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老いの健康、死ぬまで元気で

 69歳にもなると、さすがに、若くはないと自覚している。自宅の北側、朝な夕な通学する高校生とは、半世紀の差がある。正確には、それ以上。
 一病息災という。私は、とりあえず高血圧、定期的に通院している。毎朝毎晩、血圧測定して、自分で納得した基準値を超過しいると、医者から貰った薬を飲んでいる。飲むと、数日は、基準値未満が続く。
 とういった体調や状況になると、血圧が高くなるか、素人判断ながらわからない、医者にもわからない。精神的なストレス、ないこともないが、もう開き直っているので、ストレスとはいえない。睡眠不足とか、内臓疲労も、ない。食欲その他のことは、普通、年相応に。
 知人や友人に、脳梗塞や脳卒中といった高血圧から来る疾患で、まともな生活ができない人も、現実的に知覚している。
 そのうえで、自分勝手に判断している。悪くなったら、どうするんだと、前の医者は言った。どうするも、こうするも、それは私が決める。そうなったからと言って、その判断をした医者は、なんの責任もとらない。私自身の自己責任だ、決裂で、医者を変えた。
 かかりつけ医なんて言っても、新聞紙上で見る限りでも、厚生労働者と医師会で、決定していない。一般的に、診察している医者を指しているだけのもの。医療事故として後々の対応、経済的なこと、医療的なことすべて責任を持ってくれるなら、まだしも、そんなことはない。適切な措置を怠ったとして、残りの人生を保障してくれない。
 国民一人ひとりが、医療を研究して、治療法、自分の症状・病状及び原因や対策について、五分と五分で話し合える医療でないと、完ぺきとは言えない。
 コロナでも、そうだった。いろいろな変な取り扱いがなされている。
いまこそ、医療の不正不備を匡すべきとき。
 要は、自分自身で自分の健康状態を知り、考え、そしていつか死ぬ身であることを自覚したうえで、専門家である医師と相談する姿勢が必要であろう。
 私は、眼鏡をかけている。テレビを観すぎて、ちょっと視力が落ちて、父親に相談したら、大きな病院で検査、近視だから、はい眼鏡って感じだった。日本人は、顔にコンプクレックスも持っており、眼鏡で補おうとする。
 いまのマスクで、顔を隠すのが好きなのだ。
 なんにせよ、自分で納得いく言動をしよう。
 逆切れ老人の言としてではなく、一個の独立した人間として考えたい。

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