部屋のなかの部屋

 喫茶店の方が自宅より集中できる。環境音があった方が集中できる。周りに音があると、それを押しのけるようにして「閉域」を頭に作り出すみたいな感じがある。とはいえ、会話の中身がわかると聞き耳を立ててしまって落ち着かないから、喫茶店ではノイズキャンセリングヘッドフォンをしている。そうすると、まだ薄く環境音が聞こえるが、ノイキャン独特の「圧がかかった」ような状態になり、お店にいながらその場で半透明の個室に入ったみたいになる。

 自宅は静かなので、全体的に気が散ってしまう。静かすぎるとかえって小さな物音が気になるし、机の端っこのホコリが気になって掃除したくなったりする。自宅では「いろいろなことができてしまう」ので、当座やるべき仕事がたえずその「可能性の海」に溺れかけている——というと大げさだが、やるべきことを「有限化」するのが難しいのだ。喫茶店にパソコンを持っていくと、パソコンでやるべきことをやるしかなくなる。また一日中いるわけにはいかないので、暗黙裏に時間制限がかかる。その時間的圧もあって集中できるわけだ。

 自宅での執筆を喫茶店の状態に近づけようと試している。

 これまで効果があったのは、自宅でもノイキャンをつけること。ノイキャンはこれまでBOSE、ソニーと使ってきて、いまはAirPods Proなのだが、部屋のなかで部屋に入ったようになり、意識のフォーカスが狭くなって気が散りにくくなる。
 それだけでも効果的なのだが、少し離れたところでiPadなどで喫茶店の環境音を流しながら、その上でノイキャンをつけてパソコンに向かったら、まるで喫茶店にいるのと同じになるのでは? と思いついた。それで今日試してみたら、確かにその通りで、ヴァーチャル喫茶店みたいになる!

 でも、わざわざ外部で環境音を流した上でノイキャンする必要はないのかも、AirPods Proで小さな音量で流せばいいのではとも思ってやってみたが、それでもいいのかもしれない。離れた位置で音を出してノイキャンした方が空間の広さを感じるので、よりリアリティがあるように思うのだが。

 それから、先日思い立って、デスクの横に立てる衝立を買った。デスクのある空間は左側がオープンで、隣の部屋にそのままつながっていて、解放感はあるのだが、それが集中の妨げなんじゃないかと思っていた。
 パーティションを切る、というわけだ。それですぐ思いついたのが、籐(ラタン)の屏風みたいな衝立だった。安くて無難なデザインのものをすぐ注文した。インドネシア製だという。

 籐の家具というのは僕にとって特別なものだ。幼い頃、実家には籐製品がいろいろあった。椅子を覚えている。僕の揺りかごも籐のものだったというのだが、それはよく覚えていなくて、先日母に聞いた。20代前半の両親は父方の祖父母と同居していたが、若夫婦が暮らす二階だけは、お洒落な家具しか置かないと決めていた。僕が生まれることになったとき、両親は原宿にある籐家具の専門店で揺りかごを注文したのだそうだ。

 僕が自分から進んで籐のものを買うことには少し気恥ずかしいものがあった。
 すぐに届いたのだが、ラッカー塗装がペカペカしていて、なんだか安っぽい。それでも、自分の根底にある「あの感じ」がいくらかはそこにあると感じる。

 いま、左側にその衝立がある。それが視界を遮断し、こちらに圧をかける。というか、僕はそこに精神的に寄りかかることができ、寄りかかった反動でキーをタイプしている気がする。その向こう側から食器をカチャカチャいわせる偽の環境音が聞こえてきて、それも圧として働くのだが、それを押し返し、林のなかにある空き地みたいな意識のスペースをつくり、そこに言葉を叩きつけていく。

 左側。思い出したが、高校時代の勉強机は左側が壁だった。その部屋がある家は、家族が破産した後に競売に出され、いまは知らない人が住んでいる。かつての僕の部屋がいまどう使われているのかはわからない。



 

 

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