「まむしの兄弟 2人合わせて前科30犯」 V.3.1


第1話 日本人を助けてくれない日本の警察官

「警察 ? 冗談やないで。」
「おかやん、なんにもわかってへんのやなぁ。」
「警察っちゅうところはなぁ、ありゃ悪いもんの味方やで。」
「あないなとこ行ったら、どないなことになるかわからへん。」

 (菅原文太 映画俳優。宮城県生れ。早稲田大学卒。モデルから転身し1970年代に、やくざ映画でスターとなる。出演作「仁義なき戦いシリーズ」「県警対組織暴力」「トラック野郎シリーズ」「まむしの兄弟シリーズ」など。宮崎駿監督アニメ「千と千尋の神隠し」では、釜ジイの声役で好演した。(1933~2014))

 監督は、「けんかえれじい」1966年 の鈴木清順。これは小説も面白い。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%91%E3%82%93%E3%81%8B%E3%81%88%E3%82%8C%E3%81%98%E3%81%84


第2話 月刊「Haneda」5月青葉号

  飯山陽「偽善者にだまされるな」㉔
  「外国人差別は許されないと叫ぶ偽善者たち」

  飯山氏は、この論説で暴虐クルド人に被害を受ける埼玉県川口市の惨状を例として取り上げ、その因となっている日本の政治家を糾弾されていらっしゃるようですが、現場レベルで最もあくどい偽善者は警察なのです。

  在来種日本人にデモや集会をやらせず、ネットで政府や警察に対し正当な意見を述べる者に対して各種嫌がらせ・脅しで対抗する。日本国民を守らず、在日韓国・朝鮮人・クルド人といった外国人(の中で悪い人間)の犯罪に目をつむり、わざと在来種純粋日本人と外来種の争いを助長することで、自分たち警察の存在意義を高めようとする。
  警察こそ二枚舌の偽善者なのです。

  

第3話 ヤクザと警察 どちらが恐い ?

  この話は、数年前、私が初めて釜ヶ崎のホテル(一泊1400円)に宿泊した時の実話です。

① 3月下旬の夜6時半頃、私は折りたたみ自転車でホテルに着くと、道路の植え込みの前にずらりと並んだ自転車の空きスペースに、自分の自転車を押し込んでいました。

  すると、向こうから、ヨレヨレの体操着を着てサンダルを履いた、漫画「じゃりん子チエ」の父親のようなおっちゃんが、携帯電話を耳に当てながら歩いてきました。そして、私から数メートル離れた辺りで、立ち止まり、こんな話をし始めたのです。
  ・・・
  「ゆんべな、テツが飲み屋で肩刺された言うて、血まみれで帰って来よった。」
 「警察へ行った(言った)?」
 「アホ! あんなとこ行ったかて、なんもしてくれん。」
 「お茶も出さんで、暇なおまわりが、へえ・ほう、はなし聞くだけ聞いて、「ほな、気いつけえや。」でおしまいや。」

 「女やったら別や。」
 「○○(飲み屋の名前)の××子な。」
 「おまわりが店に来て、なんや困ったことあらへんか、言うから、「なんもあらへん」言うたそうや。」
 「ほしたら、何日かしたら、××子のアパートの近くに来て、また同じこと聞くんやて。」
 「××子の自転車の防犯登録シールから女の家調べ出したらしい。」
 「ヤクザより警察の方がよっぽど恐い、××子言うとった。」
 「そんなもんや。警察たらいうとこは、女にはしつこくやさしゅうするが、わしらんみたい、助けるどころやない、相手にもせえへん。」
・・・
 「テツ?」
 「今朝起きたら、いなくなってた。自転車がなくなってたんで、自分で医者へ行ったんやろ。」
・・・
 そういって、再び歩き出し、西成警察署の方(メインストリート)へ、テクテク歩いて行きました。


第4話 大阪の夜景(通天閣)を見ながら湯船に浸る

  「やれやれ、とんでもない話を聞いたもんだ」なんて感動しながら玄関を抜け、フロントでチェックインしてエレベーターのあるホールへ向かいました。

  すると、そこには男子(大)学生?らしき2人がいて、「ぜんぜんイメージと違ってきれいだね。」なんてことを(関東弁で)話していました。
  恐らく、卒業旅行で大阪へ遊びに来たのでしょう。「ちょっと恐いところ」というイメージでやって来たら、意外にもホテルの外観・入り口・ロビーも(夜ということもあり)きれい安全ぽいので、ホッとしているようでした。

  人間の運命とは、どうしてこうも違うものなのか。
  初めて釜ヶ崎へ来て、いきなり「刺されて血まみれ」なんて話を聞いてしまい「やっぱり・・・」と、緊張する私。
  かたや「釜ヶ崎って、思ったよりきれいで安全」と、すっかり安堵している若者たち。
  「男と女、あやつりつられ、細い絆の糸引き引かれ、稽古不足を幕は待たない、恋はいつでも初舞台・・・」(梅沢富美男「夢芝居」)。
  運命の糸とは、なにかの意図のことなのか。

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  「心ウキウキ・ワクワク」の彼らは、途中の階で楽しそうにエレベーターを降りていきました。
  私の部屋は最上階で、廊下の先30メートルには、このホテル自慢の展望風呂があります。風呂好きの私は、部屋で一服するや早速、浴衣に着替えて外に出る。「血まみれ」のことなど廊下を歩いている内にすっかり忘れ、ガラリと風呂の扉を開けました。

  すると、さっきの学生たちがいて、一人はすでに裸になり浴場の戸を開けて入っていくところです。
  私は浴衣を脱ぎ、手拭い代わりの褌を手に浴場の扉の前へ行くと、もうひとりの学生が扉に手をかけたところでしたが、そのとき扉が開き、先に入った学生がこわばった顔で出てきました。そして、「ちょっと・・・」と言いながら浴場の方を顎で示します。すると、中を覗いたもう一人も、ビクンと緊張した顔になり「(風呂に入るのは)後にしようか」と言うと、2人して自分たちの脱衣籠の方へ戻っていきました。
  私は「何がいるんだろう?」なんて、ワクワクしながら中へ入る。

  浴場は、左右に数個ずつのカラン(シャワーと蛇口)が並び、奥には10人が入れそうな大きな浴槽、その左手にはガラス窓越しに、いかにも大阪らしい「通天閣のそびえ立つ見事な夜景」が広がっています。
  そして、と言うか、ところが、と言うべきか。
  各カランのところには、10名ほどのお兄さんがたが座っていらしたのですが、なんと、全員が背中一面の「総入れ墨」。
  まさに、大阪らしいというか、これが釜ヶ崎と言うべきか・・・。
  大学時代、土曜のオールナイトで観た東映ヤクザ映画、刑務所の風呂の場面を思い出しました。

  私が子供の頃というのは、銭湯に行けば一人や二人は入れ墨をした人がいるのは当たり前、という時代でした。
  6歳の頃でしたか、お祖父ちゃんに連れられて浅草へ遊びに行き、帰りに寄った銭湯で、全身に総入れ墨というおじさんの背中を流して、祖父と二人でコーヒー牛乳をごちそうになった、なんてこともありました(子供や年寄りには優しい)。
  そんなわけで、入れ墨には「免疫」があるのです。

  湯船にひたり通天閣を眺めていると、つい「きれいなお姉さんと夜景を見る」なんて夢を思い浮かべたのですが、現実は、目の前に強面のお兄さんたちの「桜吹雪に富士山、般若におたふく」なんてステキな絵柄に囲まれて、ちょっと緊張しながらの垢流し。
  これも運命なのか、日本(人)らしい楽しみ方、と言うべきなのでしょうか。

第5話 真剣勝負の世界に浸る

  いま思えば、ですが。

  全身に入れ墨を入れるなんていうのはもの凄い苦痛で、しかも完成まで半年~1年くらいかかるらしい。(広辞苑によると)入れ墨の別名は「我慢」というくらいで、よほど辛抱強い・人間としてしっかりとした人でないとできないのだそうです。

  ですから、昔の人は、総入れ墨の人を「人徳者」「任侠」といい、尊敬していました。チャラチャラしたアクセサリーである、西洋のtattooなんてのとは訳がちがうのです。

  なぜ、そんな人徳者が刑務所に入るようなことをするのか、と思うかもしれませんが、そこが、そんじょそこらのチンピラが引き起こすゼニカネのトラブルではなく、義理(物事の正しい筋道。道理)一筋の世界であり、私たちのような俗っぽい世界とは一線を画している故にこそ、なのです。
  その意味では、フランスの騎士道精神である「noblesse oblige」に通じる精神性があるといえるでしょう。

  自分の姓名どころか、世界中にたったひとつしかない名前(絵柄)を背中に背負って生きるというのは、まさに天上天下唯我独尊の境地。このオレは逃げも隠れもしないぜ、という心意気なのです。

  昨今の日本では、警察の取調室やパトカーの中で婦警さんとセックスをしていた不倫警察官や、交番の中で勤務中何十時間もゲームボーイをやっていたなんて警察官でさえ、悪事が発覚しても(新聞に)名前すら出ない。「厳重注意でお終い」なんていう警察世界の方が、世界中誰が見ても「狂気」でしかない。
  まるで、「警察官は何をやってもお咎めなしですから、上から下まで、みんなで悪事を働きましょう。」「赤信号、みんなで渡れば恐くない。」と、警視総監殿が全警察官に向かって奨励しているようなものです。

  自分の名前を大切にしない、名無しの権兵衛でもかまわないというのは、(在日)韓国人的ともいえるでしょう。

  しかし、そうやって自分たちの住む世界を自分たち組織ぐるみで甘やかすというのは「一個の腐ったリンゴが全体を悪くする。」「悪貨は良貨を駆逐する。」という社会を作り出していく。日本の社会を守るという、偉そうなご神託を掲げた警察という組織自身が日本を腐らしている、ということなのです。

  悪いことをした(仕事に失敗した)ら、指を詰めて一生罪の重荷を背負うという真剣勝負の世界に生きるヤクザの方が、大学日本拳法で真剣勝負をしてきた私からすれば、よほど正気といえます。

  まあ、あの時、湯船の中でそこまで考えはしませんでしたが、いま思えば、一泊1400円の宿で真剣勝負師たち10人に囲まれて身体の垢を落としたとは、なんて私は果報者、人生における数少ない貴重な体験であったと、今更ながら自分の運命というものを感じます。
   あの日あの時あの場を逃したら、よもや真剣勝負師が10人も揃う(歌舞伎の「白浪五人男、大川端揃い踏み」)なんていう場面に出くわすことは、今生にも来世にもないことでしょう。
  まさに、
  「人心受け難し今すでに受く、仏法聞き難し今すでに聞く。今生に度せずんば更に、いずれのところに向かってか、この身を度せん」。

  昨年11月26日、第68回全日本学生拳法選手権大会で、もの凄い真面目な人・超がつくくらいの真剣勝負師と出会ったり、商社時代、かの西澤潤一氏(ノーベル賞級の発明を幾つもされた)と東北大学で同級生であった方と、半導体設計装置の関係で真剣勝負のお付き合いさせて戴いたりと、拳法も強くない・頭も悪い私のような人間が、素晴らしい人たちに出会い、魂が震える体験をしてこれたのは、ひとえに私自身が真剣勝負の心で生きてきた(期間や時期や瞬間があった)からなのかもしれません。

  今やプー太郎の私ですが、また大学日本拳法時代、練習をサボったり、いい加減なことばかりやっていましたが、少なくとも練習でも試合でも、ひとたび殴り合いになれば、(技術だの駆け引きなど考えず)、ただひたすら死に物狂い・殺し合いの気迫で相手をぶん殴っていた(殴られていた)。

  その一瞬・一瞬の積み重ねが様々な僥倖を呼んでくれたのでしょうか(出刃包丁で刺されそうになったり、なんていう不運にも、同じくらいたくさん出遭いましたが)。

  「スタンド使いはスタンド使いと出会う」「類は友を呼ぶ」とは、まさにこの謂なのでしょう。

2024年4月2日
V.2.1
平栗雅人

第6話 マフィアの話

  40年前、ボストンに滞在していた頃、ひょんなことから、ある「マフィア」の方(イタリアからの移民)に話を聞く機会がありした。
「 → 」は、私の注

○ その人が言うには「マフィアとかコーザノストラ」という言葉は、テレビや映画といったマスコミが勝手に作ったもの。

○ アメリカという国は、世界中(欧州)から来たたくさんの移民によって成り立っている。 → 移民という輸血なくしては、国家・社会の機能がストップしてしまう。

○ アメリカの警察とは、国家(政府や役人)と銀行(金持ち)を守るための暴力組織であり、移民の我々を守ってくれない。 → 日本の警察も同じですね。大正時代に生活が困窮した民衆による「米騒動」でも、警察は米を買い占めた金持ち商店や銀行を守りました。

○ だから、アメリカでは移民であるイタリア人もフランス人もロシア人もアイルランド人も、警察のような暴力組織を作って自分たちで自分たちを守ってきた。
 → 日本でも、在日韓国・朝鮮人を守るために、戦後、○○○会という互助組合・政治団体が誕生しました。現在、日本に住むクルド人たちも「自分たちを守る組織」を作りつつあるのでしょう。「日本人をなんでもそうかいと、物わかりのいい人間にしよう会」なんて。

○ ところが、アメリカにおける日本人移民だけは「日本人マフィア」を作らない。

ここで、もう一人の若いイタリア系アメリカ人が言います。
○ 作れないんだよ。アメリカ政府が「日本のヤクザ」を恐れているから絶対に作らせようとしない。
  日本のヤクザは頭が良いし、金儲けの為の警察屋各国の移民自身が作った暴力装置とちがい、第2次世界大戦のカミカゼ(神風特別攻撃隊)のように、ピュアな心(一殺多生、自分が死んで他を生かす ?)を持っているからだ。
  カネや酒や女で言うことを聞かない奴ほど、(政府にとって)扱いにくい者はいない。
 → 日本のヤクザの「任侠」という性質について、彼らイタリア人(移民)はどういう訳かよく知っており、一目置いているようでした。

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  なぜ、こんな話の流れになったかというと、それは;
  米映画「Once Upon a Time in America」 1984年について、私が質問したところから、この話が始まったのです。

続く

2024年4月3日
V.3.1
平栗雅人


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