大学日本拳法の新セイバー・メトリクスV.3.1

2023年8月23日 夏の甲子園で、慶應義塾高等学校が優勝しました。
これまでの「甲子園(高校野球)」における「スポコン・スタイル」ではなく、「もっと知的に・もっと楽しく・もっと自主的に野球を楽しもう」という新しいスタイルが、この学校の優勝に刺激されて、巷では大いに脚光を浴びています。
大学日本拳法においても、これまでの上から下へというトップダウン形式の「パワー拳法」から、青山・立教・日大・関東学院といったミッション系の学校(日大は蛮カラ系)が、「一人一人の個性を引き延ばす」というボトムアップ・スタイルで、関東の大学日本拳法界において、その存在感を示してきました。
去年は関西学院大学という、やはりミッション系の大学が、パワー拳法スタイルの明治を全日本選手権の団体戦(準々決勝戦)で敗り、決勝戦まで勝ち進みました。

この「大学日本拳法の新セイバー・メトリクス」という一文は、アメリカで起こった新しい野球の見方・戦いの組み立て方の一つの大きな潮流である「セイバー・メトリクス」が、日本の大学日本拳法界においてもジワジワと浸透している、という私なりの観点がベースになっています。
彼らニューエイジ(新世代)とも呼ぶべき、既存の常識にとらわれない若者たちが、どのように大学日本拳法を楽しんでいるのか・楽しもうと努力しているのか、を私なりの視点で分析したものです。
大学日本拳法そのものも、また、それを見る視点も、もっともっと広がっていってほしいと願っています。

2023年8月25日
V.2.2
平栗雅人


慶應義塾高等学校野球部におけるセイバー・メトリクス

  アメリカのセイバー・メトリクスとは、行動(運動能力)の方程式化のみ(形而上的な部分は敢えて無視する)ですが、慶應(日本)の場合は、それプラス「心のセイバー・メトリクス」がある。
① 人間の行動(運動能力)を数値化することで、誰もが選手の能力を理解し、その運用を科学的にできるようにする。
   数字による価値・存在意義を共有することで、選手同士・選手と監督、選手とGM、そして観客が「頭で一体化する」ことができる。
   これがアメリカ式セイバー・メトリクス。
  一方、
② 数値化や視覚化(図解化)ができない個人の心までをも仲間同士で互いに共有し・全員で心の一体化をしようというのが、日本式セイバー・メトリクス。
彼ら慶應(義塾高等学校野球部)ボーイズは、ピンチに瀕した時、ピッチャー・マウンドに集まり、「皆で空を見上げる」という数式(パターン化)によって、空という大自然を介して全員の心を一つにする、という方程式を生み出しました。
また、全員が「慶応ボーイ」という見えない絆が、彼らの心をしっかりつないでいたであろうことは想像に難くありません。

  こうして、目に見えない心というものを、再現性と安定性の実現可能な科学にしたのが、慶應義塾高等学校野球部(の心のセイバー・メトリクス)といえるのではないでしょうか。
  あくまでも、選手と選手の心のつながりがメインであって、監督対選手、或いは選手対マネージメントチームの心の一体感は、勿論あるにはあるでしょうが、それに次ぐもの、とする。
   つまり、慶應義塾高等学校野球部の場合、これまでのスポコン野球と異なり、極力、監督の存在感を選手に意識させず、もっと大きな、天とか運命といった極めて大きな次元を天空に抱いた選手一人一人の創意と工夫、選手全員のガッツと熱意主体で戦う、ということではなかったか。
  得点を取るとか試合に勝つという強い意識はあるにしても、それ以上に「運命と戦う」という姿勢が見えたのが、今回の甲子園決勝戦に於ける彼ら慶應義塾高等学校野球部でした。

「心の一致」こそ、純血在来種日本人の御家芸

 → 2011年女子サッカー・ワールドカップ優勝時のなでしこジャパン
 → 大阪市立登美丘高等学校ダンス部(アカネさんがコーチの頃)
 → 日本体育大学(日体大)の日本体育大学 集団行動
 → 京都橘高等学校ブラスバンド部
 → 日本の高校生マーチングバンド「もう全部日本人に任せよう」
  早い話が、血が混ざり合っていないアメリカ人や韓国人は、心の一致がうまくいかない為、全体の調和が取れない。中国人の場合、何万年ものあいだ混ざり合って一体化しているので、シンクロナイズド・スイミング(チームでの演技)などは、仲間同士巧く波長が合うのではないだろうか。

 → 巻末の「慶應義塾大学日本拳法部における新セイバー・メトリクス」参照


第1話 はじめに

 2022年3月22日 V.1.05

 2020年の全日(府立)をビデオで見ながら、私は米映画「マネーボール」(2011年)を思い出していました。

 1970年代、一人の数学者(数学の得意な、しかし、あまり世渡りの上手でない男)が、食品会社のガードマンをしながら、暇に飽かせて「セイバー・メトリクス」と呼ばれる統計学的手法を用い、野球を(数学的に)分析する方法を考え出しました。

 それまでの大リーグで常識とされた、プロ野球選手に関する視点や基準(打撃率や出塁率といった数字で、選手の価値判断をする)を、より深く・よりマトリックス化して分析する手法を編み出したのです。

 彼の編み出した分析手法は、2000年、オークランド・アスレチックスのGM(ジェネラル・マネージャー)ビリー・ビーンと、彼の補佐でエール大学経済学部出身の男によって、現実のプロ野球チームで初めて運用され、そこで発揮された大きな成果は、ファンや業界関係者たちを驚かせました。

 この手法に反対する、旧来の慣習や固定観念(常識)・価値観で凝り固まった人たちと戦い、さまざまな困難を排除しながら「理論を現実化させるプロセス」を描いたのが、この映画です。

 ラインと呼ばれる、実際の試合で選手たちを采配する監督の役割は、昔も今もほとんど変わっていないようです。「監督の経験と直観力」こそが、プロ野球の現場で求められる指揮官の重要な能力です。

 しかし、スタッフ(チームに必要な選手を集め、戦力として育てる、いわば参謀本部)の部分は、野球のファンというだけの素人でもできることが証明されたのです(GM ビリー・ビーンは、元プロ野球選手)。

 そして、なによりも「セイバー・メトリクス」という手法(考え方)によって、野球の新しい楽しみ方がもたらされたということに、注目すべきでしょう。

 ここで日本拳法に戻りますが、私は、大鑑巨砲主義的な大学日本拳法(筋骨隆々の選手が、ものすごいスピードのハードパンチをガンガンぶっ放す)という楽しみ方が主流の中で、どこかの大学が「セイバー・メトリクス」的発想で、新しい大学日本拳法の魅力を見せてくれないものかと期待していたのです。(特に、青学・立教・立正・日大といったインディーズ系{伝統をベースにしながらも、革新的な発想を柔軟な姿勢で現実化できる、巨大戦艦ではなく軽快な駆逐艦・巡洋艦タイプの組織}に関心を持っていました。)

 私の「2020年府立(全日)観戦記」で散見できるように、私自身は、試合時間内に於ける後拳の本数、なんていう数学(算数)によって選手の良し悪しを決めたり、なんていう楽しみ方をしていました。

 ところが、2021年11月の立教大学日本拳法部キャプテンのブログを拝見させていただき、もっと違う「セイバー・メトリクス」の存在に気づかされました。

 一言で言えば、彼女は「人を育てる・人を生かす楽しみ方」を教えてくれたのです。これは日本拳法をやる側での楽しみであって、観客として日本拳法を見る側の楽しみには、直接にはなりません。

 しかし、この「人を育てる楽しみ」が各大学で定着すれば、部員数が増え、部の活気が増し、それによって大学日本拳法全体がもっと面白くなるにちがいない。

 自分の子供を自分で育てることなく、学校や役所に洗脳されるがままに、丸投げしてしまうという時代風潮の中、

 ① まっさらな1年生に、手取り足取り日本拳法を教え、育てる(育てる側の)楽しみ。

 ② いつでも自分のことを気にかけ、心配し、喜んでくれる先輩がいるという(育てられる側の)安心感。

 ③ また、そうやって自分が教えられ・教えた経験を、次の世代につなげていく(伝統の継承という)充実感。

 を体験できる場としての大学日本拳法(部)。

 日本拳法という真剣勝負(思いっきり本気で蹴って・投げて・ぶん殴る)の世界であるからこそ、育て・育てられる側ともに、濃い心・熱い心になれる。

 それを現実に「見せて」くれたのが、彼女の熱いブログであり、本書は、そんな彼女のキャプテンとしての様々な機能・役割の内、ブログから知ることのできるメンター(Mentor:善き助言者)としての確固たる存在、その方法論を浮き彫りにしてみようという試みです。

 

追記

 

 3歳から英会話やってますという人と、18歳(大学)から始める人を同じクラスで教えるわけにはいかない。

 しかし、大会や昇段級というマクロの目標のために「十数年のギャップ」をいかに埋めるか、どう追いつくか腐心すると同時に、大学で日本拳法をはじめた自分や後輩たちの成長をミクロの目で楽しむ(心の機微を紡ぐ)ことで、四年間の自分の存在意義(中身の濃い大学生活)を思いっきり実感できる。それを彼女は証明してくれました。

「灯りは燭台に置く」

 灯りだけを見ていた私たちに、明かり全体を見ることを教えてくれたのです。

第2話 君子は以て経綸す

 

 2022年1月14日 V.1.01

 2022年3月13日 V.1.03

 このキャプテンは就任から退任までの2年間、形而上下(心と目に見える事象という両面)から、部員たちを観察し、同じく、心と身体、精神力と運動能力、心のケアと拳法の技術という両面で彼らを指導・育成してきた。

 自分やOBによる技術指導を、部員たちが効果的に受け入れることができるよう、部員たちのメンタル面を徳育・涵養することに細心していた。

 故に、彼女は日本拳法部を運営・経営するばかりでなく「経綸した」というのです。

「綸」とは糸のこと。単に、部員数とか予算とかいった数字で部を見るばかりでなく、人の心(のあや)を見てという、いかにも日本人らしい(心の)経営の仕方です。

 日本映画「君の名は。」新海誠 2016年で、

 おばあちゃんが孫たちにこう言います。

「糸をつなげることも結び、人をつなげることも結び、時間が流れることも結び。・・・わしらの作る組みひもも、時間の流れそのものを表しとる。より集まって形を作り、ねじれて絡(から)まって、時には戻って途切れ、またつながり、それが結び、それが時間。・・・」

 このキャプテンに関して、私は以下の三つの情報しか知りませんでした。

 ①  2019年 第32回 日本拳法東日本大学リーグ戦(女子)【明治大学-学連選抜】で、学連選抜の中堅(当時2年生)として出場し、対する明治の永岡里沙子さん(同じく2年生)と壮絶な打ち合いを演じた(引き分け)。

 明治・永岡さん → 後拳20本 (前拳無数)

 立教・高橋さん → 後蹴り12本+後拳3本 計15本

 両名2年生らしい激しい突きと蹴りの応酬です。しかも、軍鶏のケンカ(ただ、がむしゃらに殴り合う)のではなく、互いにしっかりと自分の場を意識し、ギリギリの間合いから適切なタイミングで攻撃を繰り出すという、素晴らしい名勝負を見せてくれました。

 https://www.youtube.com/watch?v=zOGwTaiEymM

 ② 2021年5月9日 横浜武道館で行われた第34回東日本大学リーグ戦(無観客試合)で青山学院大学の山田桃香さん(高橋さんと同じく4年生)との激しい戦い(ライブで観覧。映像が暗く不鮮明で音声もほとんど聞こえないのため、どちらが勝ったのかわかりませんでしたが、そのぼんやりした映像から彼女たちの激しい戦いぶり・もの凄い闘志がガンガン伝わってきた。)

 ③ そして、今回のブログ 

 https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/entry-12712966333.html

 2021年11月28日(日)に横浜武道館で行われた東日本総合選手権大会の翌日、その結果報告という題名で書かれた「高橋さん最後のブログ」。

 わずか一晩で、しかも(おもちゃのような)スマホからチョコチョコと入力したにもかかわらず、極めて論理性と整合性、そして効果的な写真と相まって、豊かな文学性に富んだ壮大な叙事詩になっています。

 そこで、上記①②で観戦した彼女の闘志と、その闘志と愛をそのまま文章にしたような③の文章から、彼女のキャプテンとしての(形而上)methodology(方法論)を、私なりにデコード(復号化)してみました。

 ①②だけでは彼女の日本拳法のテクノロジーtechnologyの細かな部分はよくわかりませんが、methodology(方法論)なら③を鏡として写し出すことができるのではないか。

 

 彼女は③のなかで、「楽しむ」という言葉を21回、「成長」を9回、「愛」を6回(可愛い、は除く)使用しています。これをキーワードとして抽出し、今度はフラットに展開すると「日本拳法を楽しんで。そのためには自分の成長を実感し、他人の成長を見てあげる愛が大切である」という彼女の指導方針がはじき出されてくる。

 彼女の文章は、明確な意思と強い意志を中心に、豊かな文学的感性に裏打ちされた論理的で整合性が取れた展開と収縮が特徴となっている。微細な論理の明確さ(ミクロ)と全体的な整合性(マクロ)に基づいた文章を、彼女自身のポリシーである「楽しんで」読めるように、表現力の豊かさ(多角的視点)と語彙の豊富さ(多元的表現)で肉付けしている。

 そこで、今度はそれを①②に見る現実の彼女の拳法に投影してみれば、激しい闘志と強力な指向性をベースに、攻撃の位相を変化させたり多彩な次元を駆使する立体的な拳法であることがわかる。

 で、今度はここで明らかとなった彼女の日本拳法を彼女がどう後輩たちに指導・伝達してきたのかを、改めて彼女の今回のブログと、たまたま読んでいた「易経」という本を触媒にして、より立体的に浮き彫りにしようというのです。

 ここで明らかとなったmethodologyは、立教大学日本拳法部と同じように、プロパー(その大学に入学してから日本拳法を始めた部員)だけで日本拳法部を運営する学校にとって、よき参考となるでしょう。

「易経」

 紀元前8世紀にその原型がまとまったといわれる占いの原典。

 亀の甲羅や獣骨を焼いてその文様から吉凶を占ったというのだが、それは「運を天に任せる」というように、最終的な判断を自然現象(火によるひび割れ)に拠ったというだけで、易の基本は膨大なデータにある。

 紀元前8世紀以前、数千年・数万年という気の遠くなるような長いレンジで蓄積された、自然現象やあらゆる人間生活での出来事の内、占いとして当たったものばかり(予測と結果)が「口承」として蓄積され、そこから規則性や法則性を見出してまとめられたのが「紀元前8世紀頃」であったということ。西洋の星占いなどとは比べようもないくらい、膨大なデータに基づいた経験則という点で、様々な西洋の科学など子供だましに見えてくる。

 西洋の学問とは、ぐちゃぐちゃに混じった血の薄い人間たちが、即効で知恵をつける手段であり、中国人のように、気の遠くなるような長い年月の間に蓄積された膨大な経験則がDNAとして刷り込まれているような民族や、何万年も孤島に隔離されて生きてきた日本人のような血の濃い人種には馴染まない。(日本にはあまりにも地震が多かったので、大陸や半島の人間は寄りつかなかった。 → ポーラ・アンダーウッド「一万年の旅路」参照)

 早い話が、西洋人は(ギリシャ)哲学やシェークスピアの作品(に描かれた人間性・教訓的文言)を金科玉条のようにして信奉していますが、膨大な中国の古典という経験則の前ではあまりにも幼稚で、経験に裏打ちされていない子供か青二才の妄想であり、しかも、そういう虚構を現実にしようとしてやたらと戦争を始めるから、なお恐ろしい。わずか過去2千年間、たった数万人程度の「優秀な」科学者だの文学者だの哲学者の妄想・虚構で現実を作ろうとするところに、すべての不幸の原因があるのです。

 もちろん、世の中計算どおりにはいかないから、そこは「あたるも八卦、あたらぬも八卦」、最後は「サイコロを振る」わけで、それが骨を焼くという「自然現象にお伺いを立てる」という行為(占い)であり、現代では手間のかからない筮竹という道具によって代替されているわけです。

 この何万年にもわたって蓄積されてきたデータこそがきわめて貴重であり、それ故に「易経」は古代では儒教の経典となり、宋代には形而上学の主柱となり、現代ではより簡潔に箴言・名言の書として多くの人に親しまれているわけです。

 

<追記>


 高橋さんに関する情報は、上記①②③以外に、もう一つありました。

 雨上がりの一日

 2021年04月15日(木) 11時50分25秒

 https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/entry-12668761329.html

 → 「第4話 状況証拠」参照

 

第3話 キャプテン語録


 2022年1月14日 V.1.01

 2022年3月13日 V.1.03

「形より上なる者、これを道と謂い、形よりして下なる者、これを器と謂う」

 現象を超えたもの、現象の背後にあるもの、根源的なものを形而上(道)と謂い、五感によってとらえられるものは形より下にあるので器といわれる。

 目に見える形としての技術や体力とその根幹となる心。

 俗に「メンタル・ケア」なんて言いますが、欧米流のマニュアル化による(上から目線の)ケアなんてものでは、真の解決にはならない。

 やはり、日本人らしく、自分の心の鏡に相手の心を反射させて一体化し、自分の問題として消化するというスタイル(精神面の解決から肉体的な困難の克服)こそ、私たち縄文人に最適な道なのです。

 早い話が、彼女の後輩たちが強くなったのは、「巨人の星」で父一徹が息子飛雄馬に千本ノックで血みどろになるまで鍛えたという、そういう上からの強制的なスパルタ教育によってではない。

 このキャプテンの人格・性格・愛と侠気に励起された彼女たちの素直な心と強い精神が先で、それに引っ張られて苦しい肉体的な鍛錬に自ら積極的に飛び込んでいった成果ではないでしょうか。目に見えない形而上的働きかけ・努力によって、目に見える生きた人間が活性化する。拳法どころか礼儀も作法も身の処し方も知らない、新入生という木の人形に魂を吹き込んだ、「かぼちゃを馬車にした」ようなもの(大事業)といえるでしょう。

「講釈師、見てきたような嘘を言い」

 なんでお前(平栗)にそんなことがわかるんだ、と言われるかもしれませんが、3点の物的証拠(2つの試合映像と、彼女の最後のブログの文章と写真)から導きだされた真実がこれだよ、ワトソン君、なんて。

 彼女のブログからすると;

 後輩たちが、自分から学ぶことが楽しいと感じる姿勢。これを第一義においていたのではないか。

 自分自身が女子一人の一年生であったこともあり、鬱々とした受身の日々であったのが、あるきっかけから積極的に拳法をやる気になり、どんどん強くなっていった。その経験から、キャプテンとなってからは、まず彼ら彼女たちとの心の同期を心がけ、その上できめ細かな技術指導でじっくりと育てる。同期(同学年)や先輩、家族や友人たちにもそういう気配りをしてきた。

 中国には「抜苗助長」という故事があります。成長を早めようとして、苗を手で引っぱって(枯らして)しまった、という嘘みたいな大昔の話です。自分から成長しようという気がなければ、一生懸命教えることが返って負荷・重荷・逆効果になってしまう。

 

○ 地は名なきの草を長ぜず

 (名は名誉の意から繁栄の意に用いている)

 大地はすべての草を恵み養う考えはあるが、さりとて自力で繁茂する力のあるものでなければ、育てようもない。

自分で繁茂しようという気のない草は生長させることはできない。無理に教えても枯らしてしまうだけ。

 

 こちらの学校がミッション系だからか、このキャプテンがそういう育ちなのかわかりませんが、「愛をもって育てる」ことになったのでしょう。 

 愛と言って、辛抱強く相手に付きあってあげるような「愛」。

 帰り道、バスで駅へ行けるのに一緒に歩いてあげる。カラオケに付き合う。

 とことん、付き合う、時間を割く、気を配る、心を遣る(使う)、心で寄り添う、それが彼女のstand point精神的な立脚点なのだと思います。

○(リーダーとしての)観察

 見た目の姿だけではなく、その裏に存在する彼や彼女たちの心を見て・看て・診ている。

「勝ちたいという気持ちが前面に出ていて素晴らしかったです。」

「いろんな人の期待を背負って戦うプレッシャーもあったと思います。」

「拳法をすごく楽しんでくれてるのが伝わってきたよ。」

「熱い気持ちをもって一つ一つの試合に臨める齋藤は、これから絶対強くなるよ。」

「高いコミュ力で先輩と後輩の架け橋のような存在になってくれたね。」

「開米の一番の魅力は、・・・、ハートの熱さや人間性だと私は思う!」

「・・・先輩が拳法が好きってことはよく伝わりました!」

「・・・、拳法への愛が伝わった嬉しさが勝りました。」

「トレーニングはすごくストイックにこなします。誰より楽しそうに戦う姿が印象的」

「髙見の優しさとコミュ力で後輩のみんなを引っ張っていってね。」

「これからもその向上心を忘れずに」

「まりあは拳法もバレエも全力で、忙しい中でも笑顔を絶やさず、心から応援したくなるような人」

「ふわふわしている見た目と反して間違っていることは間違っているとしっかり言える芯の強さを持ち合わせていて」

「自分の仕事じゃなくても嫌な顔一つせずこなし、利他の心に満ち溢れていました。」

「部のみんなには見えにくかったかもしれないけど、拳法部の中で一番多くの仕事をしてくれました。」

 

○ 評価の仕方


 ただ口で評価するだけではなく、心からその気持ちを伝える。

 単に「よかった」と言うのではなく、私は心からあなたを賞賛し・感激し・感謝しているという気持ちを伝えることが、彼女の人に対する評価の仕方。

 ◎ 心からの賞賛(本当に素晴らしい、素直に人を賞賛する)

「敬以て内を直(なお)くし、義以て外(ほか)を方にす」

 慎みを以てわが心を真っ直ぐにし、義理の道を以て外部に対する行動を方正にする。

「果敢に攻める姿勢に胸を打たれました。勝ちたいという気持ちが前面に出ていて素晴らしかったです。強くなったね、齋藤!!」

「齋藤がいい試合をできたのは開米のおかげでもあると思います。頼もしい姿になったよ。」

「思わず「兄貴!」と呼びたくなった」

「一年間真面目に部活に取り組み、沢山努力した成果だね。本当によく頑張ったね。」

「めちゃめちゃかっこよかったよ!!」

「本当によく頑張ったね。」

「どの技も惚れ惚れしたよ。」

「めちゃめちゃ仕事できて超頼り甲斐あったよ。」

「入部してまだ数日にも関わらず、パンチが重くてびっくりしたよ!」

「人間味あふれる髙見だからこそ応援したくなりました。」

「あみちゃんはとても責任感が強くて、真面目で、ちょっと抜けてて、それもまた可愛くて、自分が男だったら誰と付き合いたいかと聞かれたら真っ先にあみちゃんと答えていました(笑)」

「一度決めたことは最後までやり遂げるところ、とても尊敬しています。」

「自分の仕事じゃなくても嫌な顔一つせずこなし、利他の心に満ち溢れていました。部のみんなには見えにくかったかもしれないけど、拳法部の中で一番多くの仕事をしてくれました。きょーちゃんがいなかったら拳法部は回ってませんでした。」

 

◎ 心からの激励(ものを生かそうという心)


「天地の大徳を生という」

 天地の徳のうち、もっとも大いなるものを生という。万物の生を遂げさせようとして生成発展させてやまないもの。

「辛い時は無理しないで、たまには弱音を吐いてもいいんだよ。」

「これから、楽しいことも辛いことも沢山あると思う。全部満喫して、拳法部での時間を楽しんでね!また練習行くからね!」

「熱い気持ちをもって一つ一つの試合に臨める齋藤は、これから絶対強くなるよ。自信持ってこれからも頑張ってね。次会う時にどれだけ強くなってるか楽しみにしてるね。ファイト!」

「めちゃめちゃ仕事できて超頼り甲斐あったよ。これからもみんなのことよろしくね!」

「拳法部で過ごす時間をどうか楽しんでね!これからの成長を楽しみにしてるよ。」

「これからの島田の活躍を大いに楽しみにしてるよ!!頑張ってね!」

「これからも全力で突き進んでいってね。黒帯取ったら見せてね!」

「怪我をしっかり治して、来年バリバリ面蹴りをキメまくる姿を見せてね!応援してるよ!」

「自信を失わず、自分を信じて前に進み続けてね。開米ならきっとどんな困難も乗り越えていけるよ。ファイト!」

「これからも拳法部を愛して、みんなを沢山笑顔にしてね。!」

「最後の一年、拳法や仲間との時間を目一杯楽しんで!拳法部をよろしく頼んだよ!」

「これからは団体戦で大将を務めることになるね。大丈夫、みゆかは強い!だから自信持って、昨日の試合みたいに前に出続けて、いつも通り戦ってね。楽しむことが一番大事だよ。また応援に行くからね!」

「髙見の優しさとコミュ力で後輩のみんなを引っ張っていってね。最後の一年、拳法を楽しむことも忘れずにね!また部活に顔出すね。」

「これからはあんまり周りに迷惑かけちゃダメだよ、もう近くで怒ってあげられないからね。これからの活躍、期待してます。」

「これからもその向上心を忘れずに、みんなのことを頼みます。あみちゃんならきっと大丈夫!」

「仕事が落ち着いたらいつでも拳法部に戻っておいで!まりあのこと、遠くからずっと応援してるよ!」

「体育会でしか追えない夢、拳法部でしか見れない景色があります。あなたもぜひ、一緒に夢を追いかけませんか。」

 

◎ 心からの感謝

(心から人に感謝するから、知らず、自分も人に感謝される)

「麗澤は兌(だ)なり。君子以て朋友(ほうゆう)講習す」

 二つの沢が並んで互いに潤しあうことは慶びだ。それに倣い、互いに講習し合って徳を磨きあう。

「勝って当たり前の試合なんてない中、しっかり期待に応えて決勝まで上がっていくみゆかが本当に誇らしかった!素晴らしい試合をありがとう!」

「多くの方々の応援の中最後の試合ができたことが心から幸せでした。」

「沢山の温かいお言葉をありがとうございました。今日という日を一生忘れません。」

「お家遠いのに入部してくれて本当にありがとう」

「めちゃめちゃ仕事できて超頼り甲斐あったよ。これからもみんなのことよろしくね!」

「拳法部に来てくれてありがとう。」

「私は井上には努力を継続する力があると思うし、そんな井上を尊敬してました。コロナで大会が無くなって私自身目標を失いかけたとき、無人の道場でトレーニングする井上を見て私も頑張ろうと思えたんだ。」

「澤田のおかげで、コロナ禍でも楽しい思い出をたくさん作ることができたよ!本当にありがと!!」

「高いコミュ力で先輩と後輩の架け橋のような存在になってくれたね。澤田にたくさん話しかけてもらえてすごく嬉しかった!」

「大会で勝つたびに開米が嬉しそうに声かけてくれたこと、本当に嬉しかったよ。ありがとう。」

「コロナ明けの去年の秋、練習辛くない?と聞いたら「部活楽しいです!」と笑顔で返してくれたね。めちゃめちゃ嬉しかったなぁ。」

「拳法部大好きです!と愛を振り撒いてくれて本当に嬉しい!!これからも拳法部を愛して、みんなを沢山笑顔にしてね。今まで本当にありがとう!」

「振り返ると後輩の中で一番長く時間を共有したのは桑原かも。今までありがとう!!」

「後輩への指導もたくさんしてくれたし、私にもいろんなアドバイスをくれたね。私がここまで成長できたのは紛れもなくみゆかのおかげです。今年団体戦で二度も優勝できたのは、みゆかが成長し続けて、勝ち続けてくれたからだよ。一人では絶対に見られない景色を、みゆかが見せてくれました。本当に、本当にありがとう。みゆかとチームを組めて幸せだった。」

「寂しそうな人を一人で放っておかない優しさがあったり、レポートは余裕を持って終わらすしっかりした一面があったり、実は部で一番拳法の動画を見ていていろんな技に挑戦したり、知れば知るほど優しくて真面目な八木。今までありがとう。」

「ライブに誘ってくれて一緒に行ったね。めちゃめちゃ楽しかった!!一緒に過ごした時間は他の人より短かったけれど、すごく濃い時間を過ごせたと思ってるよ。」

「うまくいかないことがあるとよく相談に来てくれて、その度に成長していくのがわかりました。短い間によく頑張ったね。ありがとう。これからもその向上心を忘れずに、みんなのことを頼みます。あみちゃんならきっと大丈夫!」

「まりあがいるだけで、周りの人はみんな笑顔になっていたね。私も何度も元気をもらったよ。ありがとう!」

「1年の頃はめちゃめちゃ練習がつらくて、毎日鬱々とした気分で面をつけていたけど、まどかがいつも明るく…明るすぎるくらいに励ましてくれたおかげで悩んでる自分が馬鹿らしいなと思えるまでポジティブになれました。彼女の笑顔とトーク力は拳法部全体を明るくする力があって、彼女に救われた部員も多いはずです。」

「ふわふわしている見た目と反して間違っていることは間違っているとしっかり言える芯の強さを持ち合わせていて、髙橋の言い方はキツすぎるよ!とよく指摘してくれたのもまどかでした。今まで本当にありがとう。」

「秋山がいなかったら間違いなく最初の1年で部活辞めてました。そんなことないと君は言うかもしれないけど、今までたくさん支えてくれてありがとう。」

「練習中は沢山私に声をかけてくれて、いつも心配してくれました。自分が主将になってからは、怪我すると「無理しちゃダメでしょ!」と唯一怒ってくれる存在でした。怒ってくれるの内心めちゃめちゃうれしかった(笑)自分が試合に出て勝ち進むたびに「かっこよかったよ」「拳法部に入ってよかった」と言ってくれるきょーちゃんが、私にとって大きなモチベーションになって、誰かのために頑張ろうと思わせてくれるきっかけでした。」

「きょーちゃんがいなかったら拳法部は回ってませんでした。今まで本当にありがとう。」

「1年の頃からずっと同期の女子選手がいなかった自分は、青学や明治、東洋などの女子選手の存在にたくさん元気をもらっていました。練習がどんなにつらくても、みんなに負けないように頑張ろうといつも自分を奮い立たせていました。」

「同期はみんな強くてモチベーションも高くて、みんな最高のライバルでした。青学のももち、もこちゃん、明治のぴちこ、のぞみとはたくさんご飯にも行ったし、昇段級や大会でたくさん戦ったね。今までありがとう。」

「東洋のしーちゃんは3年から部の主将という自分と全く同じ境遇で、お互い辛いことが沢山あったと思うけど一人じゃないと思うだけで心が軽くなりました。」

「1年生の頃からずっと、面倒を見てくださってありがとうございました。」

「田畑先輩の言葉はいつも力強くて、私の自信を補ってくれました。人生でこんなにも家族以外の誰かに期待されたのは初めてで、私が拳法部にいる意味を田畑先輩が教えてくださいました。」

「4年間で教わったことは今後の人生に生かします。本当にありがとうございました!」

「本日は第5回となる体験会を開催し、4人の新入生が来てくれました拍手

 ミット打ちを体験して、その後練習を見学してもらいました!

 何より楽しそうにミット打ちしてくれてすごく嬉しかったです!」

 

◎ 部員全員とすべての人へ


「本大会をもって、4年生は引退となります。この場をお借りして、今までお世話になった方々にお礼を伝えたいと思います。」

「人生うまくいくことばかりじゃありませんが、桜を散らす雨のように、物事の見方を変えて何事も楽しんでいけたらいいですね」

 https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/entry-12668761329.html

 

◎ このキャプテンが2年間実践してきた「心と心のふれあい」という助け合い


 仲間たちの気づかないことに気づかせてあげる、意識しないでやっていることを意識させてあげる。そういう(精神面での)サポートが自分への教え・助けとなって返ってくる。先輩・後輩、キャプテン・マネージャーといった、器としての(上下)関係はきちっとしているが、心と心という形而上(道)では、完全に平等。

◎「高橋五輪書」

 地:自信をつけてあげる(自分のやっていることは間違いではない、というしっかりとした意識を持たせる)

 水:落ち込んだ気持ちを和ませてあげる(冷静に・ロジカルに自分と状況を見る)

 火:自分で向上しようとさせる(前向きな気持ち・もっと頑張ろうと奮い立たせる)

 風:(そよ風のように)皆をさわやかにし、迷いの雲を吹き払い、心を明るくしてあげる

 空:自分の欠点(自他に厳しすぎる)をカバーしあう(空白を埋める)

「一人では絶対に見られない景色を、みゆかが見せてくれました」

 これは実に深遠な。

 

第4話 苟(いやしく)も其の人に非ざれば、道は虚しく行われず

 2022年1月14日 V.1.01

 2022年3月13日 V.1.03

「苟(いやしく)も其の人に非ざれば、道は虚しく行われず。」

 事業の成否は人による。

 適確・適当な人を得ていなければ、その道だけがうまく行われるというものではない。

 男がいないわけではないのに女性を主将に抜擢するとは、こちらの学校も思い切ったことをしたものですが、その結果「道は正しく行われ」た。

 大学日本拳法のエポック・メイキング、新しい時代を拓いたといえるでしょう。

 この人は、どんな相手にも積極果敢に前へ出て、自分から攻撃する、前向きで・強い意志と素晴らしい運動神経の持ち主ということは、試合を見ればわかります。

 しかし、この山は単に高いばかりではない、切れのあるストレートな拳法をするだけではない。Something different何か違ったものを持っている。

 単によく切れるというだけでなく、きちっとした鞘に入っている刀。

 鞘に入った刀だが、抜き身の切れ味を持つ。

「山は高きに在らず、僊(せん)あれば即ち名あり」(古文真宝)

 山はその高さによって尊ばれはしない。僊、即ち仙人が住んでいれば、その名も高くなる。

 強いだけではない、徳があってこそ山として尊敬・畏敬・敬服される。目に見える金や肩書きではない。人の心に訴える・働きかけるような形而上的ちから(僊)が備わって初めて、そこに名(声)が生じる)。

「山高きが故に尊からず、木あるを以て尊しとなす」日本映画「けんかえれじい」

 一本々の木に主体性と個性あってこそ、山全体としてのしっかりとした存在感が出てくる。お名前は「高橋」ですが、単に高いばかりではない。彼女のチーム(山)を構成する木々にもそれぞれ個性がある。それは彼女が、各人の個性・彼や彼女という器の力を発揮させるための道を示してきたから。

「次郎長ばかりが偉いんじゃぁねえ、話し相手も偉いのよ。いい子分がいるんだよ次郎長には。」(広沢虎造)

 < 愛 >

 このキャプテンの愛は「母の愛」か。

「辛い時は無理しないで、たまには弱音を吐いてもいいんだよ。」

「負けて悔しがれる奴が強くなると誰かが言ってたのを、齋藤が勝負練で負けて泣いているのを見て思い出しました。」 → まさに、弟の飛雄馬をやさしく見守る姉明子。

 双方同じ兵力であれば、怒りや悲しみという感情の強い方が勝つことを、中国では[哀兵必勝]というそうです。

 ○ 坤(こん)は元(おお)いに亨(とお)る

 坤(こん)は乾(けん)に対する言葉。乾の意とする強さ・剛健という男性的なるものに対する大地・母であり、柔順・女性的な優しさの意。(元(おお)いに亨(とお)るは、すべてうまくいくの意)

 ○ 子を養いて、方(まさ)に父母の恩を知る

 同期の女性からは「高橋はきつすぎる」といわれるくらい、男勝りの厳しい指導をされていたようですが、一方で、母として部員たちを見守る女性的な気配りと優しさが、この人の重要な指導力のひとつであったのか。

 漫画「巨人の星」における、主人公・星 飛雄馬を鍛える、厳父・一徹と、彼らをやさしく見守る飛雄馬の姉・明子。この厳しい父と優しい姉(母親は亡くなって、いない)の二役を、一人で演じられていたようですが、いずれにしても部員たちを自分の子供のように育てようとしていたのでしょう。

 これは女性(キャプテン)の強みかもしれません。男が男女二役はできない?

 男が「辛い時は無理しないで、たまには弱音を吐いてもいいんだよ。」なんて言えません。まあ、西洋では「男は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。」なんて、ハードボイルド小説で言ったりしてますが。

「もっと島田の成長を見ていたかった。」

「入部当時から一番の努力家で、練習外でも沢山トレーニングしていたね。」

「ハートに秘めた情熱と、拳法部への愛は部内No.1のたえちゃん。」

「拳法部大好きです!と愛を振り撒いてくれて本当に嬉しい!!」

 

< 楽しむ >


 ○ 天を楽しみ、命を知る、故に憂えず。

 天命を知ってこれに安んじ、これを楽しむ。

 その心の状態ができたとき、人に憂いはなくなる。

 ○ 水寛(ひろ)ければ、魚大なり

 水が深く広ければ、大魚が棲む。大きな精神的環境には大きな人物が生じる。

 自由闊達にその人の個性・特性・徳性を引き伸ばすことができるから。だから、楽しい。楽しい環境だから活気が出る。この方の器量の大きさ、そして「荒を包む」度量の深さ。

 ○ 荒を包む

 人の欠点をも包み容れて、それを楽しみに変える度量。

 ○ 十指長短あり

 十本の指はそれぞれ長さが異なる、活用の道もちがう。

 ものや人にはそれぞれ独自の特質がある。それを生かして指導する。

 ○ このキャプテンの凄いところは、後輩や同期たちの言葉や行動、態度や姿勢に感情移入し、(上から目線ではなく)一緒になって楽しむことができる点。彼らが頑張っているのを見て楽しむ、その成長を楽しむ、そして何よりも、彼らが心から楽しんでくれる姿を見るのが幸せ、という天使みたいな方です。

「どの技も惚れ惚れしたよ。」

「素晴らしい試合をありがとう!」

「「練習できない間に動画見てイメトレしました!」って得意げに移動稽古してたり、教わってすぐの組技を試したりと、拳法をすごく楽しんでくれてるのが伝わってきたよ。」

「自信持ってこれからも頑張ってね。次会う時にどれだけ強くなってるか楽しみにしてるね。ファイト!」

「授業やバイトで大変だと思うけど、拳法部で過ごす時間をどうか楽しんでね!これからの成長を楽しみにしてるよ。」

「これからの島田の活躍を大いに楽しみにしてるよ!!頑張ってね!」

「澤田のおかげで、コロナ禍でも楽しい思い出をたくさん作ることができたよ!本当にありがと!!」

「コロナ明けの去年の秋、練習辛くない?と聞いたら「部活楽しいです!」と笑顔で返してくれたね。めちゃめちゃ嬉しかったなぁ。」

「表情が無さすぎて怖いと思ってたこともある桑原、最近はよく笑っていて話しやすくなりました(笑)」

「強い人から一本取れて嬉しそうにしている桑原を見て、私もすごく嬉しかったよ。」

「主将になっても気負わずに、今まで通りの桑原でいてね。最後の一年、拳法や仲間との時間を目一杯楽しんで!拳法部をよろしく頼んだよ!」

「楽しむことが一番大事だよ。また応援に行くからね!」

「誰より楽しそうに戦う姿が印象的で、私は髙見の戦う姿がすごく好きでした。」

「最後の一年、拳法を楽しむことも忘れずにね!また部活に顔出すね。」

「同期や拳法のことを楽しそうに語る八木を見て、そして何より大会で活躍する八木を見て、拳法部に入ってくれてよかったなと心から思いました。」

「人生うまくいくことばかりじゃありませんが、桜を散らす雨のように、物事の見方を変えて何事も楽しんでいけたらいいですね」

 https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/entry-12668761329.html

 

< 成長 >

 

 ○ 君子は豹変し大人(たいじん)は虎変す

 「態度を変える」という意味ではなく、元は、日進月歩・進取の気性で生きよ、男子三日会わざれば括目して見よ、の意であったようです。

 

 ○ 先王以て方を省(かんが)み、民を観て教えを設(もう)く

 同僚や部下の風俗(人となり・習俗)を観て、それに適当したアドバイスやコメント・声援を設ける。

 ○ 地は名なきの草を長ぜず

  大地はすべての草を恵み養う考えはあるが、さりとて自力で繁茂する力のあるものでなければ、育てようもない。

 → だから、このキャプテンはどうしたか。

 愛によって、やる気を起こさせた、自分からがんばろう・成長しようという気になるように、さまざまな工夫をして心を引っ張りあげた。

「今まで練習してきたさまざまな技を繰り出し、果敢に攻める姿勢に胸を打たれました。勝ちたいという気持ちが前面に出ていて素晴らしかったです。強くなったね、齋藤!!」

「得意の組技ではなく立技でも一本が取れるようになり、彼の成長ぶりがうかがえました。」

「一年間真面目に部活に取り組み、沢山努力した成果だね。本当によく頑張ったね。」

「今後の活躍がとても楽しみです!」

「気づけばせりなの成長を見るのが私の楽しみの一つになってました。これから、楽しいことも辛いことも沢山あると思う。全部満喫して、拳法部での時間を楽しんでね!また練習行くからね!」

「その後入部してくれたみゆかはめきめき成長してくれて、最強で最高の仲間になってくれました。」

 < 和を大切にする >

 ○ 龍は雲に従い、風は虎に従う

   同声は相応じ、同気は相求む。

 自分自身が大自然の理に適った生き方をしていれば、自然と善き仲間が集まってくる、人の心はなびいて来る。

「4年生4人、個性はバラバラだけど補い合ってここまでやってこれた」

「最強で最高の仲間」

「現役のみんな、今までお世話になったOBOGの皆様、他大学の拳法部の皆様、陰ながら支えてくれた家族など多くの方々の応援の中最後の試合ができたことが心から幸せでした。

 沢山の温かいお言葉をありがとうございました。今日という日を一生忘れません。」

「一人では絶対に見られない景色を、みゆかが見せてくれました。」

「齋藤がいい試合をできたのは開米のおかげでもあると思います。」

「大会で勝つたびに開米が嬉しそうに声かけてくれたこと、本当に嬉しかったよ。」

「これからもみんなのことよろしくね!」

「コロナで大会が無くなって私自身目標を失いかけたとき、無人の道場でトレーニングする井上を見て私も頑張ろうと思えたんだ」

「みんなを沢山笑顔にしてね。」

「後輩への指導もたくさんしてくれたし、私にもいろんなアドバイスをくれたね。」

「誰かが怪我したら真っ先に心配しに行く優しい一面があって、人間味あふれる髙見」

「優しさとコミュ力で後輩のみんなを引っ張っていってね。」

「一緒に過ごした時間は他の人より短かったけれど、すごく濃い時間を過ごせた」

「まりあがいるだけで、周りの人はみんな笑顔になっていたね。私も何度も元気をもらったよ。」

「過去には二人とも空乱が下手でボコボコに殴りあってめっちゃムカついたり、さっむい真冬の道場で形の動画撮影中に押さえ面で殴られてめっちゃムカついたりしたけど、今となってはいい思い出です。」

「練習中は沢山私に声をかけてくれて、いつも心配してくれました。」

「部のみんなには見えにくかったかもしれないけど、拳法部の中で一番多くの仕事をしてくれました。きょーちゃんがいなかったら拳法部は回ってませんでした。」

「試合のたびに誰よりも熱心に応援して、誰かが勝てば自分のことのように喜び、負ければ悔しがりながらも寄り添って励ます」

 

< 謙虚であれ >


 ○ 謙は亨(とお)る。君子は終わりあり。

 謙遜の徳を持っていれば、どこに行っても万事がよくおこなわれ、終わりを全うすることができる。

「沢山の方の支えがあって今があります。至らないところばかりの自分に2年間もついてきてくれて、本当にありがとうございました。」

 「歴代の立教拳法部主将の方々に比べて、自分はとても弱く、精神的にも未熟です。沢山の迷惑をかけてしまいました。」

 (私の商社時代の上司は上智でしたが、「神の味噌汁(神のみぞ知る)」と「Be Modest.」が口癖でした。)

 

< 伝統の継承という意識 >


 ○ 往くとして復(かえ)らざる兂(な)きは、天地の際(きわ)なり

 天地の間の交わり、天地の間の自然は、いったん行けば必ず帰るもの。

「私が拳法部で目標にしていたことは、自分のプレーで人を感動させることです。1年生の時に見た新井先輩の総合の決勝戦で、私は心を動かされ、拳法の素晴らしさを知りました。その時から、新井先輩のように、私も自分のプレーで拳法の素晴らしさを伝え、後輩に「拳法部に入ってよかった」と思わせることが私の目標になりました。

 新井先輩のように最後を綺麗な勝利で締め括ることはできませんでしたが、試合が終わった後のみんなの表情を見て、少しは目標を達成できたのかなと思いました。

 大好きな先輩方が築いてきた拳法部を、無事に後輩たちにつなげることができて本当によかったです。」

 ○ 天道は盈(みつ)るを虧(か)いて謙に益す

 天道は、満ちたものがあれば、必ずそれを欠き、不足にあって謙遜の態度を守っている者に対しては、それを補い益すもの。「満ちれば欠け、欠ければ満ちる月の道理」

 よき伝統(人やその言動)は繰り返される。

「歴代の立教拳法部主将の方々に比べて、自分はとても弱く、精神的にも未熟です。沢山の迷惑をかけてしまいました。この2年間で幾つもの大会が中止になりました。1年生の頃から目指していたブロック対抗戦には参加することすら叶わず、なんのために部活をしているのか見失うこともありました。大会にかける思いが大きければ大きいほど失うものは大きく、主将という立場でありながら前を向けない自分がとても情けなかったです。」

「それでもここまで歩んで来れたのは、隣で励ましてくれた同期や、同じ目標を目指して共に歩んできた他大学の同期、コロナ禍でも入部してくれた今の2年生、変わらず道場に来てくれた今の3年生、指導に来てくださった皆様のおかげです。沢山の方の支えがあって今があります。至らないところばかりの自分に2年間もついてきてくれて、本当にありがとうございました。」

 ○ 労謙す、君子は終わりあり

 労すれども謙譲(骨を折って働いても謙遜してそれを誇らない)であれば、万事がよく行われ、終わりを全うすることができる。

 これが君子の徳であり、謙遜の徳を持っていれば、正しく閉じ、再び開くことができる。

 よき終わりを全うした者には、新たなる始まりが約束されている。

 日本では「終わりよければすべてよし」と。

 ○ 彼は解き、また結ぶ(ドイツ小説 「こおろぎ遊び」)

「入学前に思い描いていた大学生活とは全く違った4年間でしたが、毎日殴り・殴られて、悔しくて泣いて、全身怪我だらけで、心から尊敬できる先輩方に出会って、かけがえのない仲間と笑って、立教拳法部の約70年の歴史に名を残す、そんな全力疾走の4年間も悪くなかったです。

 むしろ最高の4年間でした。

 拳法部に入ってよかった!

 拳法部の未来に幸あれ!」

 

第5話 状況証拠

 2022年1月17日 V.1.01

 2022年3月13日 V.1.02

 数々の証拠が証明する、2021年「我らいかに大学日本拳法を楽しんだか」。

「楽しむ・成長・愛」そして、伝統(の継承)

 ○ 天を楽しみ、命を知る、故に憂えず。

 天命を知ってこれに安んじ、これを楽しむ。

 その心の状態ができたとき、人に憂いはなくなる。

「大学日本拳法ライフを楽しむ」のは、なにも今年(2021年)だけ、立教ばかりではありません。今回、各校のブログの記事一覧とか写真一覧をめくってみると、誰でもいつでもどこででも日本拳法を楽しんでいる(楽しんでいた)。

 日本人というのは血が濃いですから、なんでもないことや嫌なことでさえ楽しみを見出す天才なんですね。最近知ったのですが、血液型で人を見るというのは日本だけなんだそうです。(運命と戦う民族中国人の場合、星座で見る)

(http://j.people.com.cn/n3/2021/1207/c94475-9929626.html)

 

○ 大学日本拳法ライフの一つの楽しみ方


 ただ、今回、このキャプテン(のブログ)は、心から日本拳法を楽しむということを具体的に見せてくれた。目に見えない、とらえどころのない「心で楽しむ」一つの道を教えてくれた。

 もちろん、夜空に無数の星があるように、心での楽しみ方とは無限にある。しかし、このキャプテンが経綸した(自分たちのチームで実践した)道は、明るく輝くひとつの大きな星座として、これから大学日本拳法という航海に船出する人たちにとって指針となるでしょう。

 私たちは、彼女が書き出した心の働きかけから、その理論を帰納する(大まかな概要を知る)ことができた。こんどは、それを自身の大学日本拳法ライフに演繹(実践)することで、自分なりの日本拳法の楽しみ方を展開することができる。

「理論を知らずして実地練習にのみ汲々たる者は、舵機も羅針盤も失える船に乗る水先案内人の如し。その行く手定かならず。実地練習は常に正当なる理論の上にこそ立つべけれ」

(オレステ・ヴァカーリ著「英文法通論」)

 

○ 器と道


 また、このキャプテンは、改めて道の大切さを教えてくれました。早い話が「愛」なんてまるっきり考えたこともない私に、「現実の愛の力」を教えてくれました。愛は道(形而上)を往く原動力となるか。

 自身が怪我で苦しみ、(女子の同期がいない)孤独で悩み、勝てなくて落ち込んだ彼女だからこそ、「拳法を好きになる」「(義務感や名声を求める欲ではなく)愛の力で心から日本拳法を楽しむ」という道を見出したのかもしれません。

 あの宮本武蔵も「五輪書」冒頭で「剣の道を好きになる人は稀である」と嘆きました。好きになることが上達の秘訣と認識していましたが、彼は武士ですから、強くなるのは武士の務め(義務)と述べたのです。

 今回、たまたま読んでいた「易経」という(それだけでは全然つまらない)中国の古典が、彼女のおかげできわめて身近に・具体的に味わえた(つまり、楽しく読めた)ことは事実です。

 

 

雨上がりの一日


 2021年04月15日(木) 11時50分25秒

 https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/entry-12668761329.html

 本日は第5回となる体験会を開催し、4人の新入生が来てくれました拍手

 ミット打ちを体験して、その後練習を見学してもらいました!

 ○ 「何より楽しそうにミット打ちしてくれてすごく嬉しかったです!」

 拳法部ではまだまだ部員募集中です。

 新しいことを始めたい人、体力に自信ないけど運動してみたい人、ぜひ拳法部に来てみてください!

 私も最初はなんとなく入ってみたけど、やっていくうちに目指したい夢が見つかって、夢を追いかけるうちに、気づけばめちゃめちゃ楽しくて充実した大学生活になっていましたウシシ

 体育会でしか追えない夢、拳法部でしか見れない景色があります。あなたもぜひ、一緒に夢を追いかけませんか。

 …なーーんてね!!つい熱いことを語ってしまいましたが、頑張る理由は人それぞれでいいと思います!こんな暑苦しい人間だけの拳法部じゃないので、ぜひ体験に来て個性豊かな部員と交流してみてくださいほっこり

 そういえば昨日は雨が降っていましたね。この時期に降る雨を桜流しと呼ぶそうです。

 個人的に雨は好きじゃないのですが、わずかに残っていた桜が雨で散っていく様を思うと、儚くて綺麗で、雨も悪くないと思います。

 新学期が始まって約1週間、疲れている新入生もいるでしょう。就活に疲れた4年生もいるでしょう(私もそうかも)。

 人生うまくいくことばかりじゃありませんが、桜を散らす雨のように、物事の見方を変えて何事も楽しんでいけたらいいですねにやり

 最後にこの前神社をぶらついていたときに境内で寝ていた可愛い猫ちゃんを貼って場を和ませたいと思います猫

 桜に包まれて気持ちよさそうでした!私も日向ぼっこしながらお昼寝したいな〜……zzz

 猫の写真

 https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/image-12668761329-14926923890.html

 失礼しました!

 彼女の後輩

 ○ いつかの練習前に撮った、

 誰もいなくて光の差し込み加減が絶妙だった道場の写真で締めたいと思います。

 I love 道場!!!した!

 失礼します。

 https://stat.ameba.jp/user_images/20210926/22/rikkyo-kempo/bd/c5/j/o4032302415007068370.jpg?caw=800

 

○ 立教大学

 

 https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/image-12713889346-15041511453.html

 https://stat.ameba.jp/user_images/20211104/14/rikkyo-kempo/94/6b/j/o1478110815026203288.jpg?cat=512

 皆が帰るところの写真 → 一体感の楽しさ

 https://stat.ameba.jp/user_images/20210915/23/rikkyo-kempo/3e/4a/j/o1080080915001592280.jpg?cat=512

 2021年 11月東日本選手権大会

 https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/image-12712966333-15039093782.html

 https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/image-12663742295-14913783900.html

 https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/image-12663742295-14913783889.html

 https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/image-12663742295-14913783886.html

 合同練習で楽しむ

 https://ameblo.jp/meiji-kempo/image-12711474527-15034800595.html

 

○ 青山学院大学


 今年一番はじめに感銘を受けたのが、4月の立教のブログで、

(https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/entry-12668761329.html)

 次に見た(5月)のが、こちら。

 http://agukempo55.html.xdomain.jp/member.html

 青山学院大学体育会拳法部 メンバー紹介

 文章がシュールです。

 西洋のシュールレアリスムというのは、フロイトなどの精神分裂病気質人たちの異常性を正当化するための言い訳・偽装に過ぎないと思うのですが、日本人のそれは「陰と陽、正と邪、狂気と正常ギリギリのところを衝くことで、現実をより現実として印象付けよう」という芸術だと、私は思います。 → 写楽の浮世絵なんてまさにそれでしょう)。

 その意味で、この「メンバー紹介」は、まさに写楽の浮世絵です。

 今回、たまたまこちらの2017年部員紹介を見たら、このメンバー紹介文と同じトーンで書かれていました。ここのシュール性は筋金入りなんですね。

 https://ameblo.jp/aoken-wakiwaki/image-12712977407-15039072146.html

 差し入れを手に取る部員達です。 → 青学らしいシュールな写真

 https://stat.ameba.jp/user_images/20210926/01/aoken-wakiwaki/e4/1c/j/o1078144015006601596.jpg?caw=800

 笑顔×2と不機嫌な顔×1の対比によって、嬉しさをより一層強調する。 → 私はこれを「シュール」と考えています。

 

○ 季節(感)で楽しむ


 日本中を沸かせた五輪が終わり、雨模様な天候が続いておりますが、如何お過ごしでしょうか。

 さて。夏練が始まって3日目となりました今日は、安藤先輩がいらっしゃいました!

 ・・・・

 連日の雨での湿気、そして更に残暑も厳しくなってまいりますので、怪我は勿論のこと、熱中症にも細心の注意を払って夏練に励んでいきたいと思います。

 季節感

 押忍!

 失礼します。

 この間までは暑さにやられていたのに、急に涼しくなり秋の訪れを感じると共に、引退が近付いている事を実感し少し寂しい気持ちになっています。焼き芋栗

 4年大澤です!

 夏休みに入ってからは連日の練習に加え、猛暑のため夏バテ気味アセアセだったのですが、ここ数日急な冷え込み、体調管理に気をつけなければいけないと感じています。

 季節感

 9月に入ってからというものの、夏の茹だるような暑さが遠のき一気に秋を感じるようになりました。

 夏の練習も終盤に差し掛かり、まさに練習日和というべき日が続いております。

 皆様は如何お過ごしでしょうか?

 季節感

 秋深まり、朝晩はともすれば肌寒さを感じる日もあります。

 厳しかった夏の練習も終わり、大学では秋季の授業が始まりました。

 皆様は如何お過ごしでしょうか?

 漫画(イラスト)で楽しむ

 https://ameblo.jp/aoken-wakiwaki/image-12709275201-15029153734.html

 https://ameblo.jp/aoken-wakiwaki/image-12702830368-15013461060.html

 https://ameblo.jp/aoken-wakiwaki/image-12680338494-14956711861.html

 https://ameblo.jp/aoken-wakiwaki/image-12673561872-14939586362.html

 合同練習で楽しむ

 https://ameblo.jp/aoken-wakiwaki/image-12705726482-15020297966.html

 

○ 日本大学


 さすが、あの「日大芸術学部」がある学校。芸術的な写真が多い。

 https://ameblo.jp/nichidaikenpo/image-12521157199-14576881276.html

 https://ameblo.jp/nichidaikenpo/image-12523626691-14583185016.html

 https://ameblo.jp/nichidaikenpo/image-12523626691-14583185001.html

 https://ameblo.jp/nichidaikenpo/image-12523626691-14583184926.html

 https://stat.ameba.jp/user_images/20211121/16/nichidaikenpo/17/2d/j/o0826082515034868097.jpg?cat=136

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 これも芸術か・・・。

 https://ameblo.jp/nichidaikenpo/image-12712074159-15036556402.html

 明治や中央のブログでは絶対に見れない(即刻、一発退場でしょう)

 https://stat.ameba.jp/user_images/20180210/01/nichidaikenpo/20/b0/j/o0480027014128544395.jpg?cat=136

 https://stat.ameba.jp/user_images/20171204/20/nichidaikenpo/01/83/j/o0480036014084438838.jpg?cat=136

 鳥獣戯画

 https://stat.ameba.jp/user_images/20171122/23/nichidaikenpo/67/ad/j/o0480032414076118025.jpg?cat=136

 https://ameblo.jp/nichidaikenpo/entry-12712623316.html

 

○ 明治大学


 道場の写真

 https://ameblo.jp/meiji-kempo/image-12692870716-14988475389.html

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 https://ameblo.jp/meiji-kempo/image-12674513642-14941927799.html

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 https://ameblo.jp/meiji-kempo/image-12664913465-14916799458.html

 https://ameblo.jp/meiji-kempo/image-12663110746-14912142454.html

 https://stat.ameba.jp/user_images/20210904/20/meiji-kempo/e5/0d/j/o1080081014996341489.jpg?cat=512

 きれいな水

 https://ameblo.jp/meiji-kempo/image-12704715525-15017956047.html

 マネージャーのお仕事

 https://ameblo.jp/meiji-kempo/image-12697048488-14998728644.html

 https://ameblo.jp/meiji-kempo/image-12696573028-14997571122.html

 https://ameblo.jp/meiji-kempo/image-12710001530-15030928511.html

 https://ameblo.jp/meiji-kempo/image-12709639845-15030025003.html

季節感

新体制ですね

2021-11-16 16:28:56NEW !

テーマ:ブログ

失礼します。

2021年の11月も気付けば中旬、街の空気も秋から冬の様相へと移り変わりゆくこの頃、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 

○ 関東学院大学


 2021年11月29日

 日本拳法東日本大学新人戦(団体戦)

 11月28日(日)

 日本拳法東日本総合選手権大会が開催されました。

 日本拳法東日本社会人選手権(団体戦)

 日本拳法東日本女子個人選手権

 日本拳法東日本大学新人戦(団体戦)

 日本拳法東日本高等学校男子個人選手権

 4つの大会を同時開催で行います。

 当 関東学院大学も新人戦に参戦。

 気がつけば二桁を超える部員数になった当大学。

 新人戦を大学単体で5人のチームで出場できるのは、何年ぶりだろうか。

 監督のキャラがしっかりと浸透し、学生は試合も楽しんで挑みます。

 学生とOB、みんなで拳法を心から楽しめた1日になりました。

 過去、きれいな写真、楽しそうな写真等、たくさんあったのですが、探し出せませんでした。大会のたびに会場にそういう写真を掲示したら楽しいのではないでしょうか。


第6話 不老不死

 2022年1月17日 V.1.01

 2022年3月13日 V.1.02

「天地の道は恒久にして已まず」

 天地の道とは永久に続いてやまないもの。

 春夏秋冬の変遷と繰り返しは、昔から少しも変わらない恒久の道理。

 阿刀田高 小説「サン・ジェルマン伯爵考」

 あらすじ

 父は死ぬ間際に「12月26日、夜の8時、帝国ホテルのロビーに行ってくれ。11年前にパリで約束した、サンジェルマン伯爵が待っている・・・。」と言い残した。

「サンジェルマン伯爵」とは「不老不死」を手に入れたということで有名な人物なのだが、そんな男となぜ父が?と思いながらも約束の日、そこへ行ってみると・・・。

「不老不死」は実在する ?

 劉廷芝の詩「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」

 花は毎年同じだけれども、それを見る人間は同じではないという、人生の無常を詠んだ詩とされていますが、サンジェルマン伯爵は「年年歳歳花不同」、よくよく見れば花も同じではない、毎年別の花が咲いている、という。

 そして、ほんらい違うはずの花が同じであるとするならば、人間もまた、顔かたちは親子孫で違うにしても、親から子、子から孫へと同じ濃い血が受け継がれているという意味で「歳歳年年人也同(人もまた同じ)」ではないか。

 そして、生化学的な血ではなく強い精神性という血を受け継いでいるという、しっかりとした意識 → パンセ(思想・考え方)こそが「不老不死の妙薬」であると言うのです。

 このキャプテンは、本ブログの最後に、

 ① 自分がまだ白帯だった一年生のときに拳法を教えてくれた先輩とのツーショット 

 ② 4年生として出場した最後の試合場で撮ったこの先輩との3年後のツーショット

 その2枚の写真を並べることで、伝統の継承という大切なことを見事に表現してくれました。

 

高橋さんと新井さんの写真


 https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/image-12712966333-15039093773.html

 https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/image-12712966333-15039093777.html

 「不老不死」とは、薬などではなくパンセ(思想・考え方)であるとすれば、「先輩後輩の絆によって伝統を継承している」と真に自覚することのできる人は、まさに不老不死(永遠に繰り返す生命いのち)を得た、といえるのでしょう。

 更に、彼女の後輩のこんなブログがありました。

 https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/entry-12712966333.html

「今はまだ先輩の遠い背中を追いかける立場ですが、いつかその背中を追い越せるようになりたいです。」(NEW!2021年10月23日(土) 15時41分01秒)

「満ちれば欠け、欠ければ満ちる月の道理」

 彼女がいなくなれば、やがてそれに換わるリーダーが必ず現れる、そのタイプや出現のサイクルに違いはあれど。それが伝統というもの、不老不死というもの。

(40年前の日大には、ピラニア軍団率いるジンギスカン的凶力なリーダーがいましたが、爾来今日に至るまで、その法を継ぐ人は現れていないようです。しかし、この大学ほど巨大になると、その出現の周期も長くなろうというもの。ハレー彗星と同じくらいといわれているので、あと100年くらいかかるでしょう。)


第7話 何事も 変りのみゆく世の中に 同じかげにも澄める月かな

  (二宮尊徳)  

2022年3月13日 V1.02

 格言・箴言は、長い歴史を誇る中国ばかりではありません。

 わが日本には、縄文人という単一民族文化から紡ぎ出された、川柳という「さり気ない箴言」「楽しい格言」「愉快な名句(歌)」があります。

 

○ 人を育てる楽しみ


 菜か芥子か 種まく手元わからねど 花咲く時はいちじるき哉。 (二宮尊徳)

 豊葦(とよあし)の 深野(ふかの)が原を田となして 米を作りて喰う楽しさ。 (二宮尊徳)

 田を深く よく耕してやしなえば 祈らずとても米やみのらむ。(二宮尊徳)

 蒲公英(たんぽぽ)や 幾日踏まれて今日の花。

 渋柿のそのまま甘しつるし柿。

 鳴くが真か 鳴かぬが実か 蝉と螢のこんくらペ。

 清水チョロチョロ岩間を出でて沖へ軍艦のせに行く。

(小さな湧き水も、やがて大きな河となり大海となって、軍艦やタンカーを載せるようになる)

 

○ もともと誰にでも才能はある。それを引き出す

「伯楽ありて千里の馬あり」

 名も知れぬチリチリ草の露までに 影をわけつつ宿る月影。

 泥水も 葉に玉なせば 蓮の露。 

 所変れば品変る 浪華の芦は伊勢の浜荻(呼び名が違っても、本質は同じ)。

 橋は大阪京都は花か 奈良の大佛三笠山。(その土地や町に固有の景色・個性・匂い・趣きがある。それを生かす。)

 その日暮しの朝顔さえも 思い思いの色をもつ。(個性はさまざま)

 → ○ 荒を包む(易経)

 ○ 十指長短あり(易経)

 ○ 中国の「抜苗助長」という故事と同じ教えが日本にもありました。

 年毎に 咲くや吉野の山桜 木を割りて見よ 花のありかを。

 → 花を咲かす木を割って中を見る、というバカバカしい話というよりも、大自然の摂理の不思議を(おもしろおかしく)詠んだ歌なのでしょう。

 ○ 偶像崇拝ではなく、大自然の摂理に学ぼうとする科学的で文学的な心

 なかなかに 山の奥こそ住みよけれ 草木は人の是非(善悪)を言わねば。

 天地自然の浄化の主は 万古不休のお骨折り。 → 赤壁賦(水と月)

 凉しさや 弥陀成佛の以前より

 → 天地自然の道理は釈迦や阿弥陀(宗教)以前より存在する。

 畑打(はたうち)や 拝して帰るタ日かな

(ミレーの名画「晩鐘」と同じ。一日の労働の終わりを、神(夕陽・大自然の摂理)に感謝して家路につく)

 何事も 己が歩みに似たりけり 右踏みしめて左行くなり。

 佛とて 外に求むる心こそ 迷いの中の迷いなりける。 (一休和尚)

 釈迦と云ふ 悪戯者が世に出でて 多くの人を迷わするかな。 (一休和尚)

 信心に よりて利益はありと知れ 佛も下駄も同じ木のきれ。

 釈迦阿弥陀 作りかゆれば下駄足駄(げたせった)変れば変るものにそありける。

 舎利子(しゃりし)見よ 空即是色花ざかり。 (小笠原長生)

 仁と義と 勇に優しき武士(もののふ)は 火にさえ焼けず水に溺れず。

 釈迦逃げて 弥勒すすまず今日の秋。

 

○ 伝統の継承


 何事も 変りのみゆく世の中に 同じかげにも澄める月かな。 (二宮尊徳)

 菜の花や 月は東に 日は西に。 (蕪村)

 → いい先輩が卒業すると、入れ替わるようにして、また同じように素晴らしい先輩が出てくる。それが伝統(というシステム・組織力がある学校の強み)。毎年違うタイプのリーダーが出てくるが、彼らの根本理念は昔も今も変わらない。

 ○ ただの仲良しではない → 組織としての厳格さ

 仲が良いとて礼儀を欠くな円という字も角がある。

 ○ 心の持ち方一つ

 → 「人生うまくいくことばかりじゃありませんが、桜を散らす雨のように、物事の見方を変えて何事も楽しんでいけたらいいですね」立教キャプテン

 兎も角も心一つを住みかえよ山も浮世も外ならばこそ。

 所変れば品変る浪華の芦は伊勢の浜荻。

 暫くは雲の上にも出でて見よ雨の降る夜も月をこそ見ん。

 永き日も 囀(さえず)り足らぬ雲雀(ひばり)かな。 (芭蕉)

 精出せば 凍る間もなき水車。

 長生きは只働くの外はなし 流るる水のくさらぬを見よ。

 ○ 「明治の木村」に勝つ秘策

 どうなりと なろと柳に出られては 気を春風の勢(いきおい)もなし。

 → 「木村」を超えるには、彼を乗り越える「空の空の心」になるしかない。

 ○ 恋の歌ですが、「何事にも筋論や論理・法で括れないことがある」という、いかにも日本人的な世界を教えてくれています。

 鳥も通わぬ玄海灘を何を便りに通わんす。

 虎は千里の籔さえ越すに障子一重がままならぬ。

 末(すえ)は袂(たもと)をしぼると知れど ぬれて見たさの花の雨。 (陸奥宗光)

 忍ぶ恋路と夜降る雪は人目忍んで深くなる。

 憎うて叩くと思うな煙管(キセル) 可愛けりやこそ ロ(煙管の吸い口)も吸う。

 手折らるる人に薫るや梅の花。 (千代女)

 化粧の水を何処へ捨てよか虫の声。 (千代女)


第8話 ブログでやる日本拳法

2022年4月11日 V.2.03

 日本拳法とは、場と間合いとタイミングの芸術です。

 そんな日本拳法的なる物の捉え方で文章を書く。

 彼女の学生生活最後のブログとは、その一つの例といえるでしょう。

○ 場

全体を俯瞰しながら、個々を観察する → 「五輪書」に言う「観見自在の目」

1年生 → みんなしっかり者グリーンハーツ

2年生 → 拳法部の太陽イエローハーツ

3年生 → 個性派集団、全員推せるブルーハーツ

同期  → 大好きなラブラブ

 そのあとで、各学年一人ひとりについて述べる。

○ タイミング

(「平均したペースで走るマラソンとは違う」日本拳法的なる)瞬発力の連続としての、時間の流れ(デジタルで刻むアナログの時間)

 4年間という時間の流れの中で、いつの・いつの時点からの・どんな出来事、をクローズアップする(切り取ってくる)か。

一年間真面目に部活に取り組み

1年間よく頑張った

たった1年で

怪我に苦しんだ1年だった

見学に来てくれた日

拳法部で過ごす時間

入部当時から

拳法部のイベント

コロナ明けの去年の秋

たえちゃんが拳法部にきた時は

ここ1年で

2年の初め

最後の一年

一緒に過ごした時間

1年の頃は

4年間

最初の1年で

4年間おつかれ様

1年の頃

1年の頃からずっと

4年間で教わったこと

この2年間で

1年生の頃から

2年間も

1年生の時に

入学前に思い描いていた

4年間でした

全力疾走の4年間

最高の4年間

 デジタル的に時間や期間を切り取るのではなく、(アナログ的に)流れる時間を意識しながらポイントを押さえる。アナログとデジタル両方の時計(感性)で時間を捉える。これもまた「観見自在の境地」。

○ 物理的と心的な間合い

器と道 すなわち、目に見えるもの(事象)と、その上の心(心象風景)を見て物事を把握・理解し判断する。

① 開米の試合での強さ(という目に見える次元での事実) 

② そこに「ハートの熱さと人間性」という形而上の事実を見出す

③ そして、そういう彼の熱い心を他の人にも応援や励ましとして与えてくれることに対する感謝と共感、という彼に対する評価が確定する

① 目に見える事実の中に

② 形而上的事実を見て

③ そこに自分の心を一致させる(評価の確定)

 そこで、事実は(真の)事実→真実となる

① ノートの振り返りも丁寧で、けがをしても笑顔で弾き飛ばす・関西の選手ともいい試合ができる 

② せりなは強い子(精神的にも強い)です

③ (しかし)たまには弱音を吐いてもいいんだよ 

① 練習外でもトレーニングしていた

② あなたには努力を継続する(精神的な)強さがある

③ そんな井上を私は尊敬する

 見た目の事象で接近し、心で接近し、単に見るだけ以上の「「観見」を実現させている。

 事実を真実に昇華する手法であり、思想であり、手法と思想が一体化した、彼女の(毎日の)生活と(長いレンジでの)人生そのものといえるのかもしれません。

 日本拳法とは、本当に人をぶん殴り・蹴って・投げ飛ばすという超現実の真剣世界であり、四年間、そこから目を背けず退かず、前向きに問題を解決してきた者(ぶん殴られることを恐れずに、前へ出た者)は、誰でもが現実的な強さを持っている。そして、本当に殴られて痛い思いをしてきた者は、それと比例して優しい心が生まれる。痛いという陰には必ず優しさという陽がくっついてくるもの。それが「易経」の核となる考え方です。

 

 逆に言えば、強さと優しさがなければ、四年間、本当に殴り殴られるという生活は続けられない。

 そして、ここで得ることのできた(寸止めという格好だけの世界には無い)真の強さと優しさとは、卒業後の現実世界で、私たちがリーダーとして求められる資質の第一なのです。

 リーダーと言って、会社組織のリーダーだけではありません。基本は家族のリーダー(良き旦那)、家庭のリーダー(善き奥さん)であること。そして何よりも、毎日の殴られる痛みと殴る(時の心の)辛さという鑿(のみ)によって削(けず)りこまれることで見い出した真の自分によって、自分の言動を正しくリードすることができるようになった時、真の人間となることができた、と言えるのではないでしょうか。

(この殴り殴られる環境というのは、一人ではできない。毎日・定時に・みんなで一緒に・何かをやるというイベント・ドリブン、学校とか部活の持つ一つの大きな意味がここにあります)

 この強さと優しさが、彼女の場合には「愛」という言葉でピタリと当てはまるようです。

 しかし、どこの大学でも似たり寄ったりかと思いますが、数十年前の大学日本拳法部(体育会)とは、バンカラ・硬派指向でしたので、徹底的・一方的に厳しく、それも「虐待」というくらい「シゴくのが愛」という雰囲気でしたので、いまひとつ、私には「愛」というものがわからないのですが。

 まあ、時代が違うとはいえ、改めてこんな学校・こんなキャプテンがいたのかという思いですが、ともかくも、

○ ミクロとマクロ

○ デジタルとアナログ

○ 形而上下の視点

○ 緩急自在のリズム

 蚕(かいこ)の繭(まゆ)のように、この4つの次元で人と事象を包み込み、愛によって紡ぎ出されたのが、彼女の大学生活4年間であり、かのブログとはそのきれいな織物といえるのかもしれません。

 (私というやじ馬・部外者の個人的な独断での)彼女の方法論とは、日本人として日本拳法をやる者であれば、誰でも実践することができる(日本人は三国人と違い、純真さ・素直さ・ストレートな心を持っているから)。

 さらに日本人(や中国人)には、長い年月の間に蓄積された「濃い血」がありますから、その隠れた、しかし強烈な縄文人的個性によって、その人独自の「五輪書」が生まれてくる。

 日本拳法とは、本気でぶん殴り・殴られる双方向の痛みという超現実が器(うつわ)となる。それ故に、寸止めや、座布団の上でお経を唱える宗教などでは得られない「真の自分」「自分だけの自分」を発見できる道となる。

 その意味で、柔道、さらには素っ裸で殴る(突っ張り)・投げるという相撲と非常に近い。早稲田大学が、年に一度は必ず相撲部の練習に参加しているのは、誠に理に適っている・正鵠を得ている、といえるでしょ

第9話 もう軟派だなんて呼ばせない

 2022年 4月11日  V.2.03

 ① 40年前、私の学生時代に毎年の学園祭で少林寺拳法部が歌うのが「大学数え歌」でした。

(各歌詞の後ろに「そいつぁ剛毅だね、そいつぁ剛毅だね。」が入る。)

 二つとせ、不良学生のたまり場は、○○に巣を持つ○○大、

 三つとせ、見れば見るほど田舎っぺ、肥桶かつぐは農大生、

 四つとせ、夜の夜中に飛び起きて、悪さをするは青学よ、

 五つとせ、いつの間にやらそつぎょして、世に出て恥かく○○大

 六つとせ、昔ながらの伝統を、鼻にかけるは早慶よ、

 七つとせ、涙ながらにそつぎょして、世に出りゃ○クザの○○大

 八つとせ、やっと出ましたお茶の水、よく見りゃ○スの集まりよ、

 九つとせ、ここで一番、○○大は、大きいばかりの○○学校、

 十っとせ、とぉっと出ました東洋大、よく見りゃバカの集まりよ、

「よく見なくても、バカじゃねえか!」

「バカは少林寺だけだろ!」

 なんて、合気や空手部なんかからヤジが飛ぶ。

 まあ、お祭りですから、みな和気あいあいとやってました。

 こんな戯れ歌にも登場するくらいですから「青学は軟派」というのは(所在地が高級・派手・ファッショナブルというイメージが強い分、ひがみや羨望もあるでしょうが)一般的な感覚としてあったのかもしれません。

 ② 20年前、鎌倉で聞いた話

 ある大寺で、深夜、警報機が鳴った。

 警備会社から寺へ何度も連絡を入れるが、誰も出ない(この寺は大きな観光寺院で、勤務する坊主10名のうち一人が毎晩寺に泊り込むことになっていました。携帯電話が普及する前の話)。

 駐車場に観光バスが10台も停められるくらいの寺ですから、山門の前には消防車3台、パトカー4台、野次馬がワンさと集まり、大騒ぎとなりました。

 1時間後、大船の繁華街からほろ酔い気分で、愛車(2人乗りのスポーツカー)を運転して戻った宿直の坊主、これが青学出身(体育会系ではなく、一般学生)でした。

 私がこの寺に勤務し、初めて宿直をする時に聞いた話ですが、この話をしてくれた坊主と「数え歌通りじゃないか」と大笑いしました。

 ①大学数え歌という一般的な話と②個人的に知った実話から「青学は軟派」というのは、私自身の中では「常識」となっていたのです。

 ところが、2019年

 

AAA 2018年 日本拳法全日本学生拳法選手権大会(女子団体) 準決勝戦 関西大学VS青山学院大学(のビデオ)


 2018年当時、青学3年生の大熊さんが、関大の4年生相手に果敢に挑んでいる姿を見て、それまでの「青学のイメージ」が消え去りました。

 これは男性にも言えることかもしれませんが、関西と関東の(大学日本拳法)選手で、なにが違うかと言えばパンチの質です。

 関西人は子供の時から道場で鍛えてますから、いかにも「ぶん殴る」という、ど迫力がある。 関東(の女性)の場合は、いくらパンチが強くても速くても、一本を取るための(ジェントルな)パンチです。決して、ぶっ飛ばすとかぶん殴るという「凶暴さ」は感じられない。いかにも淡白な感じの突きなのです。

 ですから、そんな関西風の「ぶちのめしたる」といわんばかりの激しいパンチを、自分の面で(正直に)受け止めながら、大熊さんは素直なパンチを懸命に打ち返している(相打ちの連続)。

 私の高校時代の親友はハンドボール部のゴール・キーパーでしたが、1メートルくらいの近距離から、ものすごいスピードで投げつけられる硬いボールをしっかりと見て、分厚いグローブをつけた手というか、身体全体で弾き飛ばしている。それを見て私は、ケンカより怖いと思いました。

 浅草の大工の息子でしたが、殴られることを怖がらないのでケンカも強かったし、体中アザだらけでありながら頭もよかった。しかも、運動会のアトラクションで女装した時には、1・2年生からラブレターがごっそり届いた(男子校)、というくらいの美形でした。

 彼の活躍もあり、都立高校ながらベスト8まで行きましたが、二年生の後半、試合中にボールが目に当たり、左目を失明してしまいました。

(日本拳法が危険だなんていう人は、野球やラグビー、ハンドボールやサッカーの方が、よほど怪我をする確立は高い、ということを知るべきでしょう。)

 (拓大の人から聞いた話ですが、水球なんて優雅なスポーツのように見えますが、水面下では、蹴りの応酬で下半身はアザだらけ、海水パンツも引っ張られて破られるので2枚着用、なんていう激しい格闘技なんだそうです。)

 大熊さんの激しい打ち合いを見て私は、(高校時代に)ハンドボールのゴール・キーパーをやっていた(ブログでの自己紹介)だけあるな、と思いました。

 

BBB 2019年11月 東京で行われた総合選手権、女子個人戦での大熊さん


 1回戦は見逃しましたが、2回戦は東洋、3回戦は明治。両校の選手とも、ほぼ組み打ちのみの攻撃ですが、大熊さんはそれを真正面で受け止めながら、パンチで勝ちます。それを見て私は、私の高校時代の友人と同じで正直な人なんだな、と思いました。組んでくる相手を適当にいなせるのに、がっぷり四つに組んで受け止める。そして、勝負は得意の面突きで決める姿は、まるで横綱相撲です。

 しかし私は、彼女が準決勝に勝った時点で、決勝戦では負けるのではないかと思いました。それまでの戦いですっかり体力を使い果たしたかのではないかと思ったからです。

 ところが、結果は彼女の優勝でした。激しい面突きの打ち合いになりましたが、ここでも彼女らしく、真正面から相手のパンチに向かっていく「ハンドボールのゴール・キーパー」スタイルで、打ち勝ちました。

 このときから「軟派」というイメージは、私の中から完全に雲散霧消しました。

 そして、

 

CCC 「四年主将の佐藤です」


 https://ameblo.jp/aoken-wakiwaki/entry-12709840081.html

 ここで2021年度のキャプテンが述べられた「青山学院大学 日本拳法部の精神」によって、女性ばかりでなく、男性陣もまた

「そぞろ歩きは軟派でも、心にゃ硬派の血が通う」

 ということを知りました。

 このブログは、キャプテンの同期たちがどんな人物なのか、彼らの持つ個性を組織の運営にどう生かしてきたのかという寸評なのですが、彼が仲間たちのどんなところをどう見ているのかという「目の付け所」から、彼が代表を務める青学日拳の組織論を、ほんの少しですが垣間見れたようで、楽しめました。

 

 

○ 2021年度 青学キャプテン名語録


 <引用開始>

 こだわりがある奴

 優しい大澤がバランスをとってくれていたからこそ、部員がついてきてくれた

 先輩や同期と話しているのを見ても、人付き合いがうまいなと感じました

 人当たりのいいみうちゃんには部内の人間関係について助けられることが多かった

 我が同期は男子も女子も曲者揃いで、お互いをなかなか理解できない事もあった気がします。でもみうちゃんは女子と衝突も少なくて緩衝材のような役割を果たしてくれたと思います。みうちゃんがいなかったら今みたいに仲良くできてない

 後輩の面倒見の良さにも助けられました

 女子部員は自分に話しかけられると(自分はどちらかというときつい性格だと思うので)萎縮してしまうんじゃないかなと思いますが、みうちゃんみたいに優しくてコミュニケーション能力の高い先輩がいると上下関係も厳しくなりすぎないでいられます。そうした面倒見の良さという面でも助かりました

 入学当初は50キロもなかったみうちゃんが先輩方に果敢に立ち向かう姿をみると自分もまだまだだなと感じ日々の練習を頑張れました

 強い気持ちを持っている人

 一見ふわふわしてますが強い意志を持ってる

 負けず嫌いで勝負に妥協しないところは我々同期にとっても、後輩にとってもいい見本

 男子相手の勝負練だろうと、大舞台の試合だろうと強い気持ちで一本を狙う戦い方は青学拳法部にDNAとして流れて欲しい

 練習では打ち込みから自分で考えながら練習をして

 女子のやらない筋トレを1人でやっているのを見かけた

 真面目に拳法に取り組む姿勢は同期としてみてきたからこそわかったものですが、後輩にも受け継いで行って欲しい

 自分の将来を決める時期に部活のために学連の仕事もこなさなければならなかったモコちゃんには本当に感謝しています

 自分に厳しく練習は妥協しない強い気持ちを持っている漢

 自主練でランニングも筋トレも欠かさない竹本は確実に部員にいい影響を与えてくれた

 練習中の声出しも人一倍で、部活中のボルテージをあげてくれました

 後輩への技術的指導、部員間のコミュニケーションにも積極的

 なかなか周りからでは理解されないタイプだと思いますが、部活動をする上で大事にしなければならないものをたくさん持っている

 竹本がいてくれて部活の雰囲気は本当にいいものになった

 マネージャーという立ち位置での入部となりました。ためもとからすれば部活のことに関しては右も左もわからないのに、我々部員もマネージャーの経験がなく、何をしてもらえばよいかわからないという難しい状況だった

 マネージャーのありがたさ

 自分の練習に出来るだけ集中できる環境を作ってもらえることがどれだけ大事か

 1人も欠けることなく最後まで部活をやり切ることができたのでそれが何より

 次の四年は自分たちが何を一番大事にして部活に取り組みたいかを決めて、それだけは部員全員譲らないような気持ちを持って欲しいです。そうすれば部活全体まとまると思うし、他のことにも一緒に取り組みやすくなると思います。

 千里の道も一歩から

 やるべきことを一つずつこなしていって、自分たちよりいいチームを作って欲しい

<引用終わり>

 異なる個性を持つ新しいメンバー(曲者たち)が、来年(度)は「古い酒袋に新しい酒」の如く、この大学の伝統をベースに、どこまでその存在感を示してくれるのでしょうか。

                  

第10話 あとがき

2022年 4月11日 V.2.03

「友情は、この世でもっとも説明しづらいものだ。それは学校で教えてくれる知識じゃない。でもその意味を知らなければ、実際何ひとつ知らないのと同じだ」 モハメド・アリ
(Friendship is the hardest thing in the world to explain. It's not something you learn in school. But if you haven't learned the meaning of friendship, you really haven't learned anything.)

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参考

「中国古典名言辞典」諸橋轍次 講談社学術文庫
「中国の古典名著 総解説」 自由国民社
この2書を暇なときに見ている(名言集・ダイジェストなので、拾い読みできる)だけでも、「徳と律」に基づく現代中国の政治というものがよくわかります。
 欧米、とくに今のアメリカとその強い影響(支配)下にある、日本・韓国・台湾(の政治)など「ガキ」にしか見えない(日本・韓国・台湾の情報は、Yahoo!ニュースと中央社フォーカス台湾だけです)。

 中国の政治に関しては「人民網日本語版」というネット情報だけですが、
○ 何を問題とするかという趣旨が明確であり
○ 主旨がしっかりしている、
という点で、現在(2023年)の日本の(韓国人的脳で書かれ編集された)主要新聞やテレビ・雑誌など、この中国のネット新聞の足元にも及ばない。

情報源としての(ネット)新聞という以上に、リベラル・アーツ(徳育・ 教養教育)として役に立ちます。早い話が「まともな視点と論点、分析力・展望」という点で、日本のどの韓国系マスコミよりも(私にとっては)勉強になります。

○ 「中国の思想 易経」徳間書店

第12話 慶應義塾大学日本拳法部における新セイバー・メトリクス

慶應義塾大学日本拳法部の場合もまた、学生一人一人が自分の身体能力・特長を活かした自分なりの日本拳法を創り出すことで、大学日本拳法を(個人的に)楽しもうという考え方のようです。

2020年・2021年の慶應義塾大学日本拳法部の試合映像(大商大VS慶應義塾大学)

大商大新聞部のYouTubeでの動画

https://www.youtube.com/watch?v=nm7zSmnaSxM 
https://www.youtube.com/watch?v=-QJJhHQdMK8

  慶応大学の拳法というか拳法の追求の仕方というのは、一種マニアック(凝り性)と言えるほど、自分(たち)の拳法を「作り出そう」とする意志が強い(と私は感じました)。
 良く言えば個性的、たまに行きすぎる人がいて、そんな人はナルシスト(自己陶酔)的なスタイルなんですが、見ている方は楽しめます。
 「自分の拳法・自分のスタイルを創造する」ことに、楽しみと意義と成果を見い出そうとする。優勝トロフィーという権威以上に、本当に自分で自分に満足できる域に達することに至上の喜びを得る。

ノーベル賞だのアカデミー賞だの、総理大臣賞だとかギネスといった「世間の承認」なんて気にしない。司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」における主人公(たち)のように、(学生時代は)白い雲だけを見てひたすら坂を上る(勉強する・部活する)ことが許される(学校)環境というのは、幸いかもしれません。
 つまり、私の大学時代のようにアルバイトだの女の子だの、雑念ばかりで学生時代に余計なことばかりやっていた人間は、たとえ私にいくらカネがあっても頭がよかったとしても「慶応ボーイ」にはなれない、ということ。
 俗に「エエとこのボンボン」とか「お坊ちゃま」といわれる人間というのは、小学校・中学校・高校・大学と、その時の「やるべきことだけをやれば生きていける」環境にある人のことであって、金持ちとかいうことばかりではないのです。

<もう一つの早慶戦>

最近の早稲田大学日本拳法部というのは、やたらと警視庁とか自衛隊といった権威や権力の殻に包(くる)まることで、自分たちの存在感を確保しようとしているように見える。
内なる自分が自覚するのではなく、人に向かって誇示することで自分の存在を確信できる。これが彼らの存在感の証明というスタイル(だというのが、最近の早稲田を見ての個人的な感想です)。
40年前は、(いい意味で)もっと単純にスポーツ・武道としての大学日本拳法をガンガンやって(楽しんで)いた、という気がするのですが。

一方の慶應義塾大学日本拳法部とは、自分たちそのものの行動力・行動形態(スタイル)、そして心の一致・一体感によって、自分自身で自分の存在感を自覚することに喜びを見い出そうとする(ように私には見えます)。
これが行きすぎると「ナルシスト」になるのですが、観客として彼らを見る立場からすれば、「大いなる自己満足」という(無邪気な感じを受けて)楽しめます。

まあ、早慶両校の体質の違いであって、良い悪いはないわけですから、その違いでも楽しませて戴きましょう。

<インディーズ系大学日本拳法における新セイバー・メトリクス>

  そんな行動形態・心的存在感の自覚という点に於いて、慶應義塾大学日本拳法部ほどナルシスト的臭みがないのが、立教や青山・関東学院といった学校です。
偶然にも皆ミッション系ですが、大学の雰囲気として「神の目線」という、格段に大きいものの見方・感性というものがあるのかもしれません。

明治や早稲田のように、「優勝とか入賞に執着する」ことを楽しみにする学校の体質とはかなり離れた心的環境にあるのかもしれません(慶應や立教・青学が優勝を狙っていないと言うことでは、決してありません。青学・立教女子は関東では常に優勝争いをする2強です)。

 

<みんなで空(そら)を見る>

大学日本拳法ワールドにおける「心のセイバー・メトリクス」

今回(2023年夏)、甲子園で優勝された慶應義塾高等学校野球部の面々は「天を仰ぐ」「空を見る」ことで、400年前にかの宮本武蔵がその著「五輪書」で吐露した「空の心」という、いわば、武蔵の剣のみならず人生を貫く極意とも言うべき哲学・理想とする境地を、私たち現代日本人の前で体現してくれました。

彼らの野球の技術云々よりも、5万人の大観衆、60パーセントの視聴率という衆人環視の中で、無限に広がる天空という鏡に自分たちの心を写すことで、9個の点を線とし・面となし、堂々と自分たちの哲学(行動理論)を現実の行動(結果)として披瀝してくれたことこそ、彼らが真の(そして、新しいタイプの)英雄であるという確かな証左といえるでしょう。

<目に見える数値も図解も方程式もない「心のセイバー・メトリクス」>

大学日本拳法の世界に於いても、従来のパワー拳法という拳法の楽しみ方では掬(すく)いきれない(充足できない)純血日本人の豊かな心を網羅しようと、東の立教・青学・関学(関東学院)、西の関学(関西学院)という幾つかの大学日本拳法部が、それぞれ独自の個性とポリシーをもとに、「心のセイバー・メトリクス」心で楽しむ大学日本拳法という次元で戦っています。

(本気で思いっきりぶん殴る)真剣勝負の大学日本拳法を通じ、真剣に人を育てるという徳育と、これを伝統として継承する楽しみを身につけようという、まさに体育や知育だけの中高大学教育での不備・不足の解消を実践する立教大学。

本気で思いっきりぶん殴る超現実的な格闘技を通じて、シュール・リアリズム(超現実)的感性と知性を掘り下げんとする青学式セイバー・メトリクス拳法。

完全なる民主主義・自由主義の部活の中で、監督のポリシーが徹底的に生徒たちに染み渡る。まさに、今回の慶應義塾高等学校野球部のケースと同じで、監督と部員が一緒になってスポーツを楽しもうという、従来のスポ根スタイルには見られない、明るさと自主性と知性による個性と総合力の発揮(融合)を目指す関東学院大学。

パワー拳法の見た目に派手なスタイルに対抗し、地味な攻撃スタイルで確実に勝利を得ようとする、野球におけるセイバー・メトリクス的な拳法を追求することで、選手もマネージャーも日本拳法を通じて科学的な心を身につけようとする大学。
具体的には、超高速で且つメガトンパワーのあるパンチで勝とうとせず、その3分の1のパワーとスピードで、しかしながら後拳の本数はパワー拳法の3倍打ちまくることで、勝機の機会を増やし、勝利の得失を担保していこうとする、関西学院大の新セイバー・メトリクス拳法。

おもしろいのは、彼らは決して日本拳法そのものを疎かにしているわけではない、ということ。まさに優勝を目指してハードに練習しながら、戦いの次元と位相で様々な楽しみ方ができる、というのは現代的センスです。

立教と青学の女子は関東では2強と言われる強豪校ですし、関西学院大は2022年の全国大会では、女子は優勝、男子は準優勝という、日本拳法の結果も出しています。
また、10年間も鳴かず飛ばずであった関東学院大は、2022年の全日本(全日・府立)では、関東勢として今までなかなか超えられなかった2回戦進出を果たしました(日本大学も一回戦突破)。

ハードウエアとソフトウエア両面に渡る「新しい波」「新次元の開拓」は確実に「在来種純血日本人的なる人々」によって行なわれているのです。

各人の存在感の自覚 → 全員での一体感の獲得 → (個人・部を超えた)より普遍的な平等思想の追求。

① 個性的な日本拳法で楽しむということでは慶應義塾大学日本拳法部の拳法
② 心の個性を4年間で浮き彫りにすることで、その存在感(個性)を互いに実感しようとするのがインディーズ系。
という感じでしょうか。

2023年9月9日
V.3.1
平栗雅人


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