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ボリスゴドゥノフの音楽攻略法③

「ボリス・ゴドゥノフ」はボリスの没落→死への過程を描いた話ですが、もう一つの見どころはグリゴリーのストーリーです。

グリゴリーは僧坊で師ピーメンから、ボリスのディミトリー殺しの話を聞きます。ディミトリーが生きてれば今の自分の歳と同じと聞き、自分がディミトリーになり変わってボリスを倒し新しい皇帝になってやる〜という野心を抱くのです。

オペラの最後は彼が「偽ディミトリー」として現れ、「我が新しい皇帝だ〜」と勇ましく大宣言します。

さてムソルグスキーは「グリゴリー」=「偽ディミトリー」を画期的な方法で描きました。前回登場人物にはテーマがある、という話をしましたが、当然グリゴリーにもあります。そしてディミトリーのテーマもあるのです。

よーく見てみると2つのテーマは音の並びがおんなじなのです。

「違う人になり変わるけど同一人物だよ」ということを似たようなテーマを用いることで達成しているんです。このアイディア凄くないですか?曲中ではメロディーは変容して様々な場面で使用されます。以下に使用例を示します。最初の5つの音はどのテーマも共通です。(最後の例だけ4つ目の音が違います)

この問題だけで一つの論文が書けるくらいの深いテーマなのですが、こういう動きが出てきたらグリゴリーかディミトリーのことを言っていると理解して間違いないです。

「グリゴリーのテーマ」「ディミトリーのテーマ」使用例

では実際の楽譜をグリゴリーが偽ディミトリーになるまでを時系列で追ってみましょう。

1幕1場、僧坊でピーメンからディミトリー皇子は生きていればお前と同じ歳だと聞かされると、「グリゴリーのテーマ」がはっきり聞こえてきます。その場所のト書には「これらの言葉で、彼は堂々と高く立ち上がり、そして屈辱的な態度でベンチに座る」とあり、野心やボリスへの反抗などが芽生えます。

「とすると、お元気ならば、皇子様はお前と同じ歳だ」の後に「グリゴリーのテーマ」

シーンの最後では
「ボリス、ボリス!お前の前ではだれもみな震えるばかり。誰もお前に思い出させる勇気がない、不幸な皇子のいけにえのことを。」と独白します。その最後に「グリゴリーのテーマ」

1幕2場、リトアニア国境の旅籠屋の場面、彼の登場にグリゴリーのテーマが聞こえてきます。一度目は農民に変装したグリゴリーとして、二度目はあたりを伺うように低音域で。

場面の後半、お尋ね者の書いてある命令書を皆読めないのをいいことに、自分が読めると言い、ヴァルラームに疑いがかかるように音読します。歌の前に「グリゴリーのテーマ」が鳴ります。

グリゴリー「私が読めます。」
ニキーティチ「そうか、では読め、声を出して読め!」

ニキーティチの歌の前には「ニキーティチのテーマ」が鳴ります。(前記事参照)

旅籠屋のシーンはこのような感じでグリゴリーが歌う前には「グリゴリーのテーマ」が鳴るので分かりやすいです。グリゴリーは逃亡します。

「グリゴリーのテーマ」に続いて「私が読めます。」
3小節目は「ニキーティチのテーマ」

3幕2場(噴水の場)にはマリーナと既に僭称者ディミトリーとなっているグリゴリーのデュエットが置かれています。グリゴリーは噴水のある月夜の庭でマリーナを待っています。その場面の開始部には「グリゴリーのテーマ」がはっきりと提示されます。

2段目に「グリゴリーのテーマ」

デュエットのクライマックス、ツァーリを目指してモスクワへ、と高らかに宣言する箇所には、グリゴリーのテーマが発展して提示されますが、これはオペラ最終場面、群衆の前にツァーリとして登場する音楽の先取りです。

「私は皇子だ。ロシアの隅々から首領たちが集まった。明朝には勇ましい親衛隊の先頭に立って戦いに飛び立つのだ。名誉ある戦士としてまっしぐらにモスクワのクレムリンへ。運命によって定められた父の帝位を目指して。」

オペラ最終場面への布石となる「ディミトリーのテーマ」

第4部、群衆が話をしています。

「あの方はもうクロームイに来ておられるということだ。あの方は大群を率いてここにやって来られる。」と歌う背景に「ディミトリーのテーマ」が聞こえます。もうディミトリーがやって来てボリスを倒してくれるとの期待が感じられます。

4幕1場、ボリスの死の場面、シュイスキイに呼ばれてピーメンがやってきます。ピーメンは幼いディミトリーの墓の前で起きた奇蹟のことを話します。子供の声を再現して歌います。

「そこにある僕の墓にお祈りを捧げてくださいよ。ねえ、おじいさん、僕は皇子ディミトリーです。主は僕をそこの天使の列に迎えてくださった。」

「僕は皇子ディミトリーです。」の箇所に印象的な「ディミトリーのテーマ」が現れます。1度目はイ長調、2度目は変ニ長調で。この奇蹟の話が元ででボリスは最期を迎えるのです。

1段目最後の小節から「ディミトリーのテーマ」

そしてオペラ最終場面、群衆の前に偽ディミトリーが現れます。

「我、ディミトリー・イヴァノヴィチは、神の思し召しによる全ロシアの皇子にして我が先祖以来の公である。ゴドゥノフの犠牲者である汝らに告ぐ。余は汝らに恵みと保護を約束しよう。」

輝かしい変ニ長調の和音で宣言が開始され、オーケストラに「ディミトリーのテーマ」鳴ります。

上の楽譜の続き。フルシチョーフに「立ちなさい、貴族よ!」と呼びかけたのち、群衆に向かって「さあ、聖なる祖国へ!モスクワへ!黄金のドームが輝くクレムリンへ!」と歌います。3幕の最後マリーナへの言葉が成就した形で、その音楽が輝かしく再現されます。

この輝かしい音楽の後に聖愚者の歌「流れ出よ、流れ出よ、血の涙よ。」が続くのです。ボリスの没落、新しい偽ディミトリーの戴冠、とロシア動乱時代の流れを観客は目の当たりにし、それを聖愚者が嘆く、その意味を誰しもが考えずにはいられないエンディングなのであります。

1869年稿ではボリスの死で終わっていたため、グリゴリー→偽ディミトリーの流れが描き切れていなかったのですが、第3幕と終幕を追加した1872年稿によりグリゴリーのストーリーが明確になりました。その上合唱団のスペクタクルなシーンで締めくくるというのも、ボリスの戴冠式場面との対比ができてバランスの良いものになったと思います。

今回新国立劇場バージョンでは第3幕ポーランドの場がありませんが、4部を演奏することにより、ディミトリーが生きていてモスクワに向かっている、という情報が与えられます。

次回はいよいよボリスです!その④へ


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