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「トリスタンとイゾルデ」を簡潔に理解しよう!

本稿は約13年前、新国立劇場での「トリスタンとイゾルデ」初上演の際に記したものである。今見ても大筋で自分の理解と変わっていないので、本日(2023・5・22)マイスターワーグナー生誕210年を記念して公開してみることにする。「簡潔」に理解できるかは、ちょっと疑問だが、皆様の参考になれば嬉しく思う。

⇩ では、スタート!!


「トリスタンとイゾルデ」について書かれた本は世間に山ほどあふれています。ストーリーも読めばそれなりにわかるのだけど、しかしながらこのドラマをどのように捉えたらいいのでしょう。ドラマの核心部分を簡潔に説明してくれている資料って驚くほど少ないのですよ。あったとしても切り口もいろいろありすぎて一つのまとまった考えを固めるのが非常に困難な作品になっていると思うのです。そこで、現在「トリスタン」に朝から晩までどっぷり浸かっている私が、今感じているこのドラマの簡単な捉え方を自身で書いてみる事にしました。枝葉の部分を切り落として私が最も言いたい事だけをかいつまんで説明するので、みなさんの理解の参考になればと思っているのですが…

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まず「トリスタンとイゾルデってどんな話し?」と聞かれて、それを一文で表現しようとするならばこうなる。

『トリスタンを殺したくても殺せないイゾルデと、死にたくても死ねない運命にあるトリスタンが、共にめでたく死ねる話』

理解のためにトリスタン、イゾルデそれぞれの立場を考えてみることにする。

・トリスタン

まず「死にたくても死ねない」トリスタン、彼は死にかけたことが4回ある。
1. イゾルデの婚約者モーロルトと戦い瀕死の重傷を負う
2.婚約者の敵と知ったイゾルデに剣を振り上げられる
3.イゾルデと共に和解の薬を飲む(1幕5場)
4.メロートの剣に飛び込む(2幕幕切れ)

1について。傷ついた彼はモーロルトの剣の毒が心臓に迫る中、小舟に乗って何故だか「見えざる力」によって名医イゾルデのもとに流れ着き治療を受け死を免れた。
2について。刃こぼれからこのタントリスと名乗る男が婚約者の敵トリスタンだと知りイゾルデは殺意を覚えるが、何故だか「見えざる力」が働いて、トリスタンのまなざしに哀れを覚えた彼女は剣を落としてしまい、トリスタンは死を免れる。
3について。和解の杯(死の薬)を飲み干しましょうとイゾルデに言われ、死を覚悟して飲むが、何故だか「見えざる力」によって(これはブランゲーネが愛の薬にすり替えたわけだが、何が彼女にそうさせたのか?)、死を免れた。
4について。死の国に赴こうとしてメロートの剣に飛び込むが、故郷のカレオールで治療を受け、「シャルマイのなつかしい調べ」によって、命を吹き返した。

すべて死んでもおかしくない状況なのに彼は毎度生還している。1、2、3のそれぞれに「見えざる力」が働いているのだが、それが「死にたくても死ねない彼の運命」なのであり、この『曰く言い難い事柄』を表現しているのが第3幕イングリッシュホルンによる「嘆きの調べ」なのだ。

(2023・5・22追記 以下に関連記事があります。)

カレオールで息を吹き返した直後こう歌う。
“Die alte Weise ---was weckt sie mich?”
「なつかしい調べ、どうしてあれが俺を目覚めさせるんだ?」
そう、この調べが彼を目覚めさせたというわけだ。その後再びこのメロディーが聞こえたとき、彼はこの調べの真の意味を知る。父や母の死を知ったときにもこの調べが聞こえていたと彼は語り、ついには「死にのぞんで焦がれ、焦がれる思いのために死ねない」という彼自身の運命を悟るのだ。彼の脳裏に刻まれたこの調べは、父母の愛と死の運命を凝縮した一つの記憶体となり、その後彼が無意識のうちに知覚することになる。1~4にあげた人生の局面において意識下で発動しては、彼に運命を認識させ導いていったのだ。「見えざる力」の正体はこれだ。

・イゾルデ

一方イゾルデの「殺したくても殺せない」場面を拾うと以下のようになる。
a. 彼の眼差しに哀れを覚え剣を落としてしまった
b. 船上で彼と対峙し剣を渡されるが「剣を納めなさい」と言う(1幕5場)
c. トリスタンと共に和解の薬を飲む(1幕5場)

aについて。刃こぼれからこのタントリスと名乗る男が婚約者の敵トリスタンだと知りイゾルデは殺意を覚えるが、何故だか「見えざる力」が働いて、トリスタンのまなざしに哀れを覚えた彼女は剣を落としてしまい、トリスタンを殺せない。
bについて。モーロルトがそんなに大事だったのかと悟ったトリスタンから自分に対して剣を振るって殺すよう剣を渡されるが、殺せない。
cについて。死を覚悟して飲んだはずの薬が愛の薬であったため殺せない。

イゾルデの場合、a.の時に彼に対する愛が芽生えたと考えられる。その愛を裏切るかのようにマルケの使いとなってトリスタンが現れたため、激しい憎しみが生まれる。しかし彼への愛情は完全に失われることはなくむしろ強いものだったため、口で言うような「死の薬を!」などという命令に反して、心の奥底では愛するトリスタンを殺したくない、実際にはトリスタンの愛の実現を望んでいるという屈折した心理状態であったと思われる。

1幕3場「タントリスの語り」といわれる場面では前史をブランゲーネに語って聞かせるが、この時にはその屈折した感情が彼女の中に渦巻いていた。ところでこの場面には俗に「病めるトリスタンの動機」と言われる半音下降が特徴のテーマが頻出するが、彼女のこの複雑な深層心理という『曰く言い難い事柄』を表現するのがこのライトモティーフなのだ。私はこの動機を「病めるトリスタンの動機」ではなく「彼への愛のために殺せない彼女の複雑な深層心理の動機」(長過ぎますね!簡単に「イゾルデの深層心理の動機」にしましょうか)と呼びたいと思う。

そうして見てみるとb.の箇所にもこの動機が出てきて、逡巡する彼女の状況が了解されよう。「死の薬を!」とブランゲーネに命令する時、さらに「和解の杯を飲みましょう」と言ってブランゲーネに薬を用意させる時、背後にはこの「イゾルデの深層心理の動機」の断片が聞こえている。ブランゲーネはとっさに薬をすり替えたというより、ライトモティーフによって刷り込まれるイゾルデの深層心理に反応して「本当はイゾルデ様は彼を愛しているんだ!」と感じ、愛の薬を注いでしまった。トリスタンの説明の3.で「何が彼女にそうさせたのか?」と書いたが、その答えは「イゾルデの深層心理の動機」にある。
このブランゲーネの行動は、リングにおいてブリュンヒルデがヴォータンの本心を考えて命令とは違う行動(ジークムントを勝たせる)に出たのと同じ原理である。

「嘆きの調べ」と「イゾルデの深層心理の動機」この二つのライトモティーフがトリスタン劇の根幹である。前奏曲に現れる「憧憬の動機」「眼差しの動機」「死の動機」などわりと了解しやすいものとは違い、これらは彼らの深層心理を音楽的に表現した絶技であり、トリスタンにおけるライトモティーフ技法の真骨頂はここにある。第3幕1場中ほど、運命を悟ったトリスタンは、「横たわる小船の中で調べを聞き、アイルランドに流された」とイゾルデのところに流されていった話しをするが、ここでこの2つの動機が「同時」に鳴らされて1幕ではわかならかった「嘆きの調べ」が彼をアイルランドに運んだというのが示される。1幕だけでは何故トリスタンがイゾルデのところに流れ着いたかの理由はわかならいが、ここでライトモティーフを用いてきちんと理由を述べているのである。また直後「イゾルデが毒薬を飲ませようとしたが、愛の薬に替わり、死ぬことも叶わず永劫の苦しみを負うはめになった」や「この恐ろしい飲み物は私自身が醸した」の背後にも「嘆きの調べ」が鳴っていてその影響力を明らかにする。このようなところが「深層心理学」誕生を予感させるドラマといわれる所以だ。

・「嘆きの調べ」と「別の調べ」

ところでトリスタンの父、リヴァリーンについては劇中ではかすかに回想として登場するのみだが、原作に基づいて二人の生涯を比較してみると興味深いことがわかる。父親の生涯を簡単に箇条書きにしてみると以下のようになる。

マルケの妹ブランシェフルールと恋におちる→
コーンウォールの武将としての戦闘中瀕死の重傷を負う→
死を待つ彼をブランシェフルールは密かに訪ね、愛によって生還させる(その際身ごもったのがトリスタン)→
戦闘で再び重傷を負い死亡、死にぎわにブランシェフルールとは会えずじまい、彼女は絶望して苦労の末トリスタンを産み死んでしまう

どうだろう、トリスタンの生き方と似ていないだろうか?むしろトリスタンのほうが父親の生涯を再現して生きたといえるかもしれない。「嘆きの調べ」はそんな父親の「再生」として生を受けたトリスタンを音楽的に象徴している。これはワーグナーが当時興味を持っていた仏教のテーマ「輪廻転生」に通じる。ワーグナーが仏教劇「勝利者たち」を書こうとしていたほど、仏教に対する興味を持っていたことを思い出すべきだろう。これはライトモティーフによる「輪廻転生」の表現なのだ。

さて3幕後半ではホルツトランペットによって「別の調べ」が吹き鳴らされる。これはイゾルデが来た合図でもあるし、「嘆きの調べ」で象徴されていた運命からトリスタンを開放する合図でもある。父親は死に際に愛する人と会えなかったが、トリスタンは一目会ったのち幸せに「死ねる」のである。死ねない運命であったトリスタンはこの「別の調べ」で死へと誘われる。

イゾルデはどうか?最後の「愛の死」は2幕2場後半の壮大な再現であるが、その内容はこのようなものだった。
“So stueben wir, um ungetrennt,
ewig einig ohne End',
ohn' Erwachen, ohn' Erbangen,
namenlos in Lieb' umfangen,
ganz uns selbst gegeben, der Liebe nur zu leben!”
「こうしてぼくらは死ぬのだろう、離れず、
永遠にひとつに終わりなく、
目覚めることなく、恐れることなく、
名もなく愛に包まれて、
ぼくたち自身にささげられ、愛だけに生きるために!」

同じ音楽をこれだけ長く再現することはワーグナーでは稀である。しかし2幕で二人で歌ったこの内容の成就を告知するためにどうしても必要なことだったのだ。これによって「ぼくら」は二人とも「愛だけに生きるために」幸せな死に赴くことになる。

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以上です。これを押さえておけばドラマの本質の基本を知った事になると思います。「薬の交換」や「まなざしにより剣を落とす」などといった原作にない要素をなぜワーグナーが持ち込んだかを考えてみてください。
しかしなにをおいてもすごいのは、このような内容の統一が完璧な精緻な音楽技法によって支えられていることです。この作品の傑作たる所以はすべての要素が高度な次元で結実しており、まさに神の仕事とも言えるほどの完成度を誇っているからに他なりません。みなさんも「トリスタンとイゾルデ」を愛し、幸せな人生を送りましょう!!!

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