百日紅とアケビの蔓
2016年母が亡くなって随分サルスベリの木を切った。アケビの蔓も落としてしまった。結局、百日紅の切った枝は庭の隅に放置してアケビの蔓は巻いていた。リースにするので欲しいという方がいたので差し上げたりもした。
百日紅の枝を立てて、蔓を巻いた。「地に向かう百日紅の枝」
古い鋸との組み合わせ。『切るものと切られるものそして忘れ去られる』お、良い題名がついた。
父が亡くなって実家は物置になった。どうしても片付けることが出来なかったのだ。
先日からのビジネスプランのための見積もりの方が来るので少し見ばよく整理することにした。
リースは初めて作るが、庭の菊と百日紅に絡んでいた蔦で作ってみた。なかなかいいではないか。
これは昔の鍬と鋤、柄は腐って落ちたのだが捨てられなかった。最近のものと比べると全く違う。トラクターで耕した土を掘り返す鍬と、荒れ地から掘り返す鍬の違いであろう。ここにもグローバリズムの影を見ることが出来る。グローバリズムは決して悪ではない。人は環境に向き合いながらその時にできることをする。どの様な姿も同じ「律」を持つ。「構造」と文化人類学では言うが、変化を取り込むプロセスで説明が困難になる。その点では進化論における獲得形質の問題と同じ罠に落ちてしまう。
最近の鍬で耕したらあっという間に曲がってしまった。軽いが少し辛い。かと言って昔の鍬は柄を買って使うのがもったいない。
今日の打ち合わせの先様には弁当のサンプルを3つ差し上げる。食事は難しい。実際に食べてみないと違いがわからないのだ。これっで800円、365日毎日届けます。
ギスは先日の捌いたものを冷凍しておいたもの。芋天は今日のもの。
サラダはじゃがいもとカボチャのサラダ。神楽ピーマンが美味しい。
手羽先の煮しめは4時間保温鍋で煮ておいて、追いかけて大鍋で根菜と合わせた。
必ず汁をつける。ここがポイントだ。シャブシャブ肉が入って季節の野菜と合わさり実に美味しい。普通の弁当屋では出来ない。顆粒のスープに乾燥野菜など食べれたものじゃない。
ご飯はひたし豆を1時間作に茹でて茹で汁で炊いた。ジックリと茹でた豆の煮汁で卓から独特の味である。
菊のオヒタシはこの辺の食べ物。さっぱりしているのだ。
これ絶対僕のだよねとマユは覗き込む。
夕方、Sさんに持っていくのが楽しみである。
僕の80歳のときに、誰かが持ってきてくると嬉しいものである。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。