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「ただいま」、「おかえり」背にした言葉 さすが夫婦

 今宵、十三夜の月、写真を撮ろうとコンデジを月に向けて頑張っていたとき、背中で、私より少し上の男性が帰宅、奥さんが戸を開けて、その二人のやりとりである。普通の当たり前の会話、でも、なんて心安らぐ内容だろう。深い意味はない、お互いの存在と無事を確認してホッとする一時である。かくありたいと思う。

 いま未婚の独身が多い。結果的に、少子高齢化、私の娘には従兄弟が一人しかいない。転勤族なので、幼馴染がいない。偶に会っても、もう面影はなく寂しいと、よくぼやかれた。私だって、幼馴染なんてのはない。従兄弟は男女合わせて15人いるが、まだ気の休まるのも何人かはいる。姉のような存在もいる。しかし、お互いに老いた。

 結婚して、永く続く夫婦はいい。そうでない夫婦も多々ある。先輩で若い頃には、夫婦仲がよく、子供も三人いて、微笑ましい家族が、20年ぶりに在ったら、奥さんが変わっていたなんて。よくあるらしい。

 弟は未婚で、母が亡くなって、管理していた財産、自分の生きている間に遣い切ると。残しても仕方ないなんて、寂しいこと、自己責任だろう。資産は、大事に生かせよ、と思う。なんで結婚しないんだ、昔は、たえず詰問したことがある。それなりの理由があるのかもしれない。もう問わない。

 私が家内と結婚する話で、母は、「お大師さん(弘法大師)に相談する。」と。故郷の少し山奥に、そのシャーマン(巫女さん・お使い)はいた。家内は、特に問題なく合格。母は、「これの弟がいます。先々どうでしょうか?」と第二の矢。巫女様、しばらく拝んだ後、「お母さん、お大師さまは、この子は、その気がない。」とのお託宣でした。そして、結果は、そのとおり。なぜそうなったのか。摩訶不思議。家内のことも、ほぼ当たり。

 それから科学的でないことも、考えるようになった。だけど、どうしでだろう。いまもって、不可思議、でも結果オーライでも、私の場合はよかった。いまもって、なかよくやっている。それでいいけど。

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