時計仕掛けのオレンジ  NHKを救え V.1.2


第1話 一億玉砕

  1940年代、日本の人口を約1億人として全国民の意に用いられた「一億~」という言葉。
  太平洋戦争中、日本国民全員が討ち死にするまでアメリカと戦えという国家のスローガンとして、政府や警察・マスコミによって日本国民は「一億玉砕」を叫ばされました。そして、これに異を唱える者は、「非国民」というレッテルを貼られ、全国各地の警察署や憲兵隊(軍事警察)で殺されたのです。

  30年前、禅寺の坊主であった私が京都で聞いた元警察官(当時80歳)の話によると、日中戦争・太平洋戦争中、警察署内で拷問によって虐殺された「非国民」は、小林多喜二(1903~1933)ひとりどころではない。何万人といたそうです。この元警察官自身「日本人と朝鮮人、自分一人で何人殺したか覚えていない。」なんて言っていたくらいなのです。

  1945年(昭和20年)8月15日、天皇ヒロヒトが敗戦宣言をし警察や軍隊が武装解除されると、「オレたちは戦勝国だ」と叫ぶ朝鮮人たちが各地の警察署や憲兵隊に朝鮮人が乗り込み、拳銃や刀、カネや食料品を強奪しました。この元警察官も岡山かどこかへ逃げてしばらく隠れていたそうです。

第2話 一億総懺悔

  一転して、1945年(昭和20年)8月15日(水)、日本国民全員がアメリカに懺悔(過去に犯した罪を神仏や人々の前で告白して許しを請うこと)させられました。
  評論家の大宅壮一(1900~1970)は、一夜にして「鬼畜米英」から親米・拝米に転換した日本人の軽佻浮薄・節操の無さを、戦後「一億総懺悔」と評しました。

  しかし、玉砕を叫んで国民を煽動していたのは天皇・政治家やマスコミ、警察官や職業軍人であり、9,950万人くらいの一般国民は「言うことを聞かないと殺すぞ」もしくは、そういう幻想を抱くように洗脳されていたにすぎないのです。

第3話 宗教の恐ろしさ

○ 大東亜共栄圏(天皇が盟主となってアジアを支配する)

○ 鬼畜米英(西洋人は鬼であり家畜に等しいからいくら殺してもかまわない)

○ 欲しがりません、勝つまでは(草の根をかじってでも最後の一人まで戦う)

○ 一億玉砕(日本国民全員が討ち死にする)

  なんてスローガンを(政府や警察によって強制的に)叫ばされていた当時の狂った日本(人)とは、天皇という教祖による新興宗教に洗脳されていたようなものです。

  教祖である天皇ヒロヒトは、1945年(昭和20年)9月、当時の日本における神である連合軍総司令官マッカーサーに拝謁し「自分はキリスト教に改宗したい」と懇願したそうです(マッカーサーの副官(秘書)に、謁見のあとマッカーサーが語った話)。
  そして、その翌年の1946年(昭和21年)1月1日、自分は神ではない(教祖でもカリスマでもない)ただの人間だ、と宣言することでアメリカに許されました。
  こうしてヒロヒトは、東条英機らのような戦犯として死刑を免れましたが、彼が教祖となっていた20年間で、数百万人もの若者が戦死(統計によると、戦死者の6割が餓死であった)させられ、「ひめゆりの塔」に象徴される何十万人もの女子供が戦争の巻き添えによって、悲惨な死に方をさせられたのです。

  「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な漫画家の水木しげるさんは、「諷刺の愉しみ」という漫画の中(「お助けじいさん」)で、「戦争末期に特攻隊を送り出し、自分だけはその後も生き残る計算をしていた職業軍人」と述べていますが、戦地の職業軍人や内地の警察官・役人も、そのほとんどが天皇と同じようにして生き延びたのです。

 私の父は、1945年(昭和20年)8月14日まで、本土決戦になったら爆弾を抱えて死ぬという特攻隊の訓練を受け、8月15日になった途端、缶詰3個と東京までの切符を支給されて奈良の少年航空兵訓練所を追い出されました。
 そして、苦労の末、朝鮮から命からがら引き上げてきた父母兄弟(私の祖父母や伯父・伯母たち)と涙ながらに再会しました。しかし、それからは映画さながらの苦しい生活が数年続いたそうです。ですから、父もその兄弟も、多くの日本人と同じで「天皇という宗教」を恨んでいました。

  まさに、黒澤明が描いた映画「野良犬」「素晴らしき日曜日」「酔いどれ天使」「我が青春に悔なし」「静かなる決闘」のような、敗戦後の日本・東京で、天皇教という幻想から放り出された日本人は、一人一人が必死で生きねばならなかったのです。

  長い目で見れば、明治維新(1867年の大政奉還)以来80年間、昭和だけで見れば20年間続いた「天皇教という新興宗教」に、1億の日本人が洗脳され踊らされていたということです。
  同じ新興宗教とはいえ、奈良の天理教は1838年、岡山の金光教は1859年に創唱されたのですが、これら新興宗教は人畜無害なので、今も存続しています。悪い宗教ではありませんが、天理という町は30年前に比べ明らかに活気がなくなっている(商店街はガラガラ、道路はどこもガタガタ)。
  まあ、宗教ですから、当人たちがハッピーであるならそれで良いのでしょう。

  1960年に日蓮宗から分離独立した創価学会や、同じく韓国系の勝共連合(統一教会)、幸福の科学という「戦後の新興宗教」は、フランスではカルトと認定されていますが、日本では盛んです。

  「なぜフランスでは「創価、幸福の科学、統一教会」がカルト扱いされているのか…フランスがカルトを規制する上で注視する「10の基準」とは」
  島田裕巳 2024/4/24

https://shueisha.online/articles/-/250664


第4話 縄文人という宗教

  私の場合、無宗教というか「自分は縄文人である」という自己認識・アイデンティティー(自分が自分であるという自己証明)で生きており、このまま死んでいくつもりです。

  青森県の三内丸山古墳(1万年前)を訪問した時に感じたのは、縄文人世界とは、教祖とか現人神(天皇という人間を、神と崇める)なんて存在しない、真に平等意識を持つ、風通しの良い・安心できる社会であったということでした。

  古けりゃ良い、というわけではありませんが、(私の宗教ともいえる)縄文人信仰とは、ユダヤ教やキリスト教、仏教やイスラム教、天理教や創価学会なんぞよりも、桁違いに古い。
  なによりも、宗教につきもののお金が要らない。
  日々、「ああ、おれは1万年前から続く縄文人(の血筋・血統・家系)なんだ。」と意識していれば幸せなんですから、こんな気楽な信仰はありません。

第5話 縄文人にとってのNHK文化

  では、いったい何をもって「自分は縄文人である」と自覚するのか、と問われれば、それはたとえば「素人のど自慢大会」「昼の憩い」「眠れない貴女へ」「浪曲十八番」「音の風景」といった、NHKのラジオ番組によってです。

○ ラジオから聞こえてくる「のど自慢大会」会場における、全員が一体化した雰囲気こそ、かつて私が鎌倉の鎌倉教会(バプテスト)で体験した日曜ミサのそれであり、

○ 「浪曲18番」は日本の賛美歌
  三味線は日本のパイプオルガン。日本人の魂を揺さぶります。

○ 「昼の憩い」「眠れない貴女へ」で朗読される、日本各地からの日本人(縄文人)のお便り(話)とは、縄文人の生の声(縄文人らしい生活)そのものです。

◎ ラジオ(耳から聴いて愉しむ)だからこそ良い

  → NHKラジオ番組表に見る日本文化の粋(すぐれたもの)

https://www.nhk.jp/timetable/130/r3/20240619/weekly/now/

  確かに、NHKラジオニュースはひどい

  政府や警察による大本営発表の垂れ流しであり、民放のテレビやラジオにおけるニュースと同じです。「(権力の)犬HK」と揶揄されるのも仕方がない。

  しかし、NHKが長年培った日本(縄文人的)文化の蓄積は、世界に誇るべきほど貴重な遺産であり・ノウハウでもあるのです。

続く

2024年6月19日
V.1.1
2024年6月20日
V.1.2
平栗雅人


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