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仕事と人生と、そして趣味と生きがいと

 リタイアして何年か、もう働く気はない、働けない。
 金は要らない、年金と預貯金・株などの少ないながらの資産、
戦争や大不況が起きて、これらが価値が無くなったらどうしようと思うが、どうにもならない。社会がみんなそうなるから、それなりに生きていかないと。先の大戦、いわゆる戦後での生き方は、昭和27年生まれだから、はっきり言って知らない、貧しさは身に染みて体験しているからわかる、その程度だ。
 手に職をつけてと工業高校へ、自由で気楽な学校生活、映画や読書、女がいないのがいいのか、悪いのか、面白く愉しい有意義だった。クラブは、ヨット、登山、写真を渡り歩いた。どれもモノにならなかったけれど、いい先生やいい先輩いい仲間と愉しい時間を過ごせた。懐かしく思い出す。
 ヨットで海に出て、当時の高松と宇野を結んだ連絡船、近くまで寄って両手を振った。徳間の山奥で、先輩と川に水を汲みに行って、カレーを作った、テントで寝たり、ものすごく星がたくさん見えた夜の空、数少ない女の子と栗林公園で写真と撮ったり、青春時代まっさかり。
 それが高校2年、大学へ行こうと思い立った。時は、大学紛争真っ盛り、先輩が五浪ながら東大亡き京大へ合格、しかも文学部、あぁすごい。
 俺もやるぞって。
 しかし残念ながら、合格したのは、京都のキリスト教系大学、それで満足して、それなりに頑張ればいいのに、甘い考えで、再受験、落ち込んで、そのまま引きこもり。ちゃんと落ち着いて考えれば、よかったと今になっては思う。
 なんやかやあって、社会参加した、なんとか人生普通の社会人になった。
 エッセンシャルな公務員、転勤13回、50歳過ぎると単身赴任、組織内昇進も嫌になった。
 上司や上級官庁への追従、転勤生活、そのまま戦線離脱した。
 勤めながらも、低空飛行。海外旅行や読書、映画などで人生を愉しんだ。
出世した同僚が呟いた。
 「俺の人生、なんだったんだろう。」
私も、そう思う。
 組織は定年などで離れたら、御仕舞い。まともに勤めが続かず、不祥事や病気で途中で辞めた友人知人も多い。
 いまなんとか安定して落ち着いた人生、有難いと思いつつ、ほんとうは、いい人生って、どんなのだったのかなと思案する。
 もう遅いけど。
 反省と後悔しつつ、今日も元気に過ごす。ぎっくり腰&積年の腰痛で、つらい思いはしているけど。
 残りの人生、がんばって愉しもう。
  

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