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これだけ、ヒトが死んでいるのに自分は大丈夫と思うのはなぜ?ワクチンのお話
絶対自分は当たると思うから宝くじを買う。ワクチンで絶対自分は死ぬと思うから接種しない。「宝くじエフェクト」というべきものが有る。
宝くじにも当たる金額に違いが有るように、ワクチンにも副作用の大きい小さいが有る。「腕の痛みー>発熱ー>失神ー>血栓ー>死亡」これらの副作用は連続しているのだ。腕が痛いけど大丈夫っていう話を聞くと腹抱えちまう。運良く腕が痛いと言うだけなのだ。
TVの広報のスポットで、「腕が痛くなりますが当たり前の反応なのです」と毎日流れているが、その続きを隠している。時々「死にます」がそれも当たり前の反応なのです。というのが隠れているのだ。
宝くじ買わない人間と買う人間がいる様に、ワクチンをうちたがる人間とそうでない人間がいる。
そして一切の因果関係を認めようとしない行政の傲慢さが腹立たしい。
僕の娘はイレンザ(インフルエンザの治療薬)で死ぬ所だった。その記事にはとんでもない数のコメントが書きこまれた。嘘つき、バカ呼ばわりされた。当然、書き込む連中は「医療関係者」とその「忖度人」である。僅かな数の同じ目にあったという人も書き込んでくれた。
しかし、あの夜、「息ができない」と苦しむ娘を抱きながら、気が狂いそうだった。自分もそんな目にあってみればいいのだ。
しかし、「当たり宝くじ」並みに出会う可能性は低い。
今年のサマージャンボは当たるだろうか。
同じ目にあった家族がたくさんいるのだ。分かるだろうか?多くの人が確実に死んでいるのだ。考えるだけで辛い。
まもなく娘の会社で職場接種の二回目だ。一回目のときは、喜んで接種受けていたが、今回は発熱覚悟で受けるという。大きな進歩である。
「医療」を信じないことは、自分自身で生きるための第一歩だ。
娑婆のものは青信号でも信用できないからのう:菅原文太さん:仁義なき戦い 完結編 より
今日電話で友人と話していたらそんな事を考えた。友人は、医者が大好きで、ガンも早期治療しているタイプである。当然ワクチンも接種した。僕はがんが見つかっても放置する側の人間だ。生命に満ちた食事こそが、医者いらずの生活につながる。医者とは関わりにならないほうがいい。健康診断も受けないほうがいい。ソノ時間が有るなら、食事を素材から作るほうがいい。どちらにしても、食事だけがピンコロな人生を迎えさせてくれる。
このテレビは凄いお話である。まともなことが言われている。ようやくメディアでも取り上げられるようになってきている。
家族が辛いのだ。自分お家族が死んだらどう思う。想像できないのだろうなあ。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。