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人間関係リセット症候群なんてのがある。そのものズバリだ、わたしに。

 自分や他の人を観ていると、様々な感想や思いを抱く。
 特に、自分を客観的に見ると、他人や社会に誠心誠意、よかれと思って行動しているのに、相手は逆に理解している。残念だ。
 だから、意図した以上に、当方も感情的になり、時には怒る、憤慨する、根に持つ。社会人になって、同年代の人、ライバルというより敵で、足の引っ張り合いになり、喧嘩寸前のことも多い、警察や司法組織がない世界なら、とっくに実力闘争だったかもしれない。
 きっと医学的には、何とか症候群という病名がつくだろう。不安神経症とか適応障害とか、畏れ多くも皇后陛下に、そのような病名をつける医師もいるくらいだ。それは地位や立場には関係ないのだろう。
 所詮、弱いで終わるのかもしれない。
 そっちの対策、意識転換の方がLGBTQより優先すべきだろう。
 いま流行のチャットGPTで、この状態を検索すると、なんと”人間関係リセット症候群”なんて内容が出てきて、たちまちの改善方法の指導概要がでてくる。人間の医師なら、どういう指導ができるのか。
 こういうAIが、さらに進化したら、医師は不要であろう。
 それなりに医学は進歩するから、失業はせんだろうけど。
 将棋の藤井8段か、コンピュータで研究し、師匠や同じ将棋の有段者とも対戦して、あらゆる将棋の戦法をマスターしているとのこと。これを学ばないと、人間はAIに使われれることになろう。できるかな。
 様々な電子機器や機械、その構造や機能を知らなくても、十分使えると思て散る。しかし、それで、その先のAIの時代を生きているか問題ではあろう。
 すごい時代が目の前にある。
 人間関係のない世界、それはそれで私は気楽ではある。そのような世界に、果たして生きて行けるか、それも不安になる。
 人間は、困ったものだ。
 機械は、困らない、だから怖い。
 先のこと考えてもしかたない。取り越し苦労かもしれない、あと18年生きたら、普通は死ぬかそれに近い。
 自分より若い連中が死に至る病になっている。喜んでいいのやら、漢詩むべきなのか、どっちにしてもいずれは死ぬ。
 死ぬとき、病的状態も膏肓としているから、思うほどには悩まないだろう、ただ痛かったり、病的につらいかもしれない。その時になってみないとわからんし。
 どっちにしても、今日はもう夜、明日に架けよう、自分の橋を、ちょっと古いか。
 おやすみなさい。明日も元気で。

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