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時間概念はどのように拡張されるのか?

ニュートン力学では、時間は過去から未来へ一様に流れることになっている。これを絶対時間という。ニュートンは、絶対時間を前提として置いて、ニュートン力学を組み立てたのだ。

哲学者のエルンスト・マッハは、絶対時間を、「人間が感覚したこともないものを記述にあらかじめ持ち込んでしまっている、形而上的な概念だ」として否定した。

詳しいことは忘れてしまったが、「温度計は、温度を測定しているのではない。水銀の膨張率が、人間の温度感覚と比例しているように感じて、水銀の膨張率を温度として定めているだけだ。同様に、時計は時間を測定しているのではない。振り子の運動が、人間の時間間隔に比例しているように感じて、振り子の往復回数を時間として定めているだけだ。」と言って批判していたのを記憶している。(詳細は違うかもしれない)

今日は、「時間という概念が、どのような体験から生まれたのか」というマッハのまなざしに注目してみたい。

1980年代に発見された「量子テレポーテーション」は、量子もつれの関係にある2つの素粒子の一方を観測し、重ね合わせ状態から収束すると、他の素粒子も同時に収束するという現象である。

量子もつれ2

これは、情報が光速を超えて伝わることはないとするアインシュタインの相対性理論を破る現象であり、新たな世界観を構築する扉である。

量子テレポーテーションとは、1980年代以降の人類が初めて出会った非常識な体験である。そこに、マッハのまなざしを向けたら、どうなるだろうか?

つまり、次のような問いである。

空間を超えて、同時に関連した現象が起こるという体験は、どのような時間概念を生み出すのだろうか?

振り子の往復運動が、顕在的な世界を過去から未来へ一様に流れる「絶対時間」を導いたように、「量子テレポーテーション」は、潜在的な世界と顕在的な世界を行き来するような時間を導くのではないだろうか。

華厳時間

(『出現する参加型社会』 華厳の時間より)

出現プロセス

(『出現する参加型社会』 源泉からの出現)

『出現する参加型社会』を執筆したときには、明確にしきれなかった両者の関係が、「マッハのまなざし」を通して、徐々に明確になってきた。

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