胸が張り裂けそうだ、子供が先に死ぬのは何よりも悲しいこと
いつから僕らは、他人事だと思って放っておける人非人になったんだ?マスコミも、ワクチンに群がる連中も、自分のことでなけりゃ関係ないと思うのかねえ。
やっぱ、僕がおかしいのだろうか?
家族を失った人のことを考えると胸が張り裂けそうだ。
自分の命を守る行動を取りましょう。
僕は絶対に打たない。
発熱は当たり前に起こりますと言われて、みんな信じているのだろうか?
一緒に「時々死にます」といえよな。
打て打てって言っている連中のこと覚えておこう。責任取らせるわけには行かないだろうが、アイツラが馬鹿だということは忘れないでおこう。
「馬鹿(ワクチンが効くと思っている医師)」であることと「生活のための嘘(製薬会社に忖度する連中)」は責任を問えないのだ。
しかし、恥を知りなさい。
しかし、モーガンフリーマンにうった方が良いよとか言われたらフラフラっとくるかねえ。最近は悪役が多いから駄目かねえ。
そもそも免疫学っていうやつがいい加減だ。少し自分の頭で考えれば分かる。恐ろしく「昔の最新の研究」に従って今を説明している。
もはや破綻しているというのに。しかし、ワクチン(予防医学)は金になる。占い師でもこうは行かない。
これの続き書かなくっちゃ。免疫学って真面目に本読んでいくとおかしいところがたくさん出てくる。
何よりも細胞がなすすべもなく細菌やウイルスに殺されるという「生命観」がおかしいのだ。
細胞は生命として自衛できるし自分を適応させて「環境」や「ウイルス」と話し合いをする。僕は家に強盗が来たら撃退する。包丁もたくさんあるしね。警察が役に立たないのはテレビドラマでいつも見ている。悪徳警官もいれば、誤認逮捕も冤罪(自己免疫疾患)もある。
そもそも免役が自分と他者を区別できるという前提がおかしい。自分とはなんぞや、身体の内側では常に細胞は破壊され作り直されている。思春期の自分と今の自分が同一だなどとは思えない。昔は若かった。
ウイルスは世界の変化を細胞生命に伝えるプロトコルなのだ。
そもそもウイルスを受け入れたRNAでタンパク作ったりするためには、「親戚筋」でなければなるまい。ウイルスと細胞生命は共通のプロトコル(DNA=RNA)を持っているのだ。
感染症を引き起こすのは稀な場合だけである。感染症というのは「生命のコロニーとしての個体の中で起こる一つの可能性」である。コロニー自身の新たな環境への適応(進化)に通じるものなのかもしれない。細胞が集まってコロニーを作り、そのコロニー自身をもっと効率的なものとするにはジャンプが必要だ。
鎌状血球貧血症はマラリアを防ぐ。感染症というのは環境に対しての代謝系の形でしかない。
受精した後、受精卵はおおよそ一週間、免役を持たないで雑菌だらけの場所に生きる。着床すると母親の血液を経由して免役を持つと言われるが、「細胞自身の戦う力」は重要なのだ。「政治的に正しい免疫学」では、細胞がウイルや細菌になすすべもなく壊されていると考える。まあ、アニメなら楽しいけどね。
細胞が戦った残骸が「抗体」だとは考えられないのだろうか?今の免疫学の「長期の獲得免疫免疫」がどこに記憶されるかも「いい加減な理屈」でしか説明していない。どの説明も最後は「今後の研究がまたれる」で終わる。待っている間に定年になって良い余生が暮らせるのだ(笑)。
細胞がその膜タンパクの生成においてウイルスを記憶すると考えれば納得がいく。インスリン抵抗性などは良い例である。膜タンパク=インスリン受容体は動的に変化する。
細胞は環境を記憶する。それが適応(=進化)であり、進化とは細胞レベルで常に起こっている適応を意味しているのだ。
2016年、大隅良典教授はノーベル賞を受けた。彼が取り組んでいるオートファジーという考え方は、細胞を破壊して組み立て直すプロセスである。細胞自身の内側に破壊と再生のプロトコルが存在するのである。
マイクロバイオーム研究は生命観を変える。「ウイルスを悪者だなどという考え方」は生命の姿をミスリードする。「生命の正しい姿」などというものは見つかるわけがないが、主流派でない生命学者の見ている「生命の姿」は「単純な敵味方の生命学」に比べて遥かに豊かで、素晴らしい。
僕はそちらのほうが好きだ。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。