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オデンも人生も「用意周到」が大事(2012年〜2014年)酒の黒歴史の一部

オデンはシンプルな料理である。それだけに難しい。何度も繰り返すことで学ぶのである。オデンに限ったものではないが。

そして料理に失敗はない。繰り返して口にあうようにできるようになる。そして自分も変わり、美味しく感じる舌も変わる。

オデンを作った。

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コンビニのおでんを最初に食べた時はなんと美味しいものであろうかと驚いた。しかし、今ではコンビニのおでんは「お店の味なり」だなと思う。それぞれの具は適切な硬さと煮え具合で、汁は恐ろしく美味しい。それがコンビニのおでんである。

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「用意周到」は美味しいおでんの必需品だ。たくさんの具材をそれぞれに特徴が出るように下ごしらえをして一つに合わせて炊く。出会った「具」と季節、僕の舌が絶妙の味をくれる。ユックリ煮るのは素材の「生命=タンパク・脂質の立体構造が持つ活性」を失わないで身体の入り口まで迎え入れる為だ。そしてそれが美味しさなのだ。

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手羽先か手羽元、小ぶりのロールキャベツ、を弱火で下茹でしてアクを抜いておく。

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大根とレンコンは少し長めに下茹でする。下茹では終わったら水にとって冷ますことが大事だ。そうすると、組織の中にシッカリと水が入り込み味が入っていく。

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今日のオデンは、豪勢である

ゆで卵・手羽元・ロールキャベツ、里芋・人参・大根・レンコン、茗荷・椎茸・ナス、ごぼう巻・厚揚げ(地元産)・ガンモ(地元産)・コンニャク糸&角(地元産)この方々がジックリと味を出して一つになってまた吸い込まれていく。明日になるともっと美味しい。

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春菊のような葉物を入れてもいい。ほうれん草を最後に浸して出すといい。いよいよ冬大根がで始めてきた。一年の半分は美味しい「オデン」を食べる。

素材から丁寧にユルユルと煮るオデンは、『人生に煮られている自分』を思う。もう少し煮えたら美味しくなるやにしれない。

新潟の駅前に「関東炊き」のお店があって、春菊を一房さっとダシに通してダシてくれたことを思い出す。継ぎ足しで数十年していたもつ煮のお店がなくなったのはもう何年も前である。新潟に事務を作った頃に駅前の飲み屋には毎日のように通った。

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2011年新潟市内に事務所を出した

最初は、新潟県の「にいがた産業創造機構(NICO)の補助事業」に乗って結局はひどい目にあった。役所には言いたいことも多く有る。そのうち書くことにする。

指導者がつくのだかけど、これもやはりひどい馬鹿で呆れ果てた。もう死んでいるだろう。大手事務機器メーカーの役員を定年退職した馬鹿である。2009年の新潟国体でごフル集計システムを成功させて、これを売っていきたい、みてもらいたいと言ったら、「そんな物見なくてもわかる、国対のシステムには詳しんだ」というではないか。

自分でも新規企業を作ったんだろ言ってコンサルティングの会社の社長だと自慢するが、「にいがた産業創造機構(NICO)」以外の仕事などできるわけがない。肩書野郎であった。

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10年近く前に新潟の駅前に事務所を持ち寝泊まりしていた。一旗上がりそうだったのであるが、上がったのは白旗であった。座布団とられて退場。

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新潟港が一望できるオフィスであった。

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2011年の年初のことである。父母は、立派な事務所でびっくり位しておった。

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オデン作るくらい「用意姑な人生」がおくれればよかったのだが。

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思い出すと泣きそうになる。

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結局は、東京で10年続いていた会社の仕事のために借りて人を雇ったのだが、トラブルになりこの事務所は閉じた。

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市内の駅近の飲み屋に近い事務所に移った。この時期はとても糖尿が悪くなり、糖質制限を知った時期である。新潟市の企業育成であった。しかし、思い出すと胸クソが悪くなる。金だして、口も出すのである。

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年数回の報告会では、「マネーの虎」気取りの大学教授や老舗企業の社長が好きなこと言うのだ。未だに、あの時に僕のビジネスプランにケチつけたやつのことに腹が立つ。

一回、前回からのビジネスプランを変更しないで出したら、「私達柄をバカにするんじゃない」と僕を恫喝したバカがいた。親のあとついで既得ビジネスにかじりついて、新潟市から手間賃もらってふんぞり返って、新しいビジネスに乗り出しもしないやつにそんな事言われる筋合いはなかった。お前の金の補助金ではないぞ。

担当の市役所の職員が、異業種の会の話しをしたら、『「自慢コキ大会」したいんだな』と言ったのを聞いて殺してやろうかと思った。お前らは、役所から給料をもらっているのだろうかが、僕らは必死でお客さんを探す。人とのつながりで給料になるのだ。

そのために、自分をアピールする。それを「自慢コキ」だそうだ。うーんとひどい目にあえばいいのだ。竹竿が逆さに立っている落とし穴とかね。

新規の事業立ち上げっていうのは、社会の変化に対しての取り組みである。老舗企業だろうと、いつ潰れてもおかしくない。

その報告会で、「糖尿病の患者の苦しさを和らげるネットワーク事業をしたい」と話したら、「糖尿病は薬でコントロールできる病気だからそんな物必要ない」と言われたのには驚いた。新潟の私立大学の学長だという。こいつは失礼な男だった。もう死んでいるだろう。

大体からして、大学の学長などというのは大学で教授の下に侍從して小間使いとか、海外論文を翻訳とかしている間にコネ掴んで大学教授になっただけのクソ野郎(役人の事)が多い。セクハラ・パワハラの見本市である。社会を変えるような発見や苦しんでいるヒトを助けようなどという気はない。国に睨まえたらクビになる。

飲み屋が近く毎日のように飲みに行っては、泊まっていた。同じ事務所のスペースを借りていた会社の社長はとてもいい友人となった。元気だろうか。

新潟原発県民投票に随分入れ込んだが、いろいろな意味で失望した。この事はいずれ書かねばなるまい。->記録

この時期に300件新潟の企業を飛び込み訪問して、300万の仕事う受けて、500万の仕事を友人からもらった。

飛び込みマップ

僕は飛び込みのヒトや電話セールスの人が大好きだ、馬鹿にして見下す奴らも多いが、スズメバチに刺されればいいのだ。同じ様に頑張っている人ではないか。

この事務所に飛び込んできた派遣会社の人とは友人となり、い色々と勉強になった。今度飲みに行こうと言いながらのびのびである。こういう苦労して企業のチカラを伸ばそうとしているヒトこそが、本当に素晴らしい。新しく企業を作ろうとしている人に勇気をあげることができる。

飛び込みでソフトの開発受け取るとはお前ぐらいだと言われた。

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そして、ここも出ることになった。

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新発田の実家に帰って、母と父と暮らす日々になった。

そして2015年、眼底網膜所での失明宣言を受け、医療と決別した。

父と母の死から得たものを、僕の生きているこの「しばた」にお返しできないかと考えている。多分、この苦しさが一つの節目なのだ。

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見えなかったものが見えるようになってくる

10年まえに考えつかなかったビジネスプラン・ビジョンが見えてきたような気がする。失敗こそがチャンスなのだ。

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このオデンの味は、この10年で作れるようになったのだ。機会があったら遊びに来てね、これくらいしか振る舞えないけど。

僕の「四千万歩」はまだ始まっていない。

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人生の節目は後から見えてくるものだ。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。