月後に亡くなった。温厚すぎる人で、私の齢には、私の長女に。「爺ちゃんは、私のこと、わからんよになった。」と言われる様な状態だった。それから十年以上、介護を受け、病院で亡くなった。私は、まだまだ元気、孫とやっと会話がきるようになった。ああじゃこうじゃと、私の孫、血液型も同じB型、有体に言うと、おしゃべり、饒舌。下の孫は、言葉数は少ない、赤ちゃん頃、よく我が家で預かったので、結構、親和感がある。まだ二人。もうこれでお仕舞かも。
 とにかく一日いちにち、健康で元気で暮らすのがいちばん。
 昨年末、自転車で転倒、ぎっくり腰&積年の腰痛で一年間苦しんだけれども、こんな苦しみ、よくぞ耐えた、世間の皆様がいろいろ苦しんでいるのを横目で観ながら平然としていたのを反省するばかりです。
 なんにやかと、いいながら、noteも363日連続あと2日で1年です。皆様ありがとうございます。
 日々継続することへの気合、脳と身体の活性化対策、意志の強化などいろいろありがたいことがあります。
 今後ともよろしくお願いします。
 なにかハイテンションです。
 今日、お褒めをいただき精神が高揚しております。
 では、また明日の日がいい日でありますように!
 おやすみなさい。

ちょっとピンボケ

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