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虹の向こうは、晴れなのかしら・・・

 昔、若いころに流行った歌。人気絶頂だった。しかも、いい曲だった。天地真理、名前もいい。宗教的というか、文学的、メルヘンチックとさえ思える。

 一般的に、学校で「虹の向こうは・・・」、そんなのあるわけないじゃん、変わらない状況だ、たまたま地球の天候、温度などなどで科学的に説明されてしまい。納得できるかできないかは、ともかく。馬鹿な発言とかたづけれてしまう。それは、空虚な発想。

 私はお月様が大好き。ニール・アームストロング船長が月面着陸、やっぱり月は、死の世界か。命を懸けて月に行き、命のない世界で、実感する。ほんとうかどうかしらないが、アームストロング船長は、後に牧師になって神に仕えたという。気分的には、同感する。理解するのではない、同感するのだ。

 理屈はいろいろある。アインシュタイン級の学者や偉い人の学識、強いて言えば、どうでもいい。

 宇宙は始まって何百億年だったか、科学的に、それはそれ。月にうさぎが餅をついてはいないのはわかる。心の中で、お月様という別世界が孫座してほしい。例えば、阿弥陀様やイエス・キリスト、まだまだ人間世界に影響力を持っている。あのISのように自爆テロを敢行する信念は、日本人にはない。

 ただ、75年位前、神風と称して、自爆テロまがいの自殺攻撃をやったのは事実である。以前、イタリアに観光旅行した時、突然、軍事訓練があって、日程や行動がストップした。イタリア人は、驚くこともなく、粛々と君欄に従い、また文句を言うこともなく、終了の指示を待っていた。

 日本人は、そんな突然の訓練はない。翌日の新聞には、”KAMIKAZE”と大きく報道されていた。日本人として、厳しい現実だ。

 虹の向こうは何なのか、理想や目標である、それなしには、元気で頑張れない、なければ造ろう。科学的でなくてもいい。命を懸けられる何かを。

 とりあえず家族。これは間違いない。吝嗇(ケチ)な私も、孫には優しい、金銭的なことでも。惜しまない。なぜだろう。

 でもいいんだ。大切な存在、金よりも愛。

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