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少子高齢化、ひきこもりなどの対策についての行政や教育機関の働きかけについて

 かつて若い頃、数年(3年ぐらい)のひきこもりをした経験者としては、昨今、行政などが力を入れていると思われる少子高齢化や引きこもりなどについての施策、他人事とは思えないテーマである。しかし、当事者にとって人生の過去の1ページであり、わが人生に大きな影響としこりはあったが、いまとなっては、もうどうでもいいことである。
 いまの、またこれからの引きこもりの方々のことに思いを致して、考えてみたい。少子高齢化は、別の機会に書くとする。ちなみに、私は4人の子、2人の孫がいる。ひきこもりとは違って、問題はない。
 私の場合、家庭、親類そして知人、友人からの支援はまったくなかった。
むしろ糾弾、避難、圧迫だけであった。少なくとも、本人がそう感じ考え、根に持っている。それで故郷も捨てた。
 親しい関係とは、思っていない。
 世界的、歴史的に例えれば、インドやエジプトなどがイギリスに対して、どういう感情を持っているか、現在の世界体制で旧宗主国の影響や制度的、文化的、経済的、政治的に関連があるから、いまなお繋がりがあるのであって、それだけのものである。いずれ数十年経てば、その関係も薄れるであろう。そうした関係だ。私の場合、親、親類は、ほとんど鬼籍に入り、それなりの礼をもって送った。やれやれである。多くの人が、そうではないか。
 知人・友人も永年の疎遠から、なんの関係もない。
 私自身、郷里を離れている。
 一度、行政のひきこもり対策を聴いてみたいものだ。
 何の経験や理解もない、あるいは少ない、ただ、その部署に配属されて、前任者や上からの引継ぎや指示で動いて、教育や心理の学者の理論で議論しているのか、はたまた優れた施策があるのか、知りたいところである。
 精神疾患から流れ流れで引きこもりになった者まで多種多様である。
 その原因や状況は、まことにケースバイケース、個々である。
 安易に、「外へ出ろよ。」、「働いたら、どうか。」、「みんなと一緒に。」、そういうのは簡単である。
 最後は、当事者自身の決意と断行である。
 そこに至るのが難しい。
 多く新聞で見かける、ひきこもりと思われる人の犯罪や事件、わが事のように見える。
 危ない橋であった。他人様の軽々な言葉に乗って、繰り返しの誤りをするところであった。彼らは、それで、また笑うのである。
 人間は、こわい。

昼間はいい天気だった。

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