Tristan und Isolde 徒然③ トリスタン3幕のイングリッシュホルン
トリスタン3幕が始まりほどなくして聞こえてくるのがイングリッシュホルンによるメロディー。これがまったくのソロで延々と鳴り響くのにびっくりしたことある方は多いのではないでしょうか。慣れてしまえばそういうものだ、と思ってしまいがちですが、それにしても大胆なやり方であることには変わりありません。なぜこんなにも長くソロを吹くのでしょうか?
トリスタンは第一声で"Die alte Weise、was weckte sie mich?"と歌いますが、これを直訳するとこんな風になるでしょう。
「なつかしい調べ、どうしてそれは私を起こしたのだろう?」
つまりこのメロディーが彼を蘇生させたということなんです。カレオールの土着の古い笛の「なつかしい調べ」の作用によって彼は生命をとりとめたのです。
その後再びこのメロディーが聞こえてきたとき、彼はこの調べの真の意味を知るのです。父や母の死を知ったときにもこの調べが聞こえていたと彼は語り、ついには「死にのぞんで焦がれ、焦がれる思いのために死ねない」という彼自身の運命を悟ります。
彼の脳裏に刻まれたこの調べは、父母の愛と死の運命を凝縮した一つの記憶体となり、その後彼が無意識のうちに知覚することになるのです。彼の人生の様々な局面において意識下で発動しては、彼に運命を認識させ導いていったのがこの「なつかしい調べ」なのです。
これを聴衆に明確に知覚してもらうためにワーグナーはたった一人で延々と「トリスタンの記憶体」を瀕死のトリスタンの脳内に聴かせるように幕の冒頭イングリッシュホルンに吹かせるのです。
この後、運命を悟ったトリスタンは、「横たわる小船の中で調べを聞き、アイルランドに流された」とイゾルデのところに流されていった話しをしますが、このセリフの後いくつかの動機が「同時」に鳴らされて1幕ではわかならかった「なつかしい調べ」が彼をアイルランドに運んだというのが示されます。1幕だけでは何故トリスタンがイゾルデのところに流れ着いたかの理由はわかならいのですが、ここでライトモティーフを用いてきちんと理由を述べているのです。下の楽譜は2種類の「なつかしい調べ」そして2幕に何度も登場する「昼の動機」そして「病めるトリスタンの動機」(私個人的には「イゾルデの深層心理の動機」と読んでいますが)が絡み合う、音楽的絶技とも言える箇所です。
さて後半では「別の調べ」が鳴り渡ります。イゾルデの船を発見し羊飼いがクルヴェナールに言われたとおり「楽しく鮮やかな節」を吹くのです。
ご存知の方も多いと思いますが、舞台上演の際にはこの調べは「ホルツトランペット」と呼ばれる木製のトランペットで演奏されます。スコアには「イングリッシュホルン」と記されているのですが、それが何故ホルツトランペットで演奏されるようになったか、についてはスコアの下部に記されたワーグナーによる注を読むとわかります。
Das englische Horn soll hier die Wirkung eines sehr kräftigen Naturinstrumentes, (wie das Alpenhorn), hevorbringen; es ist daher zu raten, je nach Befund des akustischen Verhältnisses, es durch Hoboen und Klarinetten zu verstärken, falls man nicht, was das Zweckmässigste wäre, ein besonderes Instrument (aus Holz) , nach dem Modell der Schweizer Alpenhörner, hierfür anfertigen lassen wollte, welches seiner Einfachheit wegen (da es nur die Naturskala zu haben braucht) weder schwierig noch kostbar sein wird.
「このイングリッシュホルンは、非常に強い自然倍音楽器の(例えばアルペンホルンのような)効果をもたらすべきだ。したがって、最適な楽器、つまり特別な楽器(木製)をスイスのアルペンホルンのように製作させることができない場合には、音響条件を判断の上、オーボエとクラリネットで補強することが推奨される。そのような特別な楽器も自然倍音音階しか要求されないので、制作は難しくもなく、費用もそれほどかからないだろうが。」
制作が易しく費用がかからなかった、とは全く思われないのですが(笑)!この要望を満たす楽器として開発されたのですね。
「別の調べ」が聞こえてくるということは「なつかしい調べ」が完結した、つまり「死ねない運命」が完結したということなんです。イゾルデ=念願の死に向かって立ち向かっていき、到着したイソルデと眼差しを交わしたのち死ぬのです。トリスタンの父親は死に際に愛する人と会えなかったのですが、トリスタンは一目会ったのち幸せに「死ねる」のです。死ねない運命であったトリスタンはこの「別の調べ」で死へと誘われるのです。
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