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トリチウム放出の次は何を狙っているのか?仕方がないことなのか?世界でやっているから日本もやっていいことなのか?

世界中で希釈されて放出されてるから良いのだ。無害だから良いのだ。と言う考え方には賛成できない。無害だから放出しているわけではない。そこを読み違えると大きな間違いを生む。それしか方法がないからそうしているのだ。

原発はクリーンなエネルギーで、放射能は完全に封じ込めることが出来るという話ではなかったか?

会社から金もらって生活している技術者の方々がベストを尽くしているのはよく分かる。

1997年当時のことであ。僕は大手の事務機器メーカーのソフト会社にいたが、動燃で使うソフトの開発をした。プルトニュウムの燃料棒を作る日報のDBであった。2000万円くらいになったろうか。当時から原発には批判的だったので憂鬱な仕事であった。途中で会社をスピンアウトして独立したが数回お邪魔した時にはとても興味深かった。工場見学しながら、そこで働いている人たちとも話をした。いい人たちが多く、地元の方であった。食堂の定食食ったのを覚えている(笑)。

2011年当時新潟での原発の県民投票の署名運動があり、友人に誘われて参加した。今では「(金で買われた)民主主義」という制度をもう信じていなが、当時は信じていた(笑)。活動の記録はこちら。B−8ページに僕のことが書いてある。

ああ、この頃は新潟に寺務所を開いていたなあ。客に引っ掛けられて水分借金ができて自宅に帰ってまだ生きている(笑)。

今でもこの当時の友人は多い。皆それぞれの場所でがんばている。時折消息を聞くがなつかしい思い出いっぱいになる。バーン・アウトした人も多い。僕はまだくすぶっている(笑)。

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僕が問題にしているのは、「原発」との向き合い方である。

トリチウムが自然界にどういう影響を与えるかなどということは、議論しても仕方がないことである。その影響が分かるのはこれからである。

多くの人は「原発には反対だ」が「とリチュウム放出」は仕方がない。とかの国でもやっているのだから良いじゃないかというだろう。電気をつかているくせに生意気なことを言うな、青二才め!と罵倒する(笑)。

ものの分かった皆さんである。きっと、物分りがよく、学者の言うことは間違いがない、自分は大人だから現実的なのだ。と思っているだろう。

アイザック・アシモフさんは「影の軍隊」とそういう人を呼んだ。権威の垂れ流す言葉をそのまま鵜呑みにして、僕らのような人を叩く方々である。どの政党を支持していても同じである。民主主義はメディアごと買い取られたのだ。政権が交代しても「システム」は入れ替えられない。今のシステムで生活している人たちに次の職を見つけなければならない。1980年代のイギリスの石炭から石油へのシフトを考えればいい。ものすごい数のコミュニティが消えた。

原発を無くするなどと行っても簡単ではない。そこに生きている人たちがいるのだ。多くの地方は何の産業もない。しかし、それはグローバル化が生んだ最近の問題なのだ。本当の問題はそこではない。人が人として認められ、生きることが出来る世界ということだ。この映画は、僕の労働組合の時代に重なり涙が止まらない。泣いてばかりである。

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なんで、電力会社がCMを流す?

公共企業は、競争がない。同一エリア内で、送電線網を持っているのだから原発事故以来電力は自由化になったというが、送電線網は使わないわけには行かない(笑)。

では何の為のCMであろうか。原発が安全キャンペーンである。その金は電気代から出ている。時に面白いCMがあって楽しみはす(笑)。

関西好きだな。このCM久しぶりに見て笑った。「所さんの目が点」って確か東電がスポンサーだったけど、原発事故のあとで下りたよね。今はどうなっているだろうか。日曜日の朝に子どもたちとよく見ていた。

個人の住宅の中で発電するくらいが対抗措置である。しかし、安定した生活をするには「電力会社のメーター」を付けないわけには行かないから、基本料金は発生する。蓄電池が発達すれば変わるかもしれないのでそういう意味のテクノロジーの発展は良いと思うが、アイツラは邪魔するだろうなあ。「スマートグリッド技術」が効率を良くしてもいる。確か原発事故の時に大活躍したという記事を見たことがある。

原発が止まった時に生活ができなくなるとさんざん脅しやがったくせに結局は問題なかった。嘘で塗り固めているのだ。そしてマスコミも政府も共犯である。

なにせ電力会社は湯水の如くCMを流す。テレビが都合の悪いことを流すことはない。メディア対策・世論操作のお金も電気代である。大盤振る舞いである。羨ましい。

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トリチウムの次は何を垂れ流す

もっと先まで読んでほしい、トリチウムの次は何を放出する。そもそもメルトダウンした炉心をどうやって処分する?どこに線を引く?彼らにも分かっていないのだ。それは仕方がない。誰にもわからないのだから。

すでに核の最終処分は私たちの手を離れている。


ではなぜ、政府はこんなに再稼働させたがり、第三世界に原発を作ろうとするのだろうか?安全で夢のエネルギーだらだろうか?

もう起こった事故は取り返しがつかない。

そして、事故はまた起こる。必ず起こる。4万年に一回しか起ころないと学者は太鼓判押してたのに、もう3回でかいのが起きた。小さい事故なら毎日起こっているだろう。

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原発という集金システム

僕は「格差の方程式」というシリーズを書いている。そこでは、1980年以降の社会の変化を論じているのだが、一番の大きな変化は、社会の変化に伴う「特許・著作権」の集金システム化である。特許著作権は、本来「文化や工業」を保護する為に作られたのでる。中世の「錬金術=化学技術の揺籃」がライセンスとして公開されて世界は豊かになったのだ。しかし、常にズルく立ち回る奴らはいる。著作権もそう、僕の専門のネットワーク技術にしてもLinuxの著作権裁判が長く続いたし、大金持ちも輩出した。

原発というのは非常にレンジの長い集金システムなのだ。アメリカとフランスが原発先進国である。永遠に燃料を買い使い終わった燃料防災処理してもらう。電気を使うためにはそのコストを払い続けなければならない。

風力、太陽光というリソースを使った場合はその必要はない。福島の後で機運は高まったが、すぐにしぼんだ(今でも頑張っている人もいるしそれなりの実績は有るが.....)。僕の地元でも風力発電を販売する会社があったが一つも売れなかった。なにせ、送電線は電力会社が持っている。

この会社のホームページを昔作った。理念ある社長だったなあ。うちの会社から20分くらいのところにある。今見たら、当時作ったものとは変わっておった(笑)。作ったあとで会社倒産と同じぐらい厳しくなたからなあ。そんなには売れていないのではないかなあ。頑張ってもらいたい。とはいっても、大きさや空間的なもんだいから僕の家に建てるのは無理だと思った。

アメリカではすでに脱化石燃料(ウランもその一種)が進んでいる。環境問題が厳しくてもはや新規の原発は作れないのだ。事故も確実の起こると理解されているのだ。

しかし、燃料の製造会社は、燃料棒を消費してくれる原発が必要だ。だから、自国以外に原発を売ろうとする。太陽光や風力では、売ったあとの旨味がない。そして、第三世界は「権力」が自由にインフラを整備して集金できる。環境アセスメントや、公正なプロセスはお手盛りだ。海外からのプラントを受け入れればもう最高だ。

シルクウッドというのは素晴らしい映画。メリル・ストリープが素晴らしい。予告編見ていただけで涙が出てきた。動燃の関学コースでは見れなかった姿が見える。もう今はあんな工場は皆機械化されていますよと言われるだろう。技術は進歩しているのです、アンタは無知だなあと言う声が聞こえるが、問題はそこではない。燃料をつくる会社でも、株主や投資家は手を汚さないのだ。これが格差の方程式なのだ。

僕は電気を使いたいという彼らの気持ちはわかるが、僕らもそんなに昔から電気を使っているわけではない。過去を懐かしがるわけではないが、今の世界しか見えなくなってしまうと、袋小路にはいる。そして、自分の未来を自分で考えることができなくなる。

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10年前のことを思い出す

福島の原発事故が起こった時、どれだけの人がひどい目にあったか覚えているだろうか?僕には忘れられない。

事故の数日後に、福島ナンバーのバンが道路を走っていた。内によらないかと声をかけようかと思ったがすぐに走り去った。結構な数の福島ナンバーの車を見た。

うちの斜め後ろ隣の家には福島から移住してきた人がいる。余り話はしたことはないが、辛かろうと思う。

僕が印象深かったのは、自分の生活を根こそぎに奪われ、強制的に移住させられた人たちの事だ。すぐに彼らには大金が払われ毎日豪遊しているなどという情報が流れ出した。びっくりしたのだ。東電の情報操作であるとはすぐにピンときたが、憂鬱になった。

同時に、毎日のように原発で命がけの作業をしている人たちを喧伝する。頑張ってくれている現場の人のことは素晴らしいと思うが、その後で東電の記者会見での不誠実な対応を見るとコイツラ屑(マスコミ=東電)だなと思った。あの頃のメディアでは東京新聞と赤旗が頑張っていたねえ。

おまけにメルトダウン(核の密閉容器の底を溶かして外部に流れ出すこと)していないと言い張って、高濃度の放射能は漏れていない統率いていた。

「原子力発電」と言うのはそもそもコントロールできないものだ。

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僕は無学で馬鹿な偏屈爺さんである

大学も三年浪人して入って天職も多くした。ソフトの開発そしているが独学で学んだ。決して権威ではない。そして長く糖尿病の治療を受けた。しかし、権威の言いなりではなく、自分の心が感じることを大事にすることこそが自分として生きるということだと思っている。

そして、権威に向き合って自分を貫くには学ぶほかないのだ。「幸運な病のレシピ」というシリーズは自分の体験から、食事が大事であるというところにたどり着いた。

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原子力情報資料室と高木仁三郎さん

今回のトリチウム安全だというお墨付きに関しては、そう考えても納得ができない。

溜め込むコストの問題から決めたことだ。おまけに、相変わらずの情報操作である。このことに関しては随分議論があったことは十分承知している。2018年の記事である

果たして、原子力情報資料室が正しいのかどうかはわからない。権力の子飼いの学者が正しいのかもしれない。けどね、僕は信念を持った人が好きだ。高木仁三郎さんはすらしい方だと思う。技術者としてという意味でも素晴らしいが、一人の人間として尊敬している。

しかし、政府も、コロナには恨み100万倍だろうねえ。本当だったら「福島復興のオリンピック」が終わってよかったねムードで一気に行ってしまえとスケジュールしてたんだろうなあ。コロナはオリンピックは潰してしてくれたし、ファイザーの社長は株売って大儲けだし(笑)。

僕は自分の頭で考える。

大学の先生様の言うことをおかしいという事は大変な勇気がいる。

僕は糖尿病の治療を食事でしている。医療というのも長いレンジを持った集金システムである。

「あんたひとり何を言っても社会は変わらないよ」と言うだろう。去年は、随分色々とあって、遺言のつもりでnoteを書き始めた。父の一周忌が済んだら、カエルとネズミを殺して死のうと思っていた。けど、一年書いている間に少し自分が変わったことに気がついた。何よりも、「父と母の愛した庭」が僕に生きろという。

自分が変わることで、社会は変わると信じてもいいかなと思い始めているんだ。僕は自分の信じることを言葉にする。馬鹿だとか無知だとか言われても構わない。現実的でないと言われてもいい。

僕のような生き方は、今時はやらないかもしれない。

けどね、僕が居なくなったあとで、子どもたちには「金では買えないも」のが有るということをに時に思い出してもらいたい。期待するほど多くはないが、まだ少しは残っている。

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昔のブログを見ていたら、この頃からインチキ叔父さんのことを書いている(笑)。今は確信している。しかし彼らにも生活が有る。困ったものだ。ここなんかもそうである。

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おまけ

このうたスキだなあ。

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昔のブログに随分沢山書いていた。

#トリチウム

厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。