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庭いじりの贅沢:木蓮の取り木(2)

背の高い木蓮が隣の家に張り出している。数年前から切ろうと思いながらどうも切る気にならなかった。今年は、切ってしまうことにした。すでに一本切った。これも切ろうと思うが、ちと忍びないので、取り木を出来るかやってみることにした。

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結構良い枝ぶりである。とてもきれいに花がつくのだが、花のつく所が高く、葉が茂ると見えなくなる。丸々隣の家の敷地の中なので葉も花びらも隣家の中に散らかってしまう。秋には毎年掃除をしている。

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木は家も敷地も知ったものではない。お日様を求め精一杯枝を伸ばす。自分がどんな姿なのかなどということは気にしない。自分にとって一番と思うことをする。しかし、まるで周りの木々のことを知っているかのように光を分け合う。

強い風や嵐、地面は崩れることも有る、水を失うことも有るだろう、世界は過酷である。それでも、新たに芽が出て、根が伸びて、種を蒔き広がろうとする。自分が「限りある生命」であることを知っているのだ。

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植物は『一葉一葉の「葉」』が生命の単位だ。DNAは植物のあり方を記述するが、それは全体としての植物の姿の設計図ではない。幹や根や葉、一粒の種が姿を変えて異なった役割をしながら樹皮の内側の「海」を豊かにしているのだ。海の姿に対して「どの様に自分を変えるか」が記述されているのがDNAであり、「その変化を記述している」のが『姿』なのだ。

折れ曲がっった枝ぶりは、決して病気でも異常でもない。どれだけ厳しい世界に生きてきたかを表現しているのだ。

この物語大好き、涙が出てくる。僕は昔を懐かしむが決して楽園だったとは思えない。私達にエデンの園はないのだ。常に荒海を生きる。しかし、生命のすばら示唆は忘れられない。

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「幹」も「根」も、「葉」も互いの存在を知らない。しかし、深くつながっている。根が吸い上げるのは単なるH2Oではない。マイクロバイオームがその代謝物とともに内なる海を満たすのだ。

「政治的に正しい栄養学」は「食事」が生命だということをしらない。「栄養素の摂取」などではない。細胞生命(マイクロバイオーム)は他の細胞生命(マイクロバイオーム)受け取り、組みたてなおしている。その過程は全く考えられていない。生化学という知っていることだけを並べて僅かに見つかった物質を魔砲の薬のように喧伝する。

そもそも、「サプリメントやよく効く薬」など無くても、つつがなく「死」を迎え入れていた。

今はよく効く薬を沢山飲まされて、管だらけになって、同じような手術を繰り返して死ぬ。施設の片隅で「輸液、経管栄養、胃瘻」のままに、やがて意識も亡くなり、ミイラのように小さくなって死ぬのだ。

医者は「頑張りましたね」と褒めてくれるが、「年金を医療費に差し出したこと」を褒めてくれていることを遺族は分かっているだろうか。遺族と言っても、時給で生活する私達は、家族とともに生きることは出来ない。すでに、書類上のつながりでしか無い。

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土中にいる生命(マイクロバイオーム)は、根や幹、そして葉を満たして新たな生命に組み替えられる。そして葉は散ることで、土に戻り循環する。

生きるということは、自分という生命のコロニーに「食べ物さん(マイクロバイオーム)」がやってきて、新しいコロニーで生き直すということなのだ。生命が変わる姿を見ていると変わる力の根源は食事に有る。食材の内の水を大事にした食事こそが大事なのだ。

商品化された食事は「乾燥・濃縮・抽出」工程を通る。あたかも「栄養素が多ければいいかのごとく」喧伝される。にんにく1000個分の〇〇が入っています。卵に含まれている☓☓が4000個分入っている。などとありがたがるが、そもそもそんなに食っってはいない。銀行通帳の桁とは違う。多けりゃ良いてもんじゃ無い。

どんな「物」飲んでも、年寄は苦しんで死ぬ。それを知っているから、医師は施設に隠して先端医療が苦しみを無くするとフェイクする。

「生活習慣病とその合併症の恐怖」は消えはしない。

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秋に葉が落ちるように私達は死ななければならない。毎日、世界に向き合うとこで体は変わり、世界の変化を記憶していく、そしてその変化は葉が土に戻り次の世代に伝える。次の「生」がより世界と向き合えることを望みながら葉は散るのだ。この庭を毎日歩くと「生、死、食事」の意味が分かってくる。生命は循環している。大げさでは有るが、そう感じられる。

僕は一切の葉や枝を廃棄しない、雑草も抜いたらその場において土に戻す。

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「ネメデル(根芽出る)」と水苔に縄をもって、一番高いはしごを掛けた。手慣れたものである。「ネメデル」は2瓶目である。傍から見るとそんなに高くはないように見えるだろうが、上がってみると恐ろしい。

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出刃で皮を削る。下手な小刀を買うより良かった。

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ネメデルを塗って、水苔を巻く。なれてきたら、だんだんいい加減になってきた。果たしてこれで根がつくのだろうか。

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こう見えても、僕は高い所が苦手である。枝ぶりはいい感じである。無事に根が出て、大きめの鉢に入れたらきれいだろうなあ。鉢を探さなければならない。

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梅から始まって、イチジク、木蓮(1)、木蓮(2)、雪折した松、今年はネメデルが大活躍である。とは言ってもまだ「根芽」が「出る」かわからないがこれも勉強である。楽しいものだ。7月ぐらいにはどうするか決めよう。

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数年前に「母のタケノコ山」から持ってきた木が枯れたと思っていたのだが、芽を出していた。こういう事はとても嬉しい。白くてきれいな花が咲くのだ。名は何というのだろうか。一対のウチワのような葉がとても面白い。

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父母の墓に花を生けに行った時にはもう緑でいっぱいであった。バラのアーチも月内には作りたい。だいたい方針は決まっているのであるが。

日曜日にバラのアーチを立てることにした。

この記事の事は、2021年4月16日のことでした。

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幸運な病のレシピ
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