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"ありのまま"生きることが難しい時代で

今回も読んでくださりありがとうございます。突然ですが、お知らせがあります。noteを始めてロケットスタート切りましたが、ここから不定期になります。そんなひと区切りのタイミングです。(めちゃくちゃ今回のやつ遅くなったのでもう既に不定期ですね笑)

今回は何でnoteを書いていたのか振り返りつつ、自分なりのひと区切りのメッセージを込めたいと思います。一応、連載終了ではありません。(この情報に需要はあるのか……?笑)

では、つらつらと書こうと思います。

最初は「自分の内側」という世界を手放して次に進もうとしていました。僕はこの内側の世界を隠すことで何とか外の世界に適応しようとしていたのですが、それでは何も変わらないと感じました。相当な勇気が必要でした。それでも手放すのが今の自分に必要だと強く信じました。

書いていくうちに着々と変化がありました。認知できていなかった自分が見つかったり。意外と溢れ出てくるものがいろいろあったり。このステップは自分にとって大切だと確信しました。

そんなことを感じつつも、ずっと願っていたことが1つあります。それは、同じ世界を見れる人に出会いたいということです。視座は同じである必要はないけど、"心の底で繋がっている"ような。そんな人に強く響く、心を乗せた言葉を発してきました。まだ見ぬ人、もう出会っている人を問わず。

改めて、心を乗せて湧き上がってくる言葉を綴ろうと思います。

"ありのまま"で生きることがすごく、すごく難しい時代だと感じています。みんな、無数の枷を手首にも足首にもかけられながら、自分のやりたいように生きたいという想いを口にします。「それっぽい資本主義の世界」です。

そうした枷を1つずつ外した先ではそんな言葉を口にするはずがありません。だって、枷があるから「好きなように生きたい」という"正解に見える虚像"を追いかけてしまう。「好きなように、やりたいように」というのは何かに縛られない限り出てこない言葉です。

仕事でやり方を指定された時、親に進路について口出しされた時などをイメージしてもらえばわかりやすいかなと思います。この時「口を出さないで欲しい」とか「やりたいようにやらせて欲しい」という言葉を発するのはそういうことに他ならないのではないでしょうか。

そもそも、可能性は最大化するものではなく解放するものだと思います。枷がある中での足掻き方ではなく枷の取り方こそ大切だと思います。(最大化=世の中に最大"効率"で当てはめていくニュアンスとした場合に)

例えば自己実現とかやりがいとかモチベーションとか、そういった薄っぺらい言葉に流されてしまう。当てはめられた世界での最大パフォーマンスに過ぎないのに。

枷を1つずつ外した先に残る光り輝くものを信じています。何かを諦めたり、何かに惑わされたり、何かを信じられなくなったりして人には枷が増えていくけれど。

枷は増えていくけれど、枷を取ろうとする人と枷を引きずりながら生きていく人は違う。枷を取ろうとする人にこそ、きっと何か響くものがあると信じています。枷を引きずってもがいてる人も、これを機に気づいて欲しい。取ればいいだけなんだと。

それでもみんなが引きずってもがいているから、それを受け入れているから、取っていいのかわからずにいる。取っていいものだと気づいて欲しい。

枷を取って、覆っているものを1つずつ剥がせば見えてくるものたちがあると思います。答えは人それぞれで、綺麗事も多いのかもしれない。それでも、そこまでしてやっと心の底から生きられると思います。"心の赴くまま"に。

結論もメッセージ性も欠ける文章だなと思います。自分も答えを探している段階で迷い続けています。ただ、何か感じるものがある人からのコメントやらリプライやらDMやら、何かしらのコンタクトがあったらそれだけで書いた意味があるなと思います。きっとその"繋がり"こそ、自分の世界を外に出すことの全てです。

自分の内側にあるこの視座は何なんだろうと思いつつ書いてます。次回のnoteは多くの人にとって刺激的なものになる、そんな予感と共に筆を置こうと思います。

巡り巡ってサポートしてくださったあなたへ何か還せるように生きていきます。よろしくお願いします!