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ライブストリーミング

たまたま入院していて、中洲ジャズのライブ配信を病室から観ている。

コロナでイベント自体が無くなり、LIVE配信で場所を問わずに楽しんでもらうという取り組みは、いまや世界的に行われていて、VRなどの技術革新も凄まじく、エンターテインメントとしての新たな世界を広げていくだろうと、これから楽しみにしている分野の一つ。

ただ今回は、コロナで集まれないから家で観てるんじゃなくて、病室の中で観ている。

それもコロナの影響で、お見舞い禁止&外出禁止という、隔離された空間で。

たまたまが重なって、貴重な経験ができた。

病院にアートを、とか、芸術文化をという気持ちが初めて分かった。

僕が
音楽が好きで、
LIVEが好きで、
集まるのが一番好きで、
という人間だからかもしれないが

例えば怪我をしたり病気をしたり痛みがあったり落ち込んでいたり気が滅入っていたりして

自分が動けない時にだ。

誰かと、
いつも遊んでる友人と、
同じ音楽を聴いている家族と、
もしくは
会ったこともない趣味が同じ誰かと
LIVEが好きな誰かと

同じ時間を過ごしているってことは凄いことだ。

これは、コロナの影響でライブが無いから家で聴いてる、という状況では分からないことかもしれない。

たまたま、入院して隔離されて病室でという状況でこそ、この凄さが分かった。

同じ時間に同じ音楽を聴くことでは無いのだ。
今からこのCD聴こうよって言っても少し違う。

なぜか広がっていく感じがするのだ。
なぜか集まっている感じがするのだ。

物理的にはソーシャルディスタンスしまくっているのに、なぜか心細くない感じ。

ステージの前での高揚感はもちろん無いけれど
なぜか安心感があるのだ。

確実に、同じ時間を過ごしている安心感。

これは、
この分野まだまだ行くぞ。突き抜ける。
コロナがきっかけになっただけだ。

技術が進歩したタイミングでコロナになったのだ。
コロナになったから進歩したのか?
進歩したからコロナが起こったのか?

時代はイタチごっこで動いて進んでいくのか。

なんにせよ人類は今、
前人未到の最先端をいっていることだ。

誰も見たことない未来をつくっていっている最中で、その一番先っぽにいるのだ。

どんな技術や思想がくだらないとか言っている場合では無い。

これからの全てが未知数であることを理解して、自分の豊かさを再定義、構築していくことが重要だ。





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