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思いをのせる煙
感謝の心をもっていたら
「墓掃除なんて行かなくてもいいんじゃね!?」
「仏壇、神棚を家に置く必要ないんじゃね!?」
「そもそも線香なんていらないんじゃね!?」
お盆前ということで、今日はこのようなことを考えてみました。
思いをのせる煙
お盆が近づくと、私たち日本人は自然とご先祖様のことを思い出します。
おじぃちゃんやおばぁちゃん、おじさん、おばさん、お父さん、お母さん、
いとこのおにぃちゃん、おねぇちゃんなどのご縁のある方々を、
お盆になると、線香を焚き、仏壇に向かって手を合わせる習慣が多くの家庭で見られます。
しかし、ふと考えてみると、「線香は本当に必要なのか?」という疑問が浮かぶこともあるかもしれません。
「感謝の心さえあれば、形や儀式にこだわる必要はないのではないか」と。
そんなことを言ってたら、感謝の心を持っているなら「ありがとう」と言わなくても良いという理屈も成り立ちます。
あるいは、「好きだ」「愛している」と思っていれば、それを口に出さなくても良いという考え方もできるでしょう。
しかし、言葉や行動を通じて思いを伝えなければ、それは永遠に相手に伝わることはありません。
同じように、線香を立てて「感謝の気持ち」を捧げなければ、
ご先祖さまやご縁のある方々に感謝の気持ちが伝わることはありません。
線香の煙に「感謝の思い」をのせることで、ご先祖様にその思いが届くのです。
私は、焼き鳥を焼きながらいつも換気扇から立ち上る煙を見ています。
その大量の煙が外に出ていく様子を見ながら、心の中で「いつもありがとうございます」と
ご先祖様や近所の方々、お店の前を通る方々に感謝の気持ちを伝えています。
「線香の煙」というものは、物理的な形を持たないものですが、そこに「私の思い」をのせているのです。
まるでその煙が、ご先祖様のもとへと届いているかのように感じる瞬間が不思議とあります。
時折、近所の自転車屋さんから
「わざとこっちに煙を撒いているだろう?」
と冗談交じりに言われることがあります。
「あんな美味しそうな匂いがきたら、焼き鳥食いたくなるだろ、あの匂いは罪だぞ」とも。
この「焼き鳥の煙」もまた、私の気持ちをのせているんですよね。
焼き鳥を焼くとき、その煙にはいつも感謝の気持ちが込められています。
お客様に対して、家族に対して、そしてご先祖様に対して。
「薩摩炭火やきとり 居酒屋つかさ」は、たくさんのお客様に支えられ、そして多くの方々の努力や思いが積み重なって今があります。
その感謝の気持ちを、私は焼き鳥を焼くことで表現してるんですよね。
このように、私たちの思いや感謝の気持ちは、必ずしも言葉にする必要はありませんが、それを形にすることで、より深く相手に伝わるものです。
線香を焚くという行為は、ただの儀式ではありません。
そこに私たちの「思いを込める」ことが大切なのです。
線香の煙にのせた思いが、ご先祖様に届くように、私たちの日常の中での小さな行為もまた、周りの人々に届くのです。
たとえば、朝の挨拶や、道ですれ違った時の軽い笑顔、ありがとうという言葉のひとつひとつ。
それらがすべて、私たちの思いを伝える手段です。
時には、言葉に出さずとも、行動や態度を通じて相手に伝わるものがあります。
それは、焼き鳥を焼きながら思いを込めた煙が、近所の人たちに伝わるように。
結局のところ、「思いをのせる」ということは、私たちが日々の中で感じている感謝や愛情を、何らかの形で表現することなのです。
線香の煙がご先祖様に届くように、私たちの思いもまた、さまざまな形で周りの人々に届いているのです。
これからも、感謝の心を忘れずに、日常の中で思いをのせることを大切にしていきたいと思います。
今日も今日とて、焼き鳥です。
いつもありがとうございます。
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