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栃尾の呼ぶ声:僕は死ぬまで「テンゴ書き」

母の友人だったSさんに毎日お裾分けをお持ちして、話しをしている。Sさんは新潟県中部の「長岡市栃尾地区」のお生まれだ。幾度も繰り返される栃尾の失われた風景、その時代への想いが僕に伝わったのだろうか。どうしてもこの目で見てみなければならないと感じ始めていた。栃尾に行くことにした。丁度、娘さんがお孫さんのところへ行くことになってショートステイで施設にお泊まりであった。3日間の休暇(?)を頂いたので、食事の味見や食文化についてのお話をお聞きしている時に話に出てきた「栃尾」をこの目で見ることにした。Sさんとの事を書いたペーパーを作り説明が面倒でないように数部持って栃尾に向かった。

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まずは当たりを付けるために、当時の織物業の様子などを図書館で調べた。

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1954年に合併で栃尾市は生まれた。織物業が盛んで多くの繊維関係の企業(皆個人事業)が林立した。Sさんは市政が始まる前(昭和9年)に生まれて、戦争を小学生ぐらいで過ごしている。母は昭和3年生まれなので6つ年下であったそして敗戦とその後に来る嵐。

地場産業は方向転換を余儀なくされ、グローバル化の波にさらされていく。やがて家業は廃業する。今や街全体がかつての賑わいはない。やがて2006年、長岡市に合併される。今は栃尾油揚げが有名である。

新発田でも「大倉製糸」は大きな企業であった。養蚕の農家も多かったであろう。当時のことは知る由もない。

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街の商店街は、ご多分に漏れずシャッター通りとなっていた。Sさんの母方の実家は今でも大きな料亭であった。

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女将さんは気さくな方で、僕の作った資料をお持ちして今の経緯を話したらお時間を割いて頂けた。小一時間お話をお聞きした。

女将さんのお母さんはSさんと大変仲がよく、楽しく過ごしたお話、Sさんの面影がお母さんにそっくりだというお話、当時の家どうしの繋がりの素晴らしく興味をそそられた。考えてみれば、地域で人が生きていた時代は皆親戚のようなものであった。家どうしは協力や衝突を繰り返して、政治がそこで生まれていたのだ。

『百年のお裾分け』の事も話したら、大変素晴らしいことだとおっしゃって頂けた。人生を料亭の女将さんとして過ごしてきた方にそう言われて涙が滲んでしまった。

春になったらSさんのご家族と、妻と皆で食事をしに来たいと思った。きっと春になれば、Sさんは元気いっぱいで僕の食事を食べていることだろう。僕は食事の力を信じている。

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お父さん方の実家はお菓子屋さんであったが、今はもうお店を閉めていらっしゃった。30分くらいお話をお聞きした。

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Sさんの旦那さんとは高校が同級だったとか、色々と素敵なお話をお聞きした。何と多彩な人のつながりがあることだろうか。人生に波風があり、苦労なさっていることが言葉の端々に感じられる。今は、人生の波風も収まり達観している奥深さを感じた。寛解と言う言葉を思い出した。

かつて私達は、深い根を持ち広く繋がり合いながら共に生きていた。父と母の親戚の繋がり、本家分家の確執、親子・夫婦の諍い、時に憎み合い愛し合い、共に年老いていっていたのだ。家族という枠組みは生きるために必須のものであったから飛び出すことも、はじき出されることも大変な人生の転機であった。今、私達が自分が属する企業・組織に対して持つと同じ様に複雑な関係性がそこには存在した。パワハラもセクハラも別に今に始まったことではない。

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お別れする時に、「あんまりテンゴかかんほうがいいぞ」と言われて、意味か分からなくて聞いてみた。転合書きテンゴガキ」というのは色々なことに手を出して、どれも上手く行かないことだそうだ。何という洞察力であろうか。まさに僕は「テンゴガキ」である。調べてみたら大阪の方の言葉で「落書き」のことだそうだ。今度、名刺の肩書にしよう(笑)。スペイン語では「tengo」は「have」のような意味だという。こっちの方がかっこいい。

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栃尾と言えば油揚げ、スーパーでも売っているが、やっぱ現地のものは違う。めっちゃ美味しかった。

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挽き肉を包んで煮付けたのは素晴らしい。今度作ってみよう。

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家に帰ったら6時過ぎであった。妻と二人で食事をした。昨日は大荒れであったが、こちらも寛解であろうか。この話ままたいずれ。

久しぶりの遠出だったねと妻は言う。考えてみると、仕事以外での遠出はほとんどしたことがない。声に呼ばれるままに旅をした。人には聞こえない声が聞こえるのだ。統合失調症である。よく効く薬が有ると医者は言うが、僕にはいらない。

まだ、僕の四千万歩は始まったばかりだ。

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#百年のおすそ分け

#栃尾

#栃尾油揚げ




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