陶芸家の友人から焼き物を送っていただいた。
7月に陶芸家の友人と会った。大阪の八尾で工房を開いている。その時に作らせていただいた焼き物が届いた。
自分で作った食事を、心を込めて焼いていただいた器で頂くというのは嬉しいもの。カップ麺やらお弁当やら、器がいらない食事は好きではない。後片付けはいらないかもしれないが、ピンコロの人生が迎えられない。何事も手間こそが大事。「人に頼めないもの」の中にこそ自分がいる。
いくつかは僕が作って先生に仕上げていただいたもの。10年ぶり位ににお邪魔してろくろを使わせていただいた。
蕎麦や茹で野菜の水が切れるように。
母の好きだった百日紅を挿そうと思い作った。もちろん釉薬は先生に塗っていただいた。
一輪挿しは難しい、頭が重くなると立っているのだが大変である。口が開いていると花がまっすぐにたたない。気がつくと一輪挿しを結構持っている。どうも好きなようだ。
首のところが細くなっているので枝がまっすぐに立つように細工していただいた。大変気に入ってしまった。
落款というのであろうか、マークも入れさせていただいた。「マサヤ泣き笑い」である。
ろくろを使って小皿を作った。ろくろって、難しいものである。たくさん助けていただいた。網ザルのような蕎麦を乗せる盆を作りたかったのだが、むすかしい。鍋敷きも作ったのだが割れそうである(笑)。右にあるのは串焼き屋さん向けの串入れ。
サメ(先に持って帰った)はメガネ入れになっている。素晴らしい造形である。
おかげでメガネが無くならない。というわけではない。
串焼き屋さんで、串を加えている鯉の仲間が増えた。
いなかっぺ大将の丼。僕らの世代ならば分かるであろう。指を入れて持ちやすいのだ。意外と使えるかもしれない。並々とスープを入れるばかりではない。鉢としても美しい。なめらかで造形がいい。
こちらは頂いた、卵を溶き入れても、多めの汁を受けても良い。湯冷ましにもなろう。市販の湯冷ましは小さくていけない。なかない冷めない。
カップは頂いた。たいへん手に馴染んで使い良い。とても気に入っている。手に丁度いい大きさなのだ。
自分で作ったものが食卓を飾るというのは嬉しいものだ。明日も元気にご飯食べよう。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。