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私にとっての演劇2 Post-COVID19

1.「私にとっての演劇 その1」を投稿したのが今年の2/27だった。そこで「その2は演劇界の顧客対応、その3は演劇界のエコノミクスとリスクマネジメントといった観点から」と予告していた。

3月に入って世の中が変わった。ある程度は想定していたが、事態はその想定のワーストの更に下を行ってしまっている。この先だって、楽観的になりたいとは思うが悲観シナリオを考えないわけにいかない。緊急事態宣言は5/6までといっても、それまでに感染者増加カーブが落ち着かない限りは外出自粛も営業停止も連休までという保証はどこにもない。世界恐慌以来という表現がある。おいおい、1929年だよ。

横内謙介のこのブログに書かれた思いに共感する演劇人は同世代(私もそうだが)を中心に多いはずだ。ただ、「理解はできるけど同調できない」という向きも必ず存在する。特に若い世代の演劇人には。そしてこんな時期だからこそ演劇に触れたいのに触れることのできない観客も。

コロナウィルスが崩壊させるのは医療体制だけではなく社会全体かもしれない。そんなことを想定してリスクマネジメントしていたところなんて、まあなくはないだろうが、大多数はこのテイルリスクは想像できていなかった。AIが予測していたという記事を読んだような気もするが、それを生かしたというところがあるのだろうか。

顧客対応とエコノミクス・リスクマネジメントという論点は、このテイルリスクが顕在化し、そして収束した後の世の中に、演劇界がどう対応すべきなのかを考えるのに実はとても重要ではないかと今更ながらに思う。(4/10)

2. 1を書いてから10日近く経過した。在宅勤務に移行して三週間。政府の対応策、特に自粛に伴う経済的対処については官邸主導という名の側近政治が限界を露呈し、市井から上がった声が無視できなくなっている。10万円はとりあえずいいとして、それはあくまで短期の対応であって、公演中止によって大打撃を受けている舞台芸術に対するサポート策も少しずつ動き出してきているようだ。この国の舞台芸術の火を消すなという声が徐々に為政者に届いているとすれば悪いことではない。ただ、ソーシャル・ディスタンシングの要請は、そう簡単に解除されるものではない。するとコロナ前に当たり前だった世界にはコロナ後に戻ることも安易に期待できない。

mizhenがオーナーとなっている木曜日の松陰神社前スナック「みずとひ」もオンライン営業となり、二度参加した。劇場公演を一旦卒業するといっていた彼女らの方向性に興味があり、この一年弱ときどき顔を出していた。そこでは即興劇・音楽、能、舞踊、企業コラボなど、劇場を使わない「演劇的な何か」に対するチャレンジがあった。私が面白いと思ったのは作劇のプロセスであり、そこで垣間見れる試行錯誤だった。オンライン営業に当面シフトしても、そのプロセスを目撃することは可能だ。

4/13には、dull-collored popが即興劇をYouTubeで配信した。

https://www.youtube.com/watch?v=8bZKeuxIjdI

この配信もなかなか見ものだった。事前に一般からお題を募集し、それを160分かけてやり切った。おまけに深夜ではあったがツイキャスでオンライン打ち上げの様子を見ることもできて、配信中と配信後の演出家・役者のコメントを聞くことができた。稽古場にいるがごとく。ツイキャスで「演劇は素晴らしい、演劇人は素晴らしい」とコメントしたら谷賢一が「その感想はありがたいが、(アトリエ春風舎の)現場にいた自分としては、ナマでこれを観ることができていないカメラの向こう側の観客には、この作品の本当の良さはわからないだろう」と答えてくれた。

それはそうだろう。でも私たちが当たり前のように劇場に足を運び、開演前、上演中、終演後といった時間の経過毎に様々な想いを抱き帰路につく、といったことが近未来にまた体験できるのだろうか。劇場の素晴らしさがわかっているし、一か月以上もお預けをくらっている観客としては、再開されたら是非とも思うが、世界の現状を見るにつけそんな状態は年内はもう難しいかもしれない、いつになったらとさえ思えてしまう。

ダルカラの配信が素晴らしかったのは、劇団メンバー間の信頼感の強さが一因だと思う。映像チームのクオリティも称賛に値する。それでも春風舎に集った彼らの濃厚接触は心配。外出自粛のなか自宅から小竹向原駅まで向かう際の感染リスクを勘案して参加を見送った客演。他にも不参加の劇団メンバーがいた。「ダルカラ配信祭・即興劇生配信」という試みは、相応にリスクをマネージしながら、支援の投げ銭によるマネタイズもそこそこ成功した模様ではあるが、一方でこの企画自体が長続きするものでもないだろうし、それは主宰の谷賢一自身がよく理解しているはず。

様々な演劇人が配信を通じて作品を届けてくれる。過去作品もそうだし、「この環境下で何ができるか」という試行錯誤の現場を伝えてくれるケースもある。それでも例えば過去作品配信の場合では、作品自体の水準が高かったとしても収録のクオリティが高くないと期待外れに終わる。自宅で見る配信は、例えばWOWOWやNHKBSのプレミアムステージであったとしても、劇場で得る感動と比べることはできない。試行錯誤の現場も、Trialは面白くてもErrorが続くと画面を閉じたい気持ちは抑えられない。

Post-COVID19すなわちコロナ後がどういう世界になるのか。PostではなくWith-COVID19という考えの方が妥当かもしれない。濃厚接触が制限されるなかで、どんな作品が創造できるのか。観客はどういった観劇環境を得ることができるのか。誰も答えを持っていない。でも持っていないからこそ新しい何かが出てくるのがイノベーション。リスクをマネージしながらこの危機をチャンスに変えることができた人たちが、次の時代の旗手となっていくような気もする。分断される可能性のある社会を繋ぐ役割を演劇が担えればいいのだが、そのイメージが形になってくるのはもうしばらく先のことなのだろうか。(4/19)








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