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空気の研究 No.1〜「空気」の存在が嫌なのにその形成に加担している

よく抑圧的な文脈で語られる空気の存在。「何か言える空気ではなかった」「同調圧力を感じさせる空気があった」という使われ方をします。最近ではネガティブな存在として語られることが多いように感じますが、ポジティブに働くことも存在します。例えば危機的な状況に遭遇するとこの空気の存在はポジティブに働くと言われています。一致団結して協調性を発揮することを厭わないからです。

この記事ではネガティブな存在として語られる空気についてです。僕は最近この「空気」は実は虚構なのではないかと思います。それについて論じてみたいと思います。

自分は「空気」の形成に加担しているのか

「空気」とは、自分がある集団に所属しているときにその集団が持っている意思や総意のようなものだと理解しています。例えばあなたが所属している中学校のクラスで修学旅行の行き先を決めようとしているとき。議論が始まったときはまだ意見が言えるものの、もう議論が収束しようとしているときに「やっぱりハワイが良いのに…」と思っていたとしてもなかなか言いにくい。何も気にせずに言える人を見かけると羨ましくもなってしまう。これが空気の一例だと思います。

さて、ここであなたはその空気の形成に加担しているのか。僕の考えではあなたもその空気の形成に加担していると思います。なぜならあなたは「議論が収束しようとしていて結論が出ようとしているときにあなたの意見を言って議論を巻き戻してはならない」という考えを持っている。あなたとしては周囲がそのように思っているだろうからあなたは言わないわけですが、実は他にも同じように言いたい人がいたらどうでしょうか。そのほかの人にとっては、あなたも「議論が収束しようとしていて結論が出ようとしているときにその人は意見を言って議論を巻き戻してはならない」と思っているように映ります。あなたが積極的に空気を形成しようと思っていようがなかろうか、形成することに加担していると考えます。補足しますが、あなたがその空気の形成に加担していることを責めていませんし、その空気が形成される前にあなたの意見を主張できないことも責めていません。自分も同じように行動したことがあります。ここでは僕の仮説を述べているだけです。

空気とは集団に所属している人の部分が形成するもの

誰しもが空気の形成に加担しているとすると、その集団に所属している人の部分もしくは全部から形成された考えが空気になると考えます。

空気の形成

例えば、この空気は自分が脱しようとすればその空気を入れ替えることができます。先ほどの例で言うと、「議論が収束しようとしていて結論が出ようとしているときにあなたの意見を言って議論を巻き戻してはならない」という考えから「議論が収束しようとしていても、自分が違和感を持っているなら意見を言っても良い」と思考転換して意見を言うとします。そうするとこの空気から自分が離れることになり、いわば空気の入れ替えが起こる可能性が生まれます。つまりその空気が持続するのも入れ替わるのも、自分を含めてその集団に所属している人次第になります。これが、強力なリーダーや意見を言える人を求めたり、そういう人を羨ましがる所以かと思います。無意識に、その空気を持続させているのも自分が加担していて、また自分がその空気を入れ替えることも可能といえば可能です。ただ難しいのはそれでも空気の入れ替えが起こらなかったときに自分が村八分になり攻撃されるリスクがあります。このリスクを避けるために行動を起こさず、結果としてその空気を形成するのに加担しています。あなたはその空気を脱したいが、脱したら攻撃させる可能性があるのでやめておく結果、その空気をさらに強くさせているというジレンマがありそうです。

現代でこの空気が抑圧的と捉えられるのはなぜか

現代ではそれぞれの人が自分の考えを表現することがより簡単になっています。インターネットやSNSの登場です。ブログでもSNSでも、匿名で自分の意見を発することがインスタントにできるようになりました。またその意見を探したり触れたりすることも簡単になりました。さらに言えば、そういった意見だけに触れることも簡単になりました。サービスによってはそういった意見だけが表示されるようになることもあります。こうしてフィルターバブルがかかるようにもなります。

自分と同じ意見を持つ人をインターネットやSNSで見かけると、社会の中には自分と同じ意見を持つ人が確かにいるのに、なぜ自分が所属しているある集団ではなぜ自分の意見を能動的に聴いてくれる土壌がないのだろうと考えるようになるのではないでしょうか。もしかすると、自分が意見を言わなくたって自分が違和感を持たない状況になることを望んでいるのではないでしょうか。なぜなら確かに自分に共鳴してくれる人の存在を社会の中では感じているからです。社会の中では自分が勇気を出さなくたって自分と同じ意見を持っている人で空気を形成できる場があるように感じているのに、自分が所属している集団では自分が勇気を出さないとその空気を入れ替えられない。もちろん多くの場合は攻撃されるリスクを乗り越えて勇気を出すことが難しいのでその空気に迎合しなければならない。それを抑圧的だと感じている。つまり、「意見を言うことは難しい」「空気を入れ替えることは難しい」という同じ考えで空気を形成しているし、その空気の形成に加担しているということです。

ポジティブな空気と抑圧的な空気を持つ状態


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