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政府がダメなのはその通りだが、国民も賢くならねばならない時が来たと思う。なぜなら・・・・

はじめまして、本多眞孝と申します。一昨年、長年勤めていた広告代理店を辞め、独立して広告関連の会社を立ち上げました。よろしくお願いいたします。

さて、記念すべきnote最初の投稿ですが、新型コロナに関して私が感じていることを述べたいと思います。

新型コロナウィルスが蔓延してもうすぐ1年が経とうとしており、日々の生活が大きく変わってしまった人ばかりなのではないでしょうか?そんな大変な日々を送っている中、政府の対応について皆さんはどうお考えでしょうか?頼りない?信頼できない?後手後手?そんなネガティブな意見ばかりが聞こえてきそうですね。確かに政府の政策はチグハグに見えますし、的を射ていないようなことが多いですよね。しかし本当に無能なのでしょうか?確かに無責任であることは間違いない気がします。それはコロナを封じ込める正解が誰にもわからない状況の中、中国のように国が私権を強烈に制限し強制的に封じ込めることができない日本において、新たな政策を実施して失敗した際に責任を取ることを恐れて二の足を踏んでいるからなのではないかと思っています。小池知事と国とのやり取りを見れば責任のなすりつけ合いは一目瞭然ですよね。というわけで無責任であることは理解いただけると思うのですが、はたして無能かどうか?という点についてですが、もしかしたら無能に見せかけて恐ろしいほど有能なのではないかと思ったりしています。

ここからはフリーメーソンの陰謀みたいな、少し突飛な意見になるので、話半分の冗談くらいに思って読んでいただきたいのですが、コロナの蔓延によって大きな被害を受けるのは誰で、それによってメリットがあるのは誰なのか?という話です。

重症化しやすく、死亡リスクが高いのは、高齢者と基礎疾患のある方ですよね。もちろん例外的に健康な若者にもリスクはあるのですが、概ね高齢者と基礎疾患のある方たちが一番危ないわけで、この人達は国にとって、年金問題や医療費負担の問題、少子高齢化といった問題の当事者だったりするわけです。医療崩壊が危惧される中、命の選別を行わなくてはならない事態がもうすぐ来る。あるいはもう来ているのだとしたら。。。。こういった人たちの命はどうなるでしょう。そしてそれが欧米のように何十万人という単位になったとしたら。政府は「大変悲しい事態になってしまった。犠牲になった方々に哀悼の意を表します。」とでも言うでしょう。でも心の中ではどう思っているのか?もしかしたらシメシメなんて思ってたりしないでしょうか?無能を装ったコミュニケーションで我々を欺くという恐ろしく有能な戦略を実行しているのかもしれないとは思いませんか?

まぁ、ここまで疑心暗鬼になって疑って見るのは邪推にすぎるとは思いますし、皮肉がすぎるとも思いますが、国民をバカにしている政府なのですから、そんなこともあるかもしれないですよね。

さて、政府は国民をバカにしていると言いましたが、我々はなぜバカにされなければならないのでしょうか?それについて触れていきたいと思います。

まず、TVを中心としたマスコミの恐ろしく偏った情報の発信と無責任な報道姿勢が国民の思考を停止させ、先導している状況が極めてマズイと思うのです。私は長年、広告代理店に務めていたので、この業界を悪く言いたくはないのですが、今の報道コンテンツはひどいと言わざるを得ないと思っています。いや、今のというよりも昔から作り方が変わっていないことが、最大の悪だと思うのです。国民すべてが情報発信ができる時代になって、価値観が多様化しているにも関わらず、大手メディアは相変わらず都合よく情報を切り取って一方的に投げつけている状況に国民は気がつくべきであると思うのです。

例えば昨年4月に中小企業や飲食店などを救う手立てとして、政府から様々な給付金や助成金が出されました。しかし報道は申請の仕方が複雑で難しすぎるとか、給付が遅すぎるとかネガティブな報道ばかり。私も会社を運営しているので、給付金の申請などに苦労しましたが、そんなネガティブな街のんおっさんたちの声をたくさん聞かされてもイライラが募るばかりでした。そんな声ばかり流すのではなく、どんな助成金があって、実際にどうやって申請したらいいのかといった具体的な情報をコンテンツ化してくれたほうが遥かに社会的意義があったように思うのです。しかし、そんなメディアはありませんでした。もちろん、そんなコンテンツ視聴率が取れないだろと言われると思います。だったら、ド深夜でもいいじゃないですか。なんならWebコンテンツでもいいじゃないですか。テレビの報道は複雑なことをわかりやすく解説するプロなんですから、こういったことをコンテンツ化するのは大得意だったはずです。苦労している人たちがたくさんいると声高に騒ぎ立てはするが、そういった人たちの手助けができる能力があっても、それは一切やらない。あくまでもネガティブな印象だけを撒き散らし、国民はネガティブな思いだけを共有させられたのです。

そしてGoToトラベルに関しては早く中止しろと言わんばかりの報道をしておきながら、いざ中止が決定した途端、旅行関連で働く人達の嘆きを報道し、あたかも、なんでGoToを中止にしたんだ、と言わんばかりの論調に変化するという状況。。。。もちろんメディアは様々な意見を平等に扱わなくてはならないという大前提があるので、こういったことも起きるのでしょうが、この一連の流れで報道に接する国民は「GoToやめろ!」のシュプレヒコールをあげてしまったものの、それによって被害者も生まれていて、しかしそれは必要な犠牲だったのだと自分を納得させつつ、遅きに失した政治のせいにする。という構図にまんまと載せられてしまっていると思うのです。そして今度は二度めの緊急事態宣言が発令され、飲食店が同じ憂き目にあってしまうのです。

こうした無自覚にマスコミによって先導された国民は、政府が悪いのだから仕方がないと言ってさえいれば、自身が旅行業社や飲食店を潰してしまっていることの責任から逃れられると思ってしまっている。そして、そんな無責任な国民の姿を見て、役人たちはこう思っているはずです。「自分に明確な意見が無いくせにマスコミに煽られて賛成とか反対を言う輩に比べれば、我々は100倍も様々な影響を考えてプランしている」と。もちろん政府に大きな責任はあるけれど、僕たち自身の手で旅行業者や飲食店の人たちの首を締めていることにもう少し自覚を持って賛成、反対を表明すべきなのだと思うのです。

さて、ここまで読んでいただければお気づきだと思うのですが、私はGoToの中止も、政府がやろうとしている二度目の緊急事態宣言の発令も反対です。立場を明確にしたほうが、私の言いたいことが伝わりやすいと思ったので、一応述べさせていただきました。

ではなぜ反対かと言うと、GoToに関しては、そもそも新型コロナウィルスは飛沫による感染なわけですから、大人数での旅行や旅先での大人数の会食をしなければ問題が無いという認識でいます。つまりは一律に中止ではなく、一人旅や少人数あるいは同居世帯単位での旅行はOKにするなど限定条件を設けることで継続が可能だったのではないかと思うのです。そうすると確認が面倒だとか、証明ができない、あるいは旅先での行動の監視ができないという声が上がると思います。確かに一律でない事による弊害は起こりますが、限定条件を破ってまで自分本位に行動する人間は私権を強烈に制限しないかぎり、GoToに限らずいろんな場面でルールを逸脱してしまうのではないでしょうか?そして幸いにも日本にはそういった人間が少ないからこそ、今はまだ欧米ほどの爆発的な感染に至っていないのではないかと思うのです。

そして、二度目の緊急事態宣言についてですが、これは全くお話にならない。一度目の緊急事態宣言では多くの業種が制限され、自主的に休業する店鋪も多かったうえ、1ヶ月半にも及んだにもかかわらず完全な封じ込めはできませんでした。そして今は、一日の感染者数が、あのときの7倍近い数に上っているのに、飲食店の時短要請だけで済まそうと考えている。これで何を期待しているのでしょうか?高止まり?横ばい?その程度の為に僕らは飲食店に犠牲を強いなければならないの?と思ってしまいます。やるならイギリスのように強烈なロックダウン、国民すべてを外出禁止にして、1ヶ月の間で本当に根絶させるぐらいのことをしなければ意味は無いと思っています。もちろん、今の日本の法律ではそのような私権の制限ができないことは理解していますし、このような事態を想定して、特措法の改正を行わなかった自民党が悪いとも思います。ただし、一方で私権を制限される恐ろしさということも大いに議論が必要な事柄であると思うのです。

GoTo中止にも反対、緊急事態宣言も中途半端なものなら出す意味がない、でも強烈なロックダウンも無理。だったら、お前はどうすべきだと思うんだ?そんな声が聞こえてきそうですね。

どうすべきか、と言うよりどうしなければいけないかと言う話になるのですが、その前にこれだけは明確に非難しておかなければいけないと思うのは、第一波の後、医療体制の拡充をしっかり行わなかった政治と行政の怠慢は、どれだけ責めても責めきれないほどの大罪を犯したということです。このことについては多くの人が指摘しているとおりなので詳しくは述べませんが、この事によって、直接的なコロナだけではなく、2次的3次的に多くの人の命が脅かされることになっていると私は考えています。

さて、では今後、我々はどうしなければならないかという話ですが、新型コロナウィルスの恐ろしいところは、生物学的に役割を終えた弱者(あくまでも生物学的にですよ。社会的にではない)を中心に蝕み、若者は無症状でキャリアとして蔓延させる役割を担っている点です。この点に何か地球の大いなる意思を私は感じてしまうのですが、なんだか宗教っぽくなってしまうのでそれはさておき、このような特徴を持ったコロナウィルスなので、例えワクチンができたとしても、これを根絶することはもはや不可能であると思うのです。つまりインフルエンザ同様にこのウィルスとこれから付き合っていくことを前提にした社会の構築が不可欠であると考えています。新型コロナと共存する道です。

しかし、新型コロナはインフルエンザよりも感染力が強く重症化リスクも高い病気なのにどうやって共存するのか?ということなのですが、もう皆さん薄々気がついていると思うのですが、命の選別をしなければならない時が来たということだと思うのです。先程「命の選別を行わなくてはならない事態がもうすぐ来る。あるいはもう来ているのだとしたら」と述べましたが、僕は広い意味ではもう既に命の選択がなされていると思っています。皆さん、思い浮かべてください、あなたが通っていて贔屓にしている飲食店の店長の顔を。その笑顔の店長の首をあなた自身の手で締めようとしているのです。自分たちが助かる為という名目のもと、「決して死なないで耐えてくださいね」と言いながら。これが命の選別でなくて、何なのでしょうか?もう僕たちは知らず識らずのうちに命の選別を始めているのです。だとしたら、知らず識らずのうちにではなく、明確な意思を持って選別すべきだと思うのです。僕だってすべての人の命が大切だし、すべての人が安心して暮らせる世の中を望んでいます。経済より命が大切、そう思っています。でも経済によって失われる命や失われる未来もある。もはや全てを救えないのだとしたら、何を選択するのか?そのことを真剣に考える段階に来ていると思うのです。

政府の方針がはっきりしない、後手後手になっている、様々な批判についてそれらは間違っていないと思います。しかし、もうそんなこと言っても仕方がないし、政府に期待してもダメだということは学んだと思うのです。だから我々国民がもっと賢くならなければならないと思うし、賢くなった上で自分の意見をしっかりもつべきだと考えています。その為にはあらゆる状況をテーブルの上に載せ、それらが今後どういった影響を及ぼすのかを真剣に議論すべきではないでしょうか?

ところで、皆さんはコロナで亡くなった方の平均年齢をご存知ですか?毎日の感染者数はTVで報道されるのでよく知っていると思うのですが、死亡者の平均年齢ってあまり知られてないですよね。私も軽くネットで調べた程度なので、はっきりしたことは言えないですが、厚労省の発表ではそれに該当するデータを見つけられませんでした。(年代別の死亡する割合は出しているのですが。。。)ただし7/31に東京都が新型コロナで亡くなった人の平均年齢を発表しており、それによると6月末までに新型コロナに感染して死亡した325人の平均年齢は79.3歳とのことでした。少し古いデータなので、今とは若干異なるのかもしれませんが、かなりの高齢者であることは間違いありません。また若年層の致死性はインフルエンザより低いとされるデータもあると言われているようです。

一方で警察庁のデータによると、昨年10月と11月の自殺者は、それぞれ約2200人、1800人。で、10月の自殺者にいたっては、前年同月比で男性が約22%増。女性は約83%増とのことでした。また、厚生労働省の調べによると新型コロナウイルスの影響で仕事を失った人が、見込みも含めて全国で7万人を超えており、実際はもっと多くの人が職を失っていると思われます。そしてその7割近くの約5万人が女性であるとのデータもあるのです。このように自殺者と失業者を並列で並べることで、因果関係があるかのように記述して誤解を招く表現だと指摘される方もいるかもしれませんが、全てが全て因果関係があるとは言いませんが、過去を紐解いても失業率と自殺者数に相関関係があることは事実のようです。

人の命が一番大切であるという観点に立ったとき、上記のような人の命に関わる代表的なデータをテーブルに載せてみました。もっと違うデータを載せるべきであるとお考えの方はそれを教えてもらえるとありがたいのですが、とりあえず、このデータを見る限り、どちらかを選ばなければならないとするならば、僕は後者の失業者が増えないよう、そして自殺者が増えないようにする方策を取ることを選択します。そして医療崩壊を防ぐため、トリアージを行うことを選択します。みなさんはどうでしょうか?両方選ぶのは無しですよ。マスメディアは都合よく「感染防止対策」か「経済の優先」か、といった論調で問いかけて、どっちを選んでも。。。。難しい問題だ!!と言って国民を惑わせているけれど、実はどっちも命の問題だということです。そしてそれを選ぶ時がもう来ている。もっと言えば自覚のないまま、前者を救う選択をしてしまっているということです。意思を持って前者を選択するならいいのですが、無自覚に選択してしまっていることが危険だと思うのです。

ここで例え話を一つ。あたなのお父様はかなり高齢だとします。そしてコロナにかかってしまいました。しかし運良く入院することができて数週間後に全快し退院しました。一方であなたのお子さんも同時にインフルエンザに掛かり肺炎になってしまいました。しかしコロナの影響で病院に入院できずに亡くなってしまいました。その時あなたの気持ちはどうでしょうか?そして助かったあなたのお父様の気持ちは?もっと言うとこのお父様は3年後にコロナとは全く関係なく平均寿命を超えて天寿を全うされました。その時あなたは、お父様の3年の延命と引き換えに子供を失ったと考えてしまいませんか?

ひどい例え話をしてしまって申し訳ありません。こうならないために医療崩壊をさせず、コロナを収束させる手立てを考えようとみんな必死になっているじゃなないか!とお叱りを受けてしまうでしょうが、ならば教えてほしいのです。健康で未来ある若者が犠牲にならず、コロナ患者を救い、そしてコロナを収束させる術を。ああだ、こうだと綺麗事を言っている間に命の選別の瞬間が迫って来ている、いやもう選別が行われ始めていると、僕は警鐘を鳴らしたいのです。そしてその為に国民は賢くならなければならないし、何が最良の選択なのかをメディアに流されることなく自分の意志で示す必要があると思うのです。

最後に皆さんの意見を聞かせてください。そして、敢えて意地悪な聞き方をさせてください。全ての人を助けられ無いのだとしら、あなたは誰を犠牲にしますか?


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