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東海村JCO臨界事故:茨城県民投票と私たちの物語

中学1年生のときに、父の転勤で東京へ移住した私は、中学、高校、大学、大学院と東京で過ごし、その後、いろいろあって14年ぶりに茨城に戻ってくることになった。

県庁所在地の水戸の駅前の予備校で、物理の予備校講師をはじめたのが、私の社会人としての仕事のスタートだった。

そんな頃、東海原発で臨界事故が起こった。

生徒たちは、「ガンマ線って危ないんですか?」などと、物理教師の私に質問してきた。

その質問に、私が何と答えたかは覚えていないが、はっきりと覚えているのは、そのときに、たいした危機意識を持っていなかったということだ。

自分たちのよく知っている場所が、テレビで報道されていて、全国的に注目されている。。。くらいの意識だったように思う。

今から思えば、東海村JCO臨界事故は、日本ではじめて事故被曝による死者が出た深刻な事故であり、しかも、原研や動燃には同級生が働いていたのだ。

しかし、当時、自分のことでいっぱいいっぱいだった私は、それらに想いを巡らせることがなかった。

あのとき、自分には、危機感のスイッチが入らなかった。

そのことを、大切な教訓として、覚えておきたい。

だからこそ、今、危機感のスイッチが入る自分でいたい。

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