Once Upon a Time in Japan マックスとヌードルス V.1.2


第1話 裸の王様化する日本の「気の毒」な国民

  広辞苑 第七版 (C)2018 株式会社岩波書店によれば、

<引用開始>
  裸の王様(アンデルセン作の同名の童話の主人公)から、高い地位にあって周囲の反対がなく自分の思いがすべてかなうため、自己を見失っている気の毒な人のこと。
  <引用終わり>

  ということですが、今の日本の場合、気の毒(被害者)は日本国民なのです。

  消費税は欧米では20パーセントが一般的だから日本もそれくらいあってもいい、なんて簡単な論理で押し通して、いとも簡単に財源を見つけてしまうイージーな政治屋たち。
  「欧米では」「諸外国では」という、夏目漱石の「坊ちゃん」に出てくる赤シャツのような、中身のない議論ばかりで、在来種純粋日本人としての芯がない。いかにも2,000年間中国の保護下にあって、一切の政治活動なんてしてこなかった外来種人間(両班やんぱんという貴族階級)らしい。

第2話 お子様ランチの警察行政

  そのくせ、自転車の二人乗りは禁止、雨の日に傘を差して自転車に乗るのは禁止、一時停止をしないと切符を切るだの罰金だの、国民の足を引っ張る・国民の円滑な生活を阻害する法律は、中国・台湾ほかのアジア諸国、欧米ではどうなっているのか、なんて話は出てこない。日本固有の問題とその解決策である、なんて調子のいい論理で、これまた簡単に押し通すというスタイル。

  雨の降る日でも冷暖房の効いたパトカーの中からのんびり監視してさえいれば給料をもらえるという、完全なる「親方日の丸・お上という王様」天下の警察官。
  これからは、町中の監視カメラと顔認識AIによって、パトカーどころかドローン警察官が、文字通り「現場に飛んできて」、罰金徴収はその場でクレジットカード(マイナンバーカード)決済という「日本の警察らしい合理的なシステム」なんて、自画自賛するのではないだろうか。

  法案を成立させるために、全国の白バイ警察官が500万円もするピカピカの白バイで、ほとんど車の通らない一時停止の交差点で待ち伏せし、片っ端から一時停止をしない自転車を「検挙」する
  そして、一週間後には、釣り上げた「大漁の違反者」の数を集計して新聞やテレビで大々的に報道し、「こんなに一時停止しない自転車が多いんですよ。だから、今度から罰金を取りましょう。」という、相変わらずの、お子様ランチ的イージーなやり方。

  台湾では、郊外から街の中心までの国道と並行して、3百メートル奥に、自転車(と歩行者)専用の道を作る。
  今まで地上の線路であった鉄道が地下に入れば、10数キロに及ぶ地上の土地は市民公園と自転車(歩行者)専用道路にしてしまう。高架の部分は、下の部分をどんどん、やはり市民公園と自転車(歩行者)専用道路にしていく。

  一年中、町中どこかで必ず道路の改良工事が行なわれ、歩行者も自転車も、そして車も、快適・安全に通行できる「仕組み・器」を作っている。警察も行政も、中国人(台湾人)はビジョンと信念がしっかりとしています。

  何でもかんでも場当たり的・その場凌ぎの法律を作って国民のかね(違反金)と我慢強さに寄生するだけという、お子様ランチ的というかチンパンジー並の知恵しか働かない警察屋と政治屋ばかりの日本とは雲泥の差。
  真の問題はなんなのかを考えて、行政と警察・企業や業界と、練りに練った法律を作ることで現実に国民の生活が楽に、スムーズになるような「社会の仕組み」を組み立てる、なんて知恵が全く働かず、行動もできない。
  政治屋・マスコミ屋と組んで世論操作し、国民に迷惑で子供だまし的な法律を自分勝手にバンバン作る。そんな場当たり的な「お子様ランチ」仕事なら、ガキでもできる。

  2,000年間、政治・軍事・経済全てに渉り、中国による完全援助を受けることで、まともな立法・行政など一切行なわず、住民の99%のぬひ(奴婢・奴隷階級)を自由気ままに、やりたい放題扱ってきた彼ら両班(やんぱん)のやり方を、そのまま日本にもってこられては、在来種純粋日本人にとっていい迷惑なのです。

  月刊Hanedaにおける韓国専門家室谷克美氏によれば、「日本人と違い、コツコツ働くという習慣が彼ら韓国人には無い」そうで、何事も場当たり的でイージーな政治屋・警察屋の体質とは、そこに由来するのでしょう。

  本来働かせるべき頭と身体を全く使わないので、警察の幹部も現場の警察官も、やることがなくて暇で暇でしょうがないから、パソコンやスマホでAVを見ているか、交番でゲームボーイをやっているしかない。
  そんな彼らを50年前、高校時代の友人は「ひまわり」と呼んでいました。
  「面白いこと言うじゃないか。」と笑うと、(警察官の)父親がそう言ってた、というので2度笑いました。暴力団事務所から(家宅捜査という名目で)かっぱらってきたエロ本を署内みんなで廻し読みしている、という話で3度笑いました。

  彼の親父さんの話によると、警察に入った時はみな、真面目で優秀なんだそうですが、3年も経つとバカとモラルの欠如した人間になってしまう。
  ですから、彼の父親は彼に対し、絶対に警察官なんかになるんじゃない、と言っていたそうですが、東京市の警察官であった私の曽祖父も同じことを息子や孫(私の父)に言っていたそうです。

  まあ、まともな審議もされず、こんな子供だましのプロパガンダで、国民が迷惑を被る悪法が簡単に作れてしまうということは、日本という国全体が「お子様ランチ」化しつつある、ということなのでしょう。

  欧米で「自転車で一時停止しないと罰金」なんて言えば、みな不思議に思うでしょう。かれらは、「自転車が一時停止しないでも走れる道路・街作りを目指す」という「まともな大人」の発想なのですから。

  何でもかんでも禁止・規制にして自分たちの存在感を高める(ボクたち警察は偉いんだ)という幼稚な発想ではない。或いは、自転車のヘルメットを義務づけて、ヘルメット屋への天下り先を確保するなんていう、意地汚い発想はしない。

  お隣の中国では、AIだのVRといった最先端の技術を有効活用して、本当に社会のためになる発想で、どんどん社会を愉しく実のあるものにしている、というのに。
  そんな、自分たちが逆立ちしても勝てない中国(人)に関しては、これまたマスコミや言論界とつるんで、中国に関する悪口の合唱を煽るばかり。

第3話 AVではなくAIを使いこなす中国人

  中国のように、AIやVRを使って、楽しくて人の役に立つ、国民(人民)の生活の質の向上に寄与するような使い方ができない外来種偽日本人。

  かつての朝鮮の宗主国である中国に2,000年間隷属してきた民族の末裔ですから、その能力に月とすっぽんほどの差があるのは致し方ないとはいえ、現在の日本の政治屋・マスコミ・警察屋という3大「裸の王様」御濫行の数々は、ギネスブックに登録されるほど枚挙にいとまがない。

  チャーチルは「最悪の首相を見つけるのは難しい。これが最悪と思っても次はもっと最悪なのが出てくる。」と、自分のことを言ったのか、チャーチルから見て未来の日本のことを言ったのか。

<中国人のまともさ>

<引用開始>

「漢詩を暗唱すると入場無料になる中国の景勝地4選」

http://j.people.com.cn/n3/2024/0403/c94475-20153040.html

人民網日本語版 2024年04月03日

  江西省南昌市の滕王閣景勝地は2023年から、VR(バーチャル・リアリティ)自動暗唱採点プラットフォームを打ち出した。
  デジタルヒューマン技術を活用して再現した唐の時代の詩人・王勃が、「試験官」となり、中国各地からやって来て次々と挑戦する観光客の暗唱を採点している。観光客が暗唱に挑戦しているのは王勃が詠んだ「秋日登洪府滕王閣餞別序」で、全文の暗唱に成功すると、無料で入場できる。

  湖南省岳陽市の岳陽楼景勝地では、法定の祝祭日に北宋の範仲淹が書いた散文「岳陽楼の記」を暗唱すると無料で入場できるキャンペーンを実施している。昨年の中秋節(旧暦8月15日)と国慶節(建国記念日、10月1日)に合わせた8連休には、スマート暗唱システムが導入され、デジタルヒューマンが、暗唱する観光客の採点を行うようになった。
  挑戦者は、5分以内に、「岳陽楼の記」の暗唱に成功すると、無料で入場券を手に入れることができる。

・・・

<引用終わり>

  

第4話 マックスかヌードルスか

米映画「Once Upon a Time in America」1984年

  マックスとヌードルスという親分格2名とその仲間(女性を入れて)5名は、街のチンピラとして実績を上げることで、いよいよ、出世の糸口をつかむ。
  政治家や官僚、警察幹部や労働運動の指導者らと結託することで、ギャングから(悪徳)事業家として本格的な金儲けを始めようというのです。

  しかし、ヌードルスだけはこれに背を向けます。

・・・

  「党も政府高官も警察もマスコミもついている」という(悪徳)役人の勧誘に対し、ヌードルスは「俺はそんなものには興味がない。高官も政治屋も信用しない。」と。

  すると、親友のマックスがこう言います。
  「バカを言うな。お前はこれから先もチンピラをやっていくつもりか? 」と。
  これを機会に政治屋・マスコミ・警察屋と組んで、国家規模の金と権力を手にする。それこそが「real money、real power」であると考えるのがマックスなのです。

  しかし、そんなものは虚構であり、ポケットに入っている数百ドルのカネと「自分の生き方」こそが「real money、real power」であると考えるヌードルス。
  「チンピラで結構。俺は街の匂いが好きなんだ。」

  自分の頭で考え、自分の身体を動かし、自分の感覚器官で見て・聞いて・匂いを嗅ぐことでこそ、本当に自分の存在が意識できるし、だからこそ真の力が湧いてくる、と言うのです。

第5話 ボストンの移民1世

 この映画では、チンピラのことを 「street schmuck, rolling drunks, stink of the street」などと呼んでいますが、ボストンのイタリア移民1世の老人は、移民は全員ordinary peopleであり、(自衛のために)street gang にも street policeにもなる、と言っていました。

  映画「Once Upon a Time in America」のヌードルスこそ、イタリア系アメリカ人のひとつの典型的な生き方であり、パリサイ派ユダヤ人に対するイエス・キリストと考えれば、人間というものの普遍的な象徴でもあるのです。

  ドストエフスキーの「罪と罰」における主人公ラスコーリニコフは、マックス的成功を夢見て罪を犯しましたが、最後はヌードルス的な生き方という罰によって真の幸せを掴むことができた、と考えることができるかもしれません。

第6話 私のヌードルス的生き方

  私自身はキリスト教徒ではありませんが、天下りとかピンハネという発想は「意地汚い」という在来種日本人の倫理観で生きてきました。
  「金を稼ぐ」からには「汗水流して働く」という考えです。

  6歳で銭湯で入れ墨のおじさんの背中を流してコーヒー牛乳をごちそうしてもらう、14歳の夏休みに仲間と新聞配達のアルバイトをする、なんていう、子供の頃の体験から始まっているのかもしれません。
  まあ、頭が悪いので家庭教師といった知的仕事はできませんでしたが、かといって、株屋とか人材派遣業といった仕事はやりたくなかった。

  大学卒業後就職した商社でも「24時間営業」「体育会的ビジネス」「命がけの真剣勝負」という、汗水流して稼ぐ、というスタイルでした。
  「24時間営業」というのは、日中、顧客回りをする8時間以外は、会社で徹夜したり土日出勤してワープロやコピー機を駆使して資料作りに明け暮れていたということです。当時は、パソコンもなく、(業務用)ワープロは200万円もしたので、会社でしかそういう仕事はできなかったのです。
  各種半導体設計・製造業界新聞・雑誌の記事、各顧客用の資料、カタログ制作等で、3年間で100本以上の文書を執筆し、図版や写真を組み入れたり、なんてことをしていました。
  夕方6時から翌朝3時まで資料作りをし、朝6時の新幹線で大阪・京都を回り、当日23時に会社へ戻り、そのまま米国へFAXを送信してから、深夜3時に帰宅。6時に起きて出社。そんな真剣勝負・肉体労働で5年間はあっという間に過ぎました。

  売り込みをかける相手が東大卒のエンジニアだから、わが社の東大卒の上役に一緒に行ってもらうといった、コネや口利きで商売をするというやり方が嫌いでした。
  なにしろ、日本のVLSI設計の仕組みを変えようというくらいの意気込みで、私も周りのスタッフ(エンジニア)も、しゃかりきになって毎日戦っていたのですから、単に注文をとって金儲けなんてイージーなことには、全く興味がなかったのです。

  そんな私からすれば、現在の日本の政治屋・警察屋による「真剣味のない・お子様ランチ的イージーな金儲け」を見るにつけ、「降る雪や、田中角栄は遠くなりにけり」と、嘆くばかり。
  1970・80年代は、もとずっと在来種純粋日本人的な活気のある、実のある社会だったのですが。

2024年4月5日
V.1.1
平栗雅人

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