彼は光の中の埃を見ていた

 後ろの上の窓から丸い光が前のスクリーンに当たっている。光の中の埃はじっとそこにいた。
 彼の生まれた町には映画館がなかった。高校受験に失敗した彼は、中学を卒業したあと地方都市の鉄工所に就職した。人付き合いのできない彼は何の楽しみもなく、たまに暇潰しに映画を観る以外は、会社の社長が保証人になってくれたアパートの部屋にただぼうっと座っていた。
 埃からスクリーンに目を移すと、内藤洋子が洗濯機に付いているローラーを回して、洗った服の水を絞っていた。

 彼の前に光が差してきた。工場は明かりを取るために、壁の高いところにも窓が並んでいた。そこから日の光が入ってきたのだ。
窓を見あげると日の光の中に工場の埃が浮いていた。
 彼は突然、中学生のときの光景を見た。家で部屋の畳に寝っ転がって光の中の埃を見ていた。そこへ母親が来て「何もできない奴だ、寝っ転がっているだけで」と言った。父親にいつも言われていた。「何もできない、どうしようもない奴だ」と。
 彼は思った、受験に失敗して良かったと。高校に行けず、就職先を探して家を離れることができた。落ちて良かった。
 二年が過ぎた。彼は事務所で頭を下げながら、西日を浴びた埃を見ていた。ブラインドが一ヶ所壊れて開いていて、弱い光の中に埃が浮いていた。
彼は今日大きな失敗をした。機械に数値を反対に入れて切断してしまい、材料を無駄にしてしまったのだ。
「お前はほんとに、何もできない、使えない奴だ」と、久しぶりに何もできないと言われていた。
 このところずっと給料が半分だった。給料袋のなかの明細書は満額だったが、中身の現金はいつも丁度半分しか入っていなかった。いつも残りは後で渡すと言われていたが、渡されることはなかった。やる気を失い仕事に集中できなかった。
 もうこの鉄工所は潰れるだろう。この先どうしたらいいだろうと思いながら、ただ頭を下げて、横目で光の中の埃を見ていた。今度は暖かい地方へ行こうと思いながら。

 彼は目の前の光の中の埃を見ていた。光の中の埃はじっとそこにいた。夜が明けて船の底の倉庫にも日が差してきたのだ。
 彼の工場は潰れ、職を探しにこの港町にやって来た。
今はウォッチマンのアルバイトをして食い繋いでいる。
 この港町には弁当屋があり、朝早くから店を開けていた。彼はアルバイトが終わるとその弁当を買い、アパートに帰る始発電車で弁当を食う。他に客などめったにいない。いても弁当を食っているのを気にする人はいない。
 彼は朝の弁当が好きだった。他の人から見れば哀れな男なんだろうが、彼は幸せだった。

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