【めっくりんがぁの摂津物語】第9段・慰霊の日

(初出:2010年8月12日)

☆御巣鷹に今日も降りなむ蝉時雨四半世紀の時をしぞ思ふ☆

☆お盆より一日早く五百余人はかなくなりし人を迎える☆

☆御巣鷹は現代日本の歌枕詠む歌をもて霊なぐさめむ☆

☆その日こそ我は東の都より新幹線にて京都へ向かふ☆

☆京都ではのんびり食事を取る我ら知らざることの恐ろしきかな☆

☆けたたましき電話の音ぞ響きける日向の国の我の祖母なり☆

☆怒られる母がテレビを着けし時我ら皆知る世間の様子☆

☆今日の日は家族とともにかみしめる命ある身のありがたさをば☆


今日,8月12日は,ご存じ日航機123便墜落事故の日。

直接の関係者ではなかったが,
この事故は,われわれ めっくりんがぁ 家に
思わぬ余波をもたらし,
それ以来,めっくりんがぁ 家の記念日になっている。

(2年前=2008年の日記の再掲)
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1985年の8月12日、事故が起こったあの瞬間は、
私たち家族は東京から「新幹線」新幹線で、
関西へ向け帰宅中でした。

東京ディズニーランドと、
後楽園球場(東京ドームじゃないよ)での巨人戦観戦
(当時我が家は祖父の代からの巨人ファンでした)。

京都へ着いたのが午後7時頃。
そこから夕食を食べて、家に着いたのが午後8時頃。

家についてしばらくすると、電話が鳴ります電話

私:もしもし~。
相手:……あ~、生きちょったね~
私:!?

とにかく母に代われというので、
母に代わると、母はかなり怒られている。

相手:心配しちょったのに、何しちょったとね??
母:????
相手:すぐテレビつけんね!!!

訳も分からずテレビをつけて、
そこで初めて事故の発生を知ったのでした。
電話の相手は、宮崎にいる母方の祖母でした。

祖母:Y子(母の妹で、私の叔母)はもう泣いて泣いて、
電話に出られんとやが。

…いや、知らんがな(;^ω^)

東京旅行することになり、
小さい頃から一人で飛行機に乗せられていた
私は、是非一度も乗ったことのない
「新幹線」で行きたいと希望したのでした。

私が希望を出さなければ、
ひょっとしてあの飛行機に乗っていたのかもしれないと思うと、
天の配剤の妙を感じる今日この頃です。

もっとも,父に言わせれば,
「飛行機を使う選択肢は端から考えていなかった」
とのこと。

大阪国際空港(伊丹)まで2時間弱
かけていくことを考えれば,まあ当然の選択ではあります。
(当時は関西国際空港はまだ未開港。
 もっとも関空があったとしても,あまり事情は変わらない)。

それはさておき、宮崎の実家は「新幹線で帰る」ことを知らず、
この日東京から帰ってくることだけ伝わっていたらしく、
ニュースを知って、私の当時の家に電話をかけても、
誰も出ないというので、宮崎の実家はパニックになっていたそうな。

この騒動の印象が強烈で、
肝心の東京旅行の中身はほとんど覚えていない
3泊4日も行ったのに。

そんなわけでこの日は、私たち家族にとっても、
かけがえのない記念日な訳です。

命長らえることのありがたさをかみしめる記念日。

なくなられた520名の方のご冥福を、お祈りいたします。
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もっとも,何をするということもなく,
仏壇にお線香をあげたくらいだけれども。

改めて,なくなられた皆さんに哀悼の意を表します。
(「冥福を祈る」という言い方は,あまり好ましくないらしい
 特に,浄土真宗では「冥福を祈る」は禁忌とか)。

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