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コンフォートゾーンを超える

東京に来て10日以上が過ぎた。

朝起きたらジョグをして、日中はRuntripでインターン、夜は東京の知り合いと会う日々を送っている。

毎日はちゃめちゃに楽しい。東京生活が始まってから、東京に来る仙台の友人に会うと「仙台で燻ってた頃より、すごくキラキラしてるね。」と言われる。

素敵な人たちに囲まれてスキを追い求められているからだと思う。

先日、東北風土マラソンでご縁があったYahoo!の方々に夜ごはんをご馳走になった。そのときに「1年休学して東京に来るのは、とても大きな決断だったんじゃない?」と聞かれた。

たしかに、大学生活も6年目に1年休学するというのは、ただでさえ長引いているモラトリアムをさらに長引かせるということ。

それでも、僕の中では「1年休学してRuntripでインターンをする」という選択は自然に決断できた。

なぜか?と問われれば自分でも不思議なのだけど、2月に仙台でINTILAQの竹川さんに相談してRuntripでインターンができるかもしれないという話になった時点で「今しかないな」と自分の中で腑に落ちた。

もともと、このままでいいのだろうか…と悩んできた中で「このままでいいはずはない」と答えは出ていたし、自分の興味が向く環境で挑戦したいという本心は分かっていた。

これからの自分の人生をどう過ごしていくのか。安定を求めて、好きなことは片手間でやるのか。それとも、リスクを背負ってでも好きなことを追い求めるのか。大学はどうするのか。仙台に居続けるのか、一度出てみるのか。

自分という人生に責任を持てぬまま、問われ続ける様々な声に答えを出せず逃げてきた。

正直、走ることを仕事にするのは「したいけど、怖かった」。

向き合いたいけど、向き合えなかった。失敗と挫折を繰り返してきた自分にとって、コンフォートゾーンから出て自分を表現するというのは恐怖だった。大した実績もない、失敗を繰り返してきた自分にとって受け入れてくれる人などいるのだろうか……

それでも、コンフォートゾーンから出ることを選んだのは周りの挑戦する友人たちの姿を見て「自分がこんなんじゃいけないよな」と思えたことだった。そこから少しずつ向き合い始めて、最終的に環境を変えることを選んだ。

その中では友人に「自分が興味のある環境が東京なんだけど、仙台から出た方がいいと思う?」と聞いたこともあった。「興味があるなら、東京に行って真近で見たほうが絶対にいいですよ。」と答えが返ってきた。

今振り返ってみるとそれが大きく背中を押された言葉だったと思う。

毎日小さな選択を繰り返してきた結果だった。

おそらく、大きな決断だったのは受け入れてくださった大森さんはじめRuntripの方々や繋いでくださった竹川さんの方だったんじゃないかと僕は思う。失敗を繰り返してきて、各方面に迷惑をかけてきた僕を受け入れて「いいよ」というのは相当な決断だったのではないでしょうか……。

ちなみに、きのうオフィスでRuntripのビジョン・ミッションについてのスライドを読んでいたときに「コンフォートゾーンを超える」という大森さんの言葉が出てきた。

(え……!ここでも出会う???)

東北で学んできたことと重なって、嬉しかった。

こんなにも素敵な大人たちに出会えて、僕は嬉しい。

この1年、もっともっと自分の殻を破っていこう。コンフォートゾーンを超えていこう。

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