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転写する街々.2



あなたが思うことは誰にもわからない。

日々、繋がりを問うように生きて、お為ごかしの通知と仮面のダンスパーティを生き過ぎて来た僕らには、もう自分の感覚なんてわからないと思う。

自分に起きていることを客観的に観察しているふりをしてみたり、愛している人の境遇を憂いたり、または妬んだり、力無く握った拳がモルタルやベニヤを破壊しふと我に帰る時、生物として強く情けなさを思う。

もうどうでもよくて、誰かの連絡も無視して、帰路のフェンスをへし折って、誰かの善意を睨みつけて、そうやってしか守れない心に何の意味があろう?
凍えていくような雨のにおいが、僕の脳を支配する間、君に起きる幸せすらも僕は心から許せない。そしてその浅ましさすらも認め難く嫌いだ。



少し時間が経って冷静さと握手を交わして、漫画を開く、映画を見る、テレビゲームをする、本を読む、空想に耽る。
物語の中にはいつもそれぞれの境遇と、優しいくらいのちょうど良い空白と、それから僕に対してのささやかな愛がある。(ときにこの愛が滲んでいる時があって、それは愛がない時より嫌いだ。)

物語の中にいる誰かと深く共鳴する時、僕の気持ちは、考えは、想いは、感覚は、鋭く震えて、いつも涙が出る。

まるで作者が僕のことを知っていて、その輪郭をすり抜けて心を握るように、そして包み込むように、愛と激励を感じる。君はここにいる、と。

またしてもこのような、イデア的感覚を転写したような経験が、さまざまな物語を旅しながら生きる僕の心を救う。これが救済じゃなくて何だろう?こんなことがやれたなら良い。

いつもそう思って結局、くたばりそうな生活を慰める。僕の日常の話だ。



2024.06.02

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