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経営者諸君。コストを下げて、金持ちになろう!

経営者にとっては夢のような話である。あんな役に立たない連中に金払うのが持ったいない。

給料安いのは能力のない証。僕は優秀だからこんなにお金ある。

ますますリストラに拍車がかかる。やがて商品を買う庶民も居なくなる。

商品を買うこともなく、家賃を払える庶民も居なくなる。

芸能人や金メダリストという企業の広告宣伝費でセレブになっている連中もも金が入ってこなくなる。広告代理店も末端から切り捨てる。

こんな国を誰が守りたいともう。みんな消える。カムカムタリバン、こういう社会はテロで滅びるほかない。

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あとに残るのは政治家と高級役人と経営者、大金持ちが垂れ流す金に群がる餓鬼の国である。

この社会は格差が大きすぎる。そしてかくさあを見せびらかしたがる阿呆共がおお喜びで空を飛んどる。

格差は今に始まったことではない。江戸時代は飢饉で地方の百姓は死んだ、南北問題をを考えればグローバルに格差が存在した。

しかし、今の社会のように一つの都市の内に摩天楼が生まれ、スラムが存在するのは凄まじい。

「天国と地獄」と言う映画を思い出す。

格差は仕方がないことなのだ。

私達は、自分が楽をするために人を働かせるの生き物なのだ。そういう意味でマルクス経済学の「搾取」というのは特別な現象ではない。家庭の中でも学校の中にもどこにでもあるものなのだ。

経営者は社員に忖度させ、政治家と高級官僚は行政組織を操り天下り先に子供を就職させる。能力主義というマジックである。能力とは、「上に可愛がられるチカラ」なのだ。

パワハラやセクハラは「人に普遍的にいけないこと」ではない。民主主義社会の特徴なのである。

しかし、社会の安定という面から、宗教や政治は、弱者を救ってきた。共通の価値を持ち共に生きてきたのだ。

そうしなければ、テロや革命が多くの命を奪ったのである。

問題は、格差を超えて共に生きるという道を見失った事なのだ。

大金持ちは弱者救済の基金を作り贖罪されると思うのだろうが、その基金自身が金持ちを作っている。

労組のトップはバナっパ服着た工員から金集めて高級背広に身を包む。

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おうおう、吠えとる吠えとる。頑張れゴウゴウトヨタは素晴らしい。

このオヤジの嫌なところは、人を雇ってやっていると思いこんでいるところだ。社員の時給を絞り、下請けの社員の生活を考えないで部品を納入させて「高い車」を作る。

かつての大衆車を作り社会を変えた会社は、社会の変化に沿って高級車を作り凋落するのだ。

効率化のために、地元の工場を潰して海外に工場を作る。国内には、安い時給の仕事(現場作業での時給仕事)しかない。

コイツラは、いかに高級車を金持ちに売るか市か考えていない。

経営者はM&Aを通じて、所有者になり金にならない仕事は生活費の安い海外へ流れていく。

「100円ショップの経済史」とでも言うべきものを考える。やがて、金が流れ込んできて、インフラ(パブリック)が整備されて役人の給料が高くなり、税金が上がり、時給が高くなる。

その過程で「贈収賄」が社会の中で現場から上に集中する。高級官僚の天下りだとか、お仲間企業の子息を入社させるとか「能力主義」という「公的で合法的な贈収賄」という現象が至る所で見られるようになり、みんな大喜び。

そしてそれは、誰も(僕も)が望むことなのだ。だから、無くならない。

何がこの社会を「こうした」のだろうか

会社が働く人のためのものであり、経営者(自分で給料を決められる)と労働者(決められた時給で時間を売る)が共に生きていた時代があった。

余りに多くのことが一気に起こり解決が見えない。と言うか、解決などというものがあるのであろうか。

ああ、金がほしい。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。