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藤崎剛人さん:久しぶりに(僕にとっての)まともな論評読んだ、トリチウムの話


実に嬉しい。藤崎剛人さんがニューズウイークで書いている記事である。

トリチウムの話がネットやマスコミで流れているものは、皆イケイケドンドンである。中国や韓国の反応に対しての嫌悪も相まって、流せ流せの大合唱だ。

noteを見ても、偉い学者が安全だと言っているから、他の国も流しているからと大喜びである。

この記事を見ると分かる。その欺瞞の凄まじさが。

以下引用

しかし問題となっている汚染水は、2018年、他核種処理設備ALPSでの処理を経ているにもかかわらず、セシウム137、ストロンチウム90、ヨウ素131などトリチウム以外の放射性核種が検出限界値を超えて発見されたという経緯をもつ。それまで東電は処理水内のトリチウム以外の核種は検出できないほど微量であると主張しており、データが存在していたにもかかわらず、それを説明しなかった。これによって政府・東電の信頼性は大きく損なわれ、海洋放出の決定は先延ばしになっていた。
福島原発事故を経て、大量の核種が紛れ込んだ福島第一原発の汚染水は、他国で通常運転している原子力発電所から排出される処理水とはまったく性質が異なるものだ。東電は2020年末に試験的な二次処理を行い、トリチウム以外は基準値を下回ることに成功したと発表した。しかし、海洋放出を予定している2年後までに、再処理がトラブルなく間に合うのかはまったく不透明だ。

面白いのは、藤崎剛人さんの経歴である。

北海道生まれ。東京大学大学院単位取得退学。埼玉工業大学非常勤講師。専門はドイツ思想史。特にカール・シュミットの公法思想を研究。

とあるのだ。まさに学者としては傍系の傍系である(失礼)。学術会議に入れそうもない。政府の専門家の会議にに呼ばれそうもない。

こういう方が、理路整然と書く記事はスキだ。

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もちろん正しさは人の数だけある。正しさとは、その人の立場(生活の基盤)と意見の関係なのだから。政府の御用学者やお偉いインチキ叔父さんにはフェイクで、論拠とする数字や事実もちがうというだろう。

そもそも議論というのはベースになる数字や事実をどう取るかでいくらでも変わる。正しさは絶対的なものではないのだ。

誰もが納得できる理論などというものは、ディベートする必要もない。議論とは立場の違いを乗り越えて理解し合うことが目的であるはずなのだが、相手を叩き潰すことしか考えない輩が多い。

僕がnoteに書きたいのは、僕に見える世界なのだ。「The World According To Masaya」である。そして価値を共有したい。

ディベートが成り立つには共通のスタート地点(事実の認識)が必要だが、原発の問題に関してはそれが難しい。『卵焼きにはソースか醤油か?、犬派か猫派かとか』、と同じくらい共通のスタート地点がみいつからない。そうして、両派は互いに交わることはない。

僕は彼がベースにしている「事実」や「数字」を正しいと思う側の人間だ。

藤崎剛人さんの描いている世界は素敵だ。本をおかきになっているとのことなので買ってみようかと思う。

嬉しいものである。

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福島の原発事故ですべてを失った人たちに、面と向かって、『トリチウムなんて流しても安全なんだ、お前たちは無知で馬鹿なんだ。黙っていろ』と言えるだろうか?

政治家や官僚は『丁寧に説明する』と言って僕らを見下し、言い方や例えを丁寧にお話いただけるが、腹の中の真っ黒さは隠せるわけがない。

頑張れ! 共に闘おう!

あなた方は、『未来の僕や子供や、家族の姿』なんだ。だから僕は共に戦いたい。原発事故は必ずまた起こる、それは、誰にとっても真理だ。

すぐに証明される(次の事故が起こる)。

議論する必要はない。

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#藤崎剛人 #トリチウム

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