縄文人の系譜 NHK「素人のど自慢大会」 V.4.1


第1話 私たちは縄文人、という一体感にひたる

  昨日曜日、「NHK素人のど自慢大会」を初めてラジオ(NHK FM)で聞いたのですが、そこで初めて、この番組が長寿である理由が実感できました。
  会場のアナウンサーや演者・観客・招待歌手と、私のような視聴者(の心)が、同じ在来種純粋日本人・縄文人として一体化できる。これこそが、この番組が1946年以来、70年間も続いてきた理由なのでしょう。

  本来、日本人(縄文人・在来種純粋日本人)は、外来種日本人と違い、特別な人間(天皇)とか、スター的存在(首相・俳優・歌手)なんてものを必要としない。  自分(たち)と同じ人種である縄文人同士、一般大衆・民衆・仲間でワイワイやって楽しむことができる。それが本来の縄文人社会というもの。
  百姓も殿様も「同じアホなら踊らにゃ損々・・・」という阿波踊りの心です。

  (縄文遺跡・三内丸山古墳には、雪深い冬のあいだ村民全員が一緒に住むための、大きな平屋の建物があります。また、地震が今以上に多かった昔、津波の時に子供やお年寄りが避難するための、高くて大きな櫓:やぐらはありますが、権威の象徴である教会や神殿・高い塔とか、支配者や貴族が住む宮殿のような建物はありません。)
  日本全国、どの町に行っても、そんな「アホになれる同じ縄文人」がいる。そして、観客席で・舞台で・審査員席で、みんな平等にそれぞれの役を淡々と、しかし、もの凄く熱っぽく演じている。アナウンサーも演者も観客も招待歌手も、みな平等の心で一体化している。

  一方で、近ごろ英国や米国でも「素人のど自慢」をマネしたテレビ番組が盛んなようですが、彼らの場合、様々な人種が混ざり合っているが故に、どうしても「スター」という強烈な存在感を作り上げたがる(異なる民族による共同体では、階層構造を作らないと社会が制御できない ?)。
  ですから、欧米ののど自慢大会とは、スターになるために出場し、仲間をスターにするために応援し、それをすでにスターとなっている者が上から目線で評価する。権威による資格認定試験・権力者のための審査のような「見世物興業」の趣(おもむき)が強い。

  英米の素人のど自慢大会は、なんかヤラセっぽい、演出の臭いがする。
  そんな感覚を抱く私にとって「NHK素人のど自慢大会」のような、演者や観客・アナウンサーや招待歌手たちと一緒に楽しむ・感情移入することができる阿波踊りと同じ「日本のお祭り」は、自然に心から楽しめるのです。

2024年5月20日
V.1.1
2024年5月21日
V.2.1
平栗雅人


第2話 声で聞く日本語の素晴らしさ

  日本語というのは、読んでも素晴らしいのですが、今回、耳(だけ)で聞くことにより、あらためて日本語の素晴らしさを再認識しました。

① 音(声)だけで聞く日本語の素晴らしさ

  素人のど自慢大会の女性司会者の声、男女の参加者の声、男女の招待歌手の声、そして会場(観客)の声。ラジオ深夜便(女性アナウンサー)の声。
  顔も衣装も見えない、声だけのコミュニケーションの素晴らしさ。
  日本語の語感の優しさ・心を伝える力を実感し、同時に自分の音感(音に対する感覚。音の高低・音色などを聴き分ける能力)をもっと鍛えようと思いました。

② (NHKの女性)アナウンサーの声の風味(が心地良い)

民  放各局の女性アナウンサーというのは、選ばれた人だけあって確かにいい声をされてはいるのですが、少なくとも、のど自慢大会やラジオ深夜便の女性アナウンサーたちとは違い、心に染み入るような声質ではない。話す内容・話題の違いに由来するのかもしれませんが。
  **男性アナウンサーが向いているのは、民謡の司会など、ではないか。

③ 視聴者の投稿文に心が同期できる

  女性アナウンサーが読み上げる、日本全国の視聴者の声。聞いたこともなく・行ったこともない、また、名前も顔も知らない日本人の話に共感できる・感動できる自分、が嬉しい。

視聴者のお勧め「お休みソング」

④ 淡々と視聴者からのお便り、そして自分の心を、素のままに読み上げるアナウンサー

  まさに素材の風味を生かす日本料理(精進料理)の趣(おもむき)。
  その点で民放のアナウンサーというのは、技巧に凝るというか、わざとカワイこぶった話し方をしたり、意図的に話を面白おかしくしようする印象を受けます。彼女たちの話し方とは、まるで、アミノ酸や合成着色料を使った料理のようです。

⑤ 気迫・気魂(魂。精神。気魄)・気根(物事に堪え得る気力。根気。)

  大学日本拳法女子もまた、技巧に凝らない、あからさまなパワーを行使しない、素のままの日本拳法。

第3話 日本人に宗教は要らない

  「オレはオレである」という自覚(による幸福感)のために、これまで200冊以上の本(エッセイ)をネットで書いてきたわけですが、今回、ラジオの視聴を通じ、目に見えない仲間たちと、あらためて「同じ縄文人」という、大きな連帯感・一体感に浸ることができました。

  昨日のお昼(素人のど自慢大会」)から、ラジオ深夜便を経由して今朝までの10数時間、幸せに過ごせたのです。なんと安上がりで、大きく奥深い幸福感でありましょうか。

  もともと、縄文人日本人(在来種純粋日本人)には、聖書やコーランのような、人間としての在り方を規定するような教科書は必要ありませんでした。
  単一民族の中では、「血は水よりも濃し」と、血に由来する家族・民族・人種として、人間たちの特性が暗黙の了解であり、且つ明確に存在するので、敢えて言葉によって、こうあるべき・こう生きるべしなんていう「教え」とか「法律」は要らないのです。

  仏教というものでさえ、上から押しつけられた(強制された)ものであり、朝鮮半島から来た外来種天皇や貴族階級(弥生人)が、在来種純粋日本人(縄文人)を統治するために持ち込んだものです。
  6世紀、物部氏とて蘇我氏との争いから始まり12世紀平家と源氏の殺し合い等、天皇という権威の下で2つの権力者が争うという悪の構図は、織田信長・豊臣秀吉、そして徳川家康によって終息し、「天皇という宗教」は京都に封じ込められ、以後、300年にわたって日本は平和な時代が続いたのです。(明治になってから悪魔が復活し、日本は再び戦争の国になってしまいました。)

  現在、縄文人の遺跡からは、狩りをする道具が見つかっても人殺しをする武器や兵器は見当たらない。発掘されるのは土器や女性のための装飾品ばかりなのだそうです。
  縄文人という同一民族、すなわち、日本の住民全員がひとつの家族であったのですから、多少のけんかはあっても殺し合いなどしない。
  聖書やコーラン、仏教経典といった、異民族同士の心をつなぐためのプロトコール(交信手順・議定書)や法律というものなど必要なかった。
なんとなれば、日本人(縄文人・在来種純粋日本人)には「日本人としての自覚」を呼び起こしてくれる(聖書や仏教経典に代わる)ものが沢山あるのですから。

  (聖書やコーラン・仏典に関しては、宗教というよりも教養として役に立つ言葉があるのは事実です。特に聖書とは、世界中のあらゆる民族の中で鍛えられてきただけあって、人間関係においては優れた見識がちりばめられています。
  また、漢民族の中での戦争や闘争・革命という混乱を通じて煮詰められてきた「中国古典書籍」には、同じ単一民族縄文人にとってmake senseな言葉・考え方が極めて豊富です。日本人にとっては、仏教よりもむしろ、中国古典籍の方が向いているのです。)

第4話 縄文人へのポータルサイト(入り口)

① NHK「素人のど自慢大会」

  今回、きっかけとなったのが、日曜昼の12時から13時までの「のど自慢大会」。

② 「ラジオ深夜便」 視聴者の投稿

 その日の深夜(月曜日)12時、ある女性の初出産の時の話を聞きました。 
https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=2401_01_3999813
「眠れない貴女(あなた)へ」
ご案内:和田明日香
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%98%8E%E6%97%A5%E9%A6%99

聞き逃し
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=2401_01
 → 5月19日(日)午後11:30放送分は、2024年5月27日(月)午前1:00)まで「らじる・らじる」で聞けます。

 

○ 縄文人女性の偉大さ 陣痛の痛みが神を呼ぶ?

  パーソナリティー和田明日香さんの朗読による、岐阜県の「味付け紀香(のりか)さん(63歳)」の投稿です。

  38年前の4月、初めての出産を控え自宅から30分ほどの実家で過ごしていました。予定日からずいぶん経ってやっと陣痛が始まった日曜日、父親の軽トラック(農家?)で近くの産院へ送ってもらいました。
2階の病室は真っ白い壁に、親と赤ちゃん用のベッドがあるだけで、他には何も無い静かな部屋。一人で少しづつ痛みが増すのを我慢していました。
私の両親にとっては初孫なのに、母はいつまで経っても来てくれず、だんだんと心細くなってきました。
  階下へ降りて(携帯電話がない時代)公衆電話(ピンク電話)から、夫に電話しました。
  「陣痛が始まったこと」「もうすぐ生まれること」を痛みの中、やっとの思いで告げると「あ、オレ酒飲んだ」のひと言。
  腹が立つやら情けないやら。当てにはできないと、病室へ戻りました。
  痛みは増す一方、さみしさと・苦しさと・心細さがマックスになって(頂点に達し)、どうしようもできないことに涙が出てきた時、フト、思ったのです。
  「日本中で今、この時、この同じ時間、陣痛で苦しんでいる妊婦さんは何人くらいいるのだろう。私だけじゃない。きっと何十人かいる。世界中なら、何百人、何千人もいるだろう。」
  「そうだ、私だけじゃない。みんな頑張っている。苦しいのは私一人じゃない。みんな苦しんでいる。私も頑張ろう。」そう思ったら、俄然と力が湧いてきました。
  その日が終わる頃、やっと第一子が生まれました。
  結局、二人目も三人目も、誰も付き添ってくれることなく、そのたびに「今、日本中で何人の妊婦さんが、いや、世界中なら」と、自分にいい聞かせて産みました。
 
  なんでこんなことを思ったのか。
  きっと、独りで痛みに耐えている私に、神様が「頑張れ」とエールを送ってくれたのではないか。なんの信仰もなく、おこがましいですが、神様が助けてくれたのだと思いました。
*******************************
  そしてここから、今度はこの番組のアナウンサー和田明日香さんご自身のコメントと体験が語られます。

  身体的にも精神的にも切羽詰まっている自分なのに、なんかフト、客観的にその自分が見れるのもまた自分・・・。
  私(和田明日香さん)も、自分自身の体験を思い出したのですけれど、陣痛の時、あまりに痛すぎて「なんじゃこりゃ。(こんな痛みに耐えるのは)無理」と思った時、「いや、待てよ」と、フト思いました。
  「この痛みって、縄文時代からいっしょだろうな」と。
  人間が生まれてこのかた、この痛みだけは(もちろん、無痛分娩というものもあるでしょうが)変わらないはずのものだな、と思った時に「よし、やったろう」みたい気持ちになりました。
  「人間とは痛みの限界を迎えると、宇宙の目というか、自分の向こう側に行けるというか、自分で神の視点を作り出す能力がある生き物」なのか、と思います。
(投稿者のように)日本で・世界で、一緒につながってはいないけれど「一人じゃないはずだ」と思える人たちがいるから、強くなれているのだ、と(和田明日香さんは投稿者に)気づかせて戴いた。
というお話でした。
(この投稿をされた「味付け紀香さん」には、片平里奈「誰もが」という歌が贈られました。)
この話自体も素晴らしいと思うのですが、和田明日香さんの素人っぽい、訥々とした語り口がまた良いのです。
 → 是非、ネットラジオ「NHKラジル・ラジル」という「聞き逃した人のための再放送」でお聞きください。(放送日後から一週間・5月27日(月)午前1:00までしか聴けませんが。)

「宗教」が無くても、縄文人は(強く)生きることができる。

「縄文 VS 弥生」特別展  国立科学博物館
https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2005/jomonvsyayoi/index.html

③ 「ラジオ深夜便」 「音の風景」

  在来種純粋日本人らしい感性で作られた「音のドラマ」。
  ただただ淡々と、旭山動物園の動物(ペンギン、チンパンジー、カバ、エゾヒグマテ、ナガザル)の声と、女性アナウンサーによる短い解説。
大自然・野生ではなく「動物園の動物」の声ですが、それでも自然の生き物の生の声、そして、優しい音楽と日本語アナウンス。
  擬態語(視覚・触覚など聴覚以外の感覚印象を言語音で表現した語。「にやにや」「ふらふら」「ゆったり」の類)や、擬音語(実際の音をまねて言葉とした語。「さらさら」「ざあざあ」「わんわん」など。)は、日本語とパプアニューギニアの人たちしか使わない、と聞いたことがあります。
そんな私たち在来種純粋日本人の感性には、動物の声も親しみのある声として聞こえるのかもしれません。

④ 「ラジオ深夜便」朗読 森鴎外「安井夫人」

  やはり、耳で聞く日本語の素晴らしさ。
  この小説は、50年前「新釈現代文」という受験参考書で知り、勉強の一環として読んだのですが、今回、耳で聞き、(青空文庫で)読み直してみると、あらためてこの小説を味わう(「遠い先を見つめていたお佐代さん」に、これまでの自分自身のたどってきた境涯(心境・生き方)が重なる)ことができました。
  森鴎外という人は、英雄豪傑といった特別な人間ではなく、「高瀬舟」や「山椒大夫」そしてこの「安井夫人」のような、ごく普通の・一般人・市井の人々の心をもくみ取ることのできる、平民的で繊細で優しい心の持ち主であったようです。
  安井息軒という、優れた医学者・出世した人間のことばかりでなく、その妻であるお佐代という、ごくありきたりの女性の淡々とした人生を描きながら、彼女の人間としての特殊性(縄文人の特性)を、鋭いノミで浮き彫りにしている。
  そんな、人の心までをも診ることのできる医師こそが、真のお医者さん(森鴎外)と呼べるのでしょう。現代ではワクチン注射のアルバイトで、一ヶ月間で3,000万円稼いだ医者なんて話を聞く、悲しい世の中になってしまいましたが。

⑤  小手先の技術ではなく、スピリット(気魂)で戦う大学日本拳法

  スピリット ①霊。霊魂。精霊。精神。②気性。気風。意気。
  広辞苑 第七版 (C)2018 株式会社岩波書店

  男子の場合、スピードやパワーばかりが目につきますが、女性には、5人の選手に見るように、
○ 戦いにおけるメリハリ
○ 戦闘状態と非戦闘状態の切り分け
○ きちっとした礼
  といった(日本)女性らしさが強く感じられます。
  
  関東の大学日本拳法2年選手と、関西の日本拳法歴10数年という人では、当然、技術的・体力的な差がありますが、日本人としての立ち居振る舞いや、女性としての品位、選手としての旺盛な闘争心は、同じ在来種純粋日本人です。
  そんな彼女たちを、そういう目で見ることのできる自分も又、同じ縄文人であると実感できる喜び。

  ○ YouTube「2017全日本学生拳法個人選手権大会 女子の部準決勝戦 岡崎VS谷」      
     https://www.youtube.com/watch?v=O7kumnslLns

○ 2018 Kempo 第31回全日本拳法女子個人決勝戦 坂本佳乃子(立命館大学)vs谷南奈実(同志社大学) https://www.youtube.com/watch?v=DI-HxBtlxxg

  ○ YouTube「2019年 第32回 日本拳法東日本大学リーグ戦(女子) 
  【明治大学永岡里沙子-学連選抜高橋】
https://www.youtube.com/watch?v=zOGwTaiEymM

  なにも彼女たちに会って、はなしをする必要はないのです。
  それは、私が森鴎外にも「安井夫人」にも会う必要がないし、また「ラジオ深夜便」のアナウンサーにも投稿された女性にも、お会いして話をする必要がないのと同じことなのです。
  鴎外の心情を察し、安井夫人(おさよさん)の気持ちに自分の心が同期できた。これこそ、心の宝物といえるでしょう。
  
  高校生の時に読んで「ふーん・・・」だった小説が、いま読み直すことで「同じ縄文人」という連帯感となって、実の家族以上に彼女に親密感・情感がわいてくる。それで充分であり、5人の大学日本拳法人においても同じことなのです。

「夏草や兵どもが夢の跡」

  芭蕉は古(いにしえ)の強者たちに自分の心を同期させることで、暑い夏の日を楽しんだではありませんか。


第5話 私が縄文人を自覚したきっかけ

  それは、2017年、60歳の誕生日をはさんだ欧州旅行に始まりました。
「トルコ航空で行くヨーロッパ5万円」という広告をネットで見たという奇遇(思いがけず出会うこと、不思議な縁でめぐりあうこと)がきっかけ。それとも、60歳になって「縄文人の自覚、縄文人の覚醒」という機運が熟した、というべきか。

○ ドイツのニュールンベルグで見た海辺の景色(白昼夢)が、その半年後に訪れた、青森の「三内丸山古墳」の景色とそっくりでしたので、「ああ、俺は昔ここに住んでいたんだ」という思いがその時、澎湃(ほうはい)として湧いてきたのです。

○ 同じくニュールンベルグで偶然見つけた「Hirosima」という名の小さな(児童)公園と、その前にそびえ立つ「旧ナチスSSの総司令部建物」を見た時のシンパシー・共感。

  私は「ナチス」という言葉に何の恐怖も嫌悪感も感じません。
  ナチスドイツという国が日本の同盟国であったということではなく、むしろゲルマン民族と縄文人という、純粋単一民族同士としての共感ではないか。それは40年前にボストンで仲良くなったアメリカンインディアン一家に対するのと同じものです。

○ 別の町で、ドイツ人(ゲルマン民族)の女の子との日独友情(ゲルマン民族は「アウシュビッツ」で虐められ、縄文人は「従軍慰安婦」で金をたかられ)。

○ 長距離バスで出会ったチリ人の女子大生に「お前を見て、すぐに日本人だとわかった」といわれたこと。

○  ロシア人との、バス車中での戦い
  プラハからヴェネツィア(ベニス)へ行く夜行バスの車中、通路をはさんだ隣の席のロシア人が、私の座席の前の背もたれ(頭の部分)に土足の足を乗せてきました。

  ヨーロッパの長距離バスは日本と異なり、車内消灯後もカーテンを閉めません、というかカーテンがない。ですから、高速道路の街路灯やら対向車のヘッドライトでかなり視野が効く。(灯りが気になる人はアイマスクを持っていった方が良い)
  車中は私の他に、このロシア人男性二人と、数席前のおばさん一人の4人きりでした。私の前も後ろもガラガラです。
  バスに乗車する時に彼を見た時、その容貌がプーチン大統領にそっくりなので少し驚きましたが、がたいも同じようにがっしりしていました。柔道のような格闘技に強いスラブ系という感じです。

  目を瞑っていた私が、目の前に置かれた物の気配を感じて横を向くと、「プーチン」はニッコリ笑って指で私に挨拶をします。彼の連れは、2つほど前の席で寝ています。
  これがロシア人のケンカの売り方なのか、と思った私は、まだ(殴り合いの)時機ではないと判断し、同じように、彼の目の前の座席に土足の足を載せました。彼の両足の上に交差するようにして足を置いたのです。
  お互いに、かなり無理のある姿勢ですが、「売られたケンカは買う」のが日本人の常道。20年前、イタリアへの新婚旅行中にナイフを持った若者たちに付け狙われた時には女連れですから、一も二もなく逃げましたが、この場合なら前へ出るしかありません。
  プーチンとの戦い、ウツラウツラしながら気がかりだったのは、数席前にいる他の乗客2名が、もしバス後方にあるトイレへ行くために通路を歩いてきた時、私の足に蹴躓(けつまず)くことでしたが、そのまま私は寝てしまいました。
  フト、目が醒めると1時間くらい経過していたのですが、プーチンは床に寝ていました。(ロシア人はわからない ?)

  早朝、バスがヴェネツィアに到着してから、「オレという男は、いい歳して、くだらないことでムキになってバカな奴だ。外国で殺されたかもしれないのに」と、思う一方で、「オレは日本人だ、露助なんか負けてたまるか」という気持ちになったことで「日本人としての自覚」をした、というわけです。

第6話 縄文人(在来種日本人)と外来種偽日本人の区別

  縄文人(在来種純粋日本人)と外来種偽日本人の区別をすることで、益々、自分が縄文人(在来種純粋日本人)であるという自覚が深まる。
  他と比較検証することで自分の存在をより明確にするという手法は、宮本武蔵が「五輪書」「風の巻」で行ったのと同じ考え方・真実へのアプローチなのです。

第7話 日本語の素晴らしさ

① ネットで見た投稿

<引用開始>
23 名前:おさかなくわえた名無しさん :2005/04/30(土) 12:09:42
ID:fhIrmXeo
  アメリカの大学に留学中、日本語の授業に出たことがあったが、黒人のおばさん教授が日本語の素晴らしさについて英語で力説してたよ。

  「漢字・ひらがな・カタカナの3種類の文字を使いこなすのはむずかしそうだが、子供などの入門者はひらがなから導入し、徐々に漢字を覚えて行く。
  漢字しか無い中国語では、入門者が文章を書くのは非常に難しいし、漢字の使用を禁止してしまった朝鮮では、イディオムや文脈をつかむのがかえって難しくなってしまった為に、優秀な文学作品は廃れてしまった。

  識字率が世界一で、なおかつ優秀な文学作品が多数ある日本は、漢字・ひらがな・カタカナを上手く使い分けることにより、入門者から上級者まで幅広く対応している」というようなことを言っていた。
<引用終わり>

② 図書館で見つけた別の文献(の一部)

<引用開始>
  ・・・ところが最近になって、「日本語は素晴らしい言葉である」と、大変ほめてくれる人たちが現われたのです。それはイギリスの原子物理学者の人びとです。

  原子物理学上のむずかしい問題を考えていくと、ある考えが浮かび出ようとするが、それが言葉になりにくい。自分の心の中ではこうだと思っても、それをどのように言ったらよいかわからない。たとえ、それを言葉として話しても、今度はそれを聞いた人がなんのことだかわからない。

  そのむずかしいところを、英語でもドイツ語でも言いにくいところを、日本語にするとスラスラ言えるし、聞いた人もすぐに理解できる。
だから、日本語は科学の研究には大変便利な言葉である。と言っております。
  この話は昭和41年11月4日の読売新聞夕刊に載っています。
<引用終わり>

2024年5月20日
V.1.1
2024年5月21日
V.2.1
2024年5月24日
V.3.1
2024年5月25日
V.4.1
平栗雅人

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