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答えのない問いの中で、ずっと答えを探している

まずは、この文章を見てくださりありがとうございます。超内向型人間が、共鳴してくれる誰かと他ならぬ自分に向けて書いている、そんなnoteです。自分の内側にある世界を初めて外に出しているので、拙い言葉になりますが等身大でありたいと思います。

まずは、簡単な自己紹介から。プロフィールに基本情報は載せてありますが、現在は"全てを手放して自分を空っぽにしようとしてる"人間です。そうしないと次に進めない自覚はありつつも、何もかも手放す怖さとの狭間で日々揺れています。

早速訳のわからぬ世界観を出してしまったのですが、多分ずっとこんな感じですね(笑)。何か感じるものがあった方はこのまま続きを読んでくださると嬉しいです。

突然ですが、みなさんは「何のために生まれてきたのか」という問いかけに対してどのような答えを持っていますか?

僕は記憶の限りでは5歳から自問自答してました。あくまでも、早ければいいものでもなければ考えてるから偉いものでもないという前提です。ただ、子供にはあまりにも重たい問いでした。

僕はこの問いに対して"目を背ける"という態度を中学生あたりからとりはじめました。幼いながらに考えても考えても、出てくる答えは「無い」というもので、その事実から目を背けることで何とか心を保っていました。

しかし、その代償は大きかったです。僕は「無い」という答えから逃げたにすぎず、自分で創り出すことあるいは「無い」という答えに心から腹落ちすることを怠ってしまいました。

その結果、何かに心動くことが全然なくなりました。生きる意味が見い出せない以上、日々はモノクロで、ましてや記憶にはほとんど残っていません。出会った人の顔と名前はすぐ覚えて忘れないのに、起きた事象のほとんど全てが欠落してしまっています。

確かに楽しかったはずの出来事も、確かに辛かった出来事も、「何が楽しかったっけ、何が辛かったっけ」というようなものになりました。この事実そのものは様々な意味を持っていると思いますが。

いろいろあって大学生になり、自分の人生を振り返って底知れぬ虚無感に襲われました。「こんな人生でいいのか」そんな感情が渦巻きました。

何か打ち込んでみようと思って過ごした大学生活、自分なりに頑張ってみたもののここにも答えはありませんでした。同時に、自分の世界を外とリンクさせることは難しく、「自分に素直に生きるには、世の中は少し窮屈だな」と思いました。(プラスもマイナスもたくさん放出したと思うので、マイナスを受け取った方にはこの場を借りて謝罪します。)

最近、ふと思うことがあります。「これだけ自分の中に見つからないものを探す必要があるのか」と。でも、見つからなくて生きられるような強い自分はまだいません。

きっとまたすぐに考え方は変わるでしょう。でも今は、"自分の中にないなら、誰かと創り出せたらいいな"という気持ちでいます。(自分で見つけたい気持ちも、そんなものないんじゃないかという気持ちも抱えていますが。笑)

目を背けてきたこの問いにもう一度向き合う時が来たこと、それだけは直感として持っています。人生3年くらい休んで向き合いたいものですが、とりあえずゆっくりしようかなと思っています。

第1回ということで、まばらにまとまりなく書いてしまった感が否めませんが、整えるのも違うなと思うのでこのままにしておきます。

この迷いの森から抜け出した先に何があるのか、誰がいるのか、どんな景色が広がっているのか。そんな願いを胸に、しばらく生きてみようと思います。

巡り巡ってサポートしてくださったあなたへ何か還せるように生きていきます。よろしくお願いします!