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コミュニティについて考える

どーも。まさまさでございます。
雑談の中でコミュニティについて閃いた。
めっちゃテンション上がって走って家帰ってきた。
終電の帰宅だけど頭の中にあるうちに外にだすのだ。
眠たいけど、頑張るのだよ。
と、昨日書き、今朝仕事遅刻した…なにやってんだか。
だけど楽しかったから良しとしよう。

これを書くにあたって。
・コミュニティとか言うけど、そこには人が居て、様々な人の状態がある。
・コミュニティの環境(土壌)が人を育てるんじゃないか?
・中の人がコミュニティをさらに育てるんじゃないか?
ってことを感じている。

目次
✅お見せしよう!ひらめくまでの雑談を…。
✅書いてみた。エネルギーの図を(個人の話をしている)。
✅コミュニティの力とは。

あのぉ〜。先に言う。
すごくわかりにくいんだ。
初だしだから、ぜひみんなでブラッシュアップしたいと思うんだ。
力を貸して欲しい。

ぼくはコルクラボでコミュニティについて学んでいる(つもり)。
コルクラボでの学びもたくさんあるんだけど。
今日のひらめきKeyWordはエネルギーベクトルだ。

✅お見せしよう!ひらめくまでの雑談を
ひらめくまでの話を少しさせておくれ…。
(そんなんいらんわ!の人は『*』へ飛んでくれたら良い。)

看護師さんでバーンアウトを経験した友がいる。
コミュニティの力で看護師のバーンアウトを防げないか?
そういう話をしていた。
一方「コミュニティには目的はなくないか?」という話も聞いたりする。
それはもうプロジェクトでしょうと…。
そんな狭間でコミュニティ運営などと言ってイベントを打ったりしていた。
だけど、やっぱりなんかしっくり来ないね!って言う話がありミーティングをする運びとなった。

ある男が言った。
『今後どうしていこうかね?僕、看護師を救いたいとかあんま思ってないことに気づいてしまったのよ。確かに、救いたいって思う人は居るけど、看護師っていう肩書きで括ることはできないなって。僕の好きな人の力になれたらそれだけでいいんだけど。みんなどう?』と…。
(まさまさの心の声:正直者過ぎてキラキラしてるで、ほんま。)

その問いかけに対して、ミーティングに来ているメンバーが次々と自分の意見を語り始めた。
僕は感じた。
『あぁ…これが対話ってやつか。池に石が投げ込まれて波紋が広がっていくように話が広がりを見せるな。』(対話の話はまた別で書くよ。)

ある女が言った。
『参加者はバーンアウトを防ぐっていう名目に惹かれてきてるんじゃない?同じような悩みを経験した人で構成された集団は、ある意味で安全が得られると思う。ただ、私は、安全感を得て少し元気になった時、少し居心地の悪さを感じたよ。元気になって行くことを他の人が足を引張るような…そんな気がして…。エネルギーが枯渇しているときに、ここに来るとちょっと上がる。ただ、エネルギーにあふれている時は、吸い取られるような。回復していってても引っ張られるみたいな…。だから、もっと多様であった方がいいのではないか?』と…。

僕は思った。
ほほう…。
安全が居心地を悪くする? そんなことあるのか。
元気になることで足を引っ張られる? そんなことあるのか。
と思いながら、こんな絵を書いてみた。

『*』
✅書いてみた。個人のエネルギーの図を。


基本、未熟な僕らは常々①と②を行き来しているように思う。

①そこそこ期(と名付けようか)
当たり前のようにご飯を食べ、仕事や学校に行き、そこそこ笑い、そこそこはしゃぎ、そこそこ悲しむ。
そこそこ…そこそこ…そこそこ…そこそこ。
だけど、生きてりゃいろんなことがある。

②なんなの期(僕はここ1年くらいなんなの期かと思うw)
『年下なのに、あいつめっちゃすげぇ。嫉妬するわ』
『あの人居るなら、僕必要ないやん。』
『あたしの意見、絶対イケてるのに耳も傾けてくれない。』
『〇〇なんだから、できなくても仕方ないよね。』
なんなの…なんなの…なんなの…なんなの…あたしだけ。

この状態は厄介だ。自分の存在のあり方を、価値を自分で理解できないし、自分を否定しだすからだ。
②がひどくなると、鬱々してしまうだろう。
鬱々しだすと、心だけでなく体も悲鳴をあげる。
『なんにもしたくない。』
『お風呂入るのも面倒だ。』
『仕事行きたくない。』
『眠れない。』
ない…ない…ない…ない…。
このないない期に入ると、病気だよ。

③わたしは期(いい表現が思い浮かばない)
(エネルギーレベルは①と似ているが安定している)
自分のことが理解でき始めて、穏やかに過ごせる日も増えると思う。
『おー、こんなことできるようになった(実感)。』
『なるほど、わかるわ(実感)。』
『僕ってこんなことが得意なんだよね(自覚)。』
『だけど、あんまり好きではないんだなぁ(自覚)。』
『あいつめっちゃすげーけど、僕とは違うからさ(比較しない)。』
私は…私は…私は…私は…私を主語に語ることができる。

そう。
自分のことが少しずつわかるようになってくるフェイズである。
自分のあり方がわかってくるっていうこと、心地よいあり方が。心地よくないあり方ももちろんわかる。
①と同様、そこそこかもしれない。そこそこわかって、そこそこ楽しい…そんな感じかもしれないな…と思う。
だけど、その③フェイズの「そこそこ」は①のそれとは似て非なるそこそこなのだ。
③から②に落ちることはあんまりないだろう。
なぜなら、自分と相手は違うのだ、私は私なのだ…という自覚が生まれつつあるからだ。
辛いことに出会っていろいろ考えても、結局自分に戻ってくるから、自分を理解するってことに気づかないと前には進めない気がするのだ。
だから、未熟な僕らは①と②を行ったり来たりしていると…。
ここにきて、今自分がどこに立っているのかが理解できるであろう。
現在地がわかるということ。

④私は、どこに向かおう期(いい表現が思い浮かばないver.2)
『これを一生懸命学んでみようかな(目標)。』
『あの資格を取ろうか(目標)。』
『漫画でも書いてみるか(好きかも実践)。』
『歌でも歌うか(好きかも実践)。』

スキルや機能を獲得を目指す。どうすれば、活かせるのか…と自分と社会との接点を探し始めることがついにできるのだと思う。本当の知識が活かされ知恵に昇華するには、自分自身の形を理解することが大切だ。
そのために自分と社会の接点を、心地のいい接点を探すしかないのだと思う。

最後に、
⑤私は、このために生まれてきたのだ!期(ライフワークに目覚める)
自分というものを理解した時、その自分のできること(④)・したいこと(③④)を社会にどう活かして行くのか?その方向性(ベクトル)を考える時期がくる。同じ仕事(肩書き)であっても、実際している内容は異なる。

自分を社会でどう活かすかの接点が見つかり、社会に対して、接線を引くことができるようになるだろう。
自分のエネルギー(元気玉)をどちらの方向に投げたいのかを決めることができるだろう。
ライフワークが見つかる・天命がみつかるということだろうか。

✅コミュニティの力とは。


この図を見て、思ったのだよ(ここからが本題w)
①〜⑤…これは個人の状態を指す。
これ全部コミュニティの力でなんとかなるで!
なんとかなるでぇぇ〜!!!

①〜⑤を育む。
できるだけ②に行かないよう支える。
②に落ちてしまっても、他から引き上げる力を持つ人が居る。
②で苦しんだものは③や④で心地よさを知る。
②の苦しさに出会えたことを初めて感謝できるだろう。
そして、改めてその苦しさを理解し表現できる力を持つ。
そして、方向性を試す④の状態を経て、社会との接点を見つけ、⑤へ昇華していく。

コミュニティを運営していく上で、どのタイミングでどのようなコンテンツを投入していくのか、どのような学びが人を育てるのか?また、どういう状態がいい状態なのか…。

まず、コミュニティにおいて大切な土壌がある。
安全であり、安心があること。

安全:客観的に身の回りに危険がなく、危険があったときの準備ができてい
   る状態。
安心:イメージが湧くこと・予想ができること(心理状況)。

そして、自分を知り、互いを知ろうとすること。(③)
つまり、コミュニティの初期段階では、③コンテンツは初期に投入する方がいいのではないか?
・自分を知るコンテンツ(BEの肩書きやストレングスファインダー・FFSがあたるか)。
・自分を知るための課題(コルクラボでは毎週お題をやっているね)。
・相手を知るための仕組み。 など

その互いを知るという行為はコミュニティのつながりを強くする。
そして、つながりはセーフティネットになりうる。
互いが互いを知るネットワークが蜜なほど、きめ細かいセーフティネットができあがる。
さすれば、②に落ちていく人は少ないのではないか。

自分を知って行くことで何をしたいか、何ができるのかが明確になるので④
④を社会に活かすトレーニングができるのもコミュニティの強みだろう。
アウトプット先があれば良質なインプットができる。
安全が確保された土壌があれば、思いっきりダイブできる。こけたって、ふっくらした土壌だ。
自分の体重を預けられる人、場所を確保できることの強みは計り知れない。

で、コミュニティが自走するフェイズ。
これがまわりまわって①。
そして、⑤だと思う。

まず、①
これは安定したコミュニティ…自走状態に入ったときに、自然とコンテンツが生まれる状態であろう。
部活動のようなものだ。
例えば、散歩部、茶話会部、フード部 など(なんでもいい)
別に成し遂げたいものがなくてもいいし、好きとかわからなくてもいい。自己理解がまだ進んでいなくても良い。
大切なのはやっぱりこれ。
安全安心が確保された環境で、誰かと何かを共有し、感想を述べ、感じながら楽しみながら、自分や相手を知ることができる。また、孤独じゃないことを感じることができれば、孤独も感じることになるのだから…。
孤独については、ここで書いたな。

そして⑤
上記でも述べたが、自分自身の形を知り得た状態で自分のリソースと社会との接点を見つけ接線にするもよし、奥深くまで突き進んで行くもよし。
自分のできる・したいも理解し、社会の荒波の中で輝いていくのだ。
コミュニティに所属しているという感覚なら、卒業を迎えてもいいのかもしれない。

とりあえず終わるぞ!
まとめ。


✅コミュニティとか言うけど、そこには人が居て、様々な人の状態がある。
✅その時々に合わせた、コンテンツがあり、それがコミュニティを育む。
✅コミュニティの環境(土壌)が人を育てるんじゃないか?(自分の持って生まれたエネルギーをコントロールできる)
✅中の人がコミュニティをさらに育てるんじゃないか?
✅コミュニティは人生のセーフティネットの一つになれる。

僕はコルクラボに、社会問題の根底にはコミュニティの崩壊があるのではないか?という仮設を持ってここに来ている。
今は、コミュニティのあり方が時代に追いついていないのでそれを整備することが大切なのではないか?という仮設に変わってきた。

長文だった。
ありがとう、読んでくれた人。
ありがとう。

まさまさはTwitterもやっているよ。

サポートありがとうございます。 あなたのそのお気持ちのおかげでnoteを続けてこれました。 去年は1年で120本…みなさんのおかげです。これからも誰かに届く文章をかいていきたいです。