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毎日散歩していると、自然が好きになる

 68歳の年金生活者、もういつ死んでもいいなんて、考えたこともない。

死ねばゴミになるなんて書物を書いた元検事総長もいる。死んだら終わり。

いま立花隆氏の「臨死体験(下)」を読んでいる。死に対する考え方は、基本的には、同じ。この70年近く一体だったこの身体、死んでも魂も意識も、すべて同じ運命、ある意味で、ゴミという表現。両親とも亡くなり、遺体を観ていると、死を痛感する。嗚呼、俺も、いつかこうなるのだ、母の場合、死に化粧もここまでできるか、というほど綺麗にできる。それも一日たてば次第にデスマスクそのもの。日本人が火葬を原則にするのは、肉親や知人をいきたときのまま脳裏に収めておきたいというのが本心だろう。昔、祖母や伯父がなくなったときは、あまり死化粧もなく、包帯みたいなもので、顔を覆って、見るからに死者という感じだった。 

 コロナコロナで外出自粛、言う方はいい。毎日、毎日、総理官邸や国会や会食場所へ行って、好き放題やっているんだから。一般国民は、暑いさなかにジッとマスクして、家庭内感染を気にして、日々暮らしている。そうことが偉い人は、全然わからない。わからない、わからないで一年半、過ぎ去った。元気のある気合の入った外国人は、政府に抗議して、マスク反対、外出自粛くそくらえ、政府転覆さえいとわない。それが菅さん、引きずりおろしに大賛成、都議会選挙、横浜市長選挙で自民党が大負けした理由、何もしない政府、国民に何も説明もしない、民主主義の根幹を揺るがす政府、自民党でいいから、新しい政府、なんかやって。医療崩壊してもいい。クリニックはドア開けっ放しで、外で患者を待たせている。待合室は、密、密、密だらけ。

 やっとオリンピック、パラリンピック、よく考えると、菅さんには、中止する権限も気力も能力も意欲もなかった。それだけの存在。JOCの山下さんも同じ。ただ人がいいだけの骨董品。むかしオリンピックに出ただけの人。

 次の総理大臣、やることやってね、いい人ではつまらん、やる人であってほしい。やらないになら、誰でもやれる。猫でもできる。


 

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