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我々は数字の奴隷から脱却できるか(前編)のサマリ

超相対性理論の「我々は数字の奴隷から脱却できるのか(前編)」をようやくしました。僕なりの誤読も添えて。

Well Beingに数字は必要なのか

1956年にアメリカで行われた調査だと30%くらいの人が幸せだと言っている。90’でもこの数字はほとんど変わらない。この結果に対して貨幣の価値収入を当てはめてみると明らかに向上しているのに結果は変わらない。年収という数字「だけ」だと幸福度に寄与しないということだ。もちろん年収が向上することによって数字ではない何かを得られて幸福になっていることはあるかもしれない。

石川義樹さんによればWell Beingとは調和。数字も大事が、数字ではないものとのバランスが取れていることが必要なのだろう。

トリプルボトムラインの3つのP

Profit, Planet, Peopleの3つのPのうち、Profitにばかり目が行ってしまう。逆にPlanet, Peopleになかなか目がいかない。Profitは測定が簡単だから測ろうとするし、それ以外は測ることが難しいから測らない。Profitは測るからそれに対して投資行動するし、それ以外は測らないから投資行動も発生しない。

測りやすさだけでポピュリズムが発生していそうだ

統計的超自我 vs 本来の超自我

簡単に測れるから測るものばかり蔓延して、それによって社会が構築されていくと、松本卓也さんが提唱している統計的超自我に陥りそうだ。AIが超自我を作ってしまう。

超自我は自分の内なる声が発する美徳だったはず

サピエンス全史で有名なハラリ氏は身体性が重要だと述べている。自分の内なる声に耳を傾けろということ。ハラリ氏は毎日ヨガを2時間してそれを実践しているそうだ。

コミュニケーションにも通じるところがある。今リモートワークが普及しているが、Zoomの向こう側では実は相手がiPhoneを操作しながら参加していても気づかない。リアルなミーティングであれば強制的に参加者は集中する。それによって生まれる何かもあるはずだ。リモートワークによる恩恵を否定しているのでは決してない。むしろ僕はこの恩恵を受けている。ここで言いたいのは、そうは言っても人間の身体性がもたらす何かもあるので、その調和をどのように求めるのかという話だ。どちらが良い悪いではない。

儀式にも言える。コテンラジオでも儀式は言及されていた。人間が共通認識を作る上で儀式というツールはとても効果を発揮する。身体性の派生だ。

脳科学の分野では内受容感覚という言葉があるらしい。マインドフルネスでも語られるが、自分の内臓が発している声に耳を傾け、それを理解できるようになって脳と内臓が同期すると心身健やかになれるというものだ。これも身体性の派生だ。

コントロール社会を目の前にして

Quartzの日本語版で、昨今アメリカではマインドフルネスに投資されているという話から、人間の心身まで数値化され、デジタル化され、コントロールされるのではないかという話があったそうだ。これが良い悪いではないし、Google検索だってすでに検索者の嗜好に合わせて最適化されているのである程度コントロールされている。数値化されたものによってコントロールされる状態が、現代のOSなのかもしれない。

簡単に測れるものだけ測る -> ポピュリズム

簡単に測れるものだけ測ることによってポピュリズムに繋がっていそうだ。超相対性理論でも語られているが、民主主義とは啓蒙主義の系譜の上に成り立っていて、人間の純粋な理性に対する信頼に立脚している。つまり、人間は皆よく勉強し、よく考え、その理性によってそれぞれが判断できるというものだ。簡単さに引きずられることなく、測ることが難しくても人間の美徳や哲学に基づいて皆が考えることが民主主義の必要条件だとすれば、現代で本来の民主主義をどうやって駆動させられるのか。

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